lizardbrain

だらだらぼちぼち

ソロは初めて細野晴臣

2018年04月30日 11時45分40秒 | 音楽
2017年11月30日、大阪NHKホール。
細野晴臣を初めて目撃したのは、ブリーゼでの矢野顕子withティンパンの時だったので、細野晴臣リーダーのライヴはこの日が初めて。
各種ギターに高田連が参加。

          
オープニングアクトに吉本のお笑い芸人が出てきたのだが、これは必要ないと思う。
楽しみにしてはるばるやって来たイナカモノとしては、あんな畑違いの下らない事に時間を費やすのは全くのムダ。
東京の公演では、確か、清水ミチコがOAで出たらしいが、それならば大歓迎である。
プログラムの一環として細野晴臣師の趣味を反映しているのであるならば、納得しますよ、ハイ。

このライヴに趣味人のギター弾きとベース弾きの知人が2人来ていた事が、翌月になって判明した。
どのあたりの席にいたのかとたずねたら、ワタクシよりも前の席だったのがなんとなく悔しかった。

みさとホールでジャズピアノ

2018年04月28日 16時40分25秒 | 音楽

2012年4月7日。
休日の昼間。

その前月、3月の寺井尚子ライヴの会場でもらったチラシの中に、秋田慎治のソロピアノライヴの案内が入っていた。
失礼ながらその名にはおぼえが無かったものの、TKYやマリーンとも共演してきたピアニストらしいので、すぐさま電話予約を済ませた。



          


かつて生石高原に行く途中に、このあたりを通ったはずだが、当時とは町名が変わってしまったので混乱した。
高原のホールにたどり着く途中、あちこちに桜が咲いていた。



          


会場は初訪問のみさとホール
入場待ちの列を見ると、並んでいる人たちのおよそ92%の人が女性だったので、ちょっとビックリしてしまった。



          


いざ入場してみると、小さいホールのステージにはピアノが1台だけ。
PAを使わないので、ステージ中央のピアノだけから音楽が広がっていく。
ステージ左右のPAスピーカーから音が出るライヴに慣れた耳には、とても新鮮でたまらない。
その上、ピアノのボディに描かれたメーカーロゴは、遠目に見てもスタインウェイ。

開演が20分程遅れたので、少しイラつく声もヒソヒソ聞こえてきたが、それよりも、暖房なしではこの日のホールは少し寒くて、膝当ての必要を感じた。
油断して、いつも着ている少し厚めのブルゾンかフリースジャケットを持ってこなかった事を反省。
4月のみさとホールはちょっと寒めだぞ、としっかりメモっておこう。
ライヴは休憩無しで、所要時間は2時間弱。
何しろ初顔合わせなので、秋田慎治というピアニストがどんな人物なのかがつかめなかったが、MCは中々面白く、奈良の出身だと聞いてこちらの緊張が緩んでいった。

終演後、CD直売サイン会に参加した時の事。
2枚も買ってしまったのを恩着せがましく思われないように、サインしてもらってる間にこの日の感想などを伝えようと口を開きかけたその時、ワタクシの後方から若やいだ女性の声で
『秋田さ~ん w』
とワタクシへのサイン中のピアニストに語りかける人が登場して、
ピアニストはというと、すぐさま女性に
『あ、どうも~ w』
とか返信して、それをきっかけにワタクシの肩越しに2人の会話が始まった。
つまり、この日の感想を伝える事はかなわなかったのだ。
ま、語り掛けた人にとっては応答してくれないと困るんだろうし、ワタクシなんざぁ、所詮はイチゲンさんだし、
しょうがないだろうなぁ、と、トボトボと帰路についたのである。

この人は、例年ソロピアノでのツアーをやっていて、和歌山市近辺でも公演をやっているそうだ。
そういえば、今年もどっかでライヴの告知を見たなぁ。
あっ、6月にはトリオでやって来るのか。
もしかすると、その日は京セラドームへ行く日だったかも?
それはともかく、いずれ、ピアニストとマリーンとの共演も希望しているのだが、どこに希望を提出すれば良いのだろうか?



       


みさとホール周辺の風景。
夜になると、きっと星が近いんだろうなぁ。


小さな赤い春

2018年04月27日 10時42分59秒 | 無駄話
ここ何年か、毎年4月頃になると、物干し台やそれに掛けている物干し竿に小さな赤い虫が這いまわっているのに出くわす。
目測でざっと50匹以上、それぞれに思い思いの方向に蠢いている。
なぜか、蠢く範囲は物干し台と物干し竿に限定されているようで、地面のコンクリート上には姿を見かけない。
干してる洗濯物に付着されるとイヤなので、見つける都度に雑巾で拭いてみたり、殺虫剤を吹きかけたりして退治しているのだが、いったんは全滅させたと気を抜いていると何日後かにはまた這いずり回っているのを目撃する。
こうして、目撃と這いずりを2~3日繰り返すうちに、いずれいなくなってしまう。

小さいので全身像がなかなかわかりにくのだが、こいつらはきっと蜘蛛の子だと思い込んでいたら、違うみたい。
ググってみると、『タカラダニ』の画像が良く似ているのだ。
ダニと聞くと余計に全滅させたい欲求が沸きあがるのだが、こいつらは7月頃には見かけなくなるらしい。
ただ、7月頃に産卵して卵のまま翌春を待っているらしい。
その卵のありかを探れば全滅も夢ではないかも。
まるで政府が放射能について発表する時のように、人体に害はないとの記述もあるが、ダニにしろ蜘蛛にしろ衣服に忍ばれる事態は避けなければならない。

          


進化すると大きくて重たくなるのか

2018年04月24日 12時47分34秒 | 無駄話

これまで使っていたシックの乾電池入り振動4枚刃シェーバー。
去年、振動しなくなって新しいのを探したけど、いつの間にか旧モデルになっていたため、店頭に置いていなかった。
その後、偶然にも振動しないという不調は復調したものの、買い置きしてた替刃を使い切ってしまったのを機に、別のシェーバーに買い替える事にした。

前に使ってた振動式のシェーバーは、剃り心地が良かったので、同様な乾電池入り振動シェーバーを探してみたのだが、意外にもあんまりバリエーションが無かった。
前に使ってたのは4枚刃だったので、4枚刃のを探したけど4枚刃のはなくて、5枚刃というタイプに移行していた。
もちろん、シンプルな2枚刃くらいのはあるのだが、4枚刃くらいのが欲しかった。
刃の枚数も問題だったが、シックにするかジレットにするかに迷った末、ジレット製品に決定。
ポイントの残ってたヨドバシ・ドット・コムに発注し、翌日に配送済み。




使ってみた感想だが、
さすがに5枚刃になると前の4枚刃に比べると、ヘッドがデカい。
デカ過ぎて、鼻の下を剃る時にはヘッドを斜めにしなければならない。
ただ、前のよりも確かに剃り心地は良い。
ヘッドだけでなく本体もデカくて重いため、シェーバーを持つ手についつい力が入ってしまって、その力加減が刃に伝わってしまって、ついつい深剃り気味になってしまう。
深剃りしないためには、出来るだけ力を入れずにヘッドの重みだけで剃りあげる事。
このコツは、ゴルフにも通じるかも。

シェーバーの刃数はどんどん増えていく様子で、このペースで行くと10年もすれば、もしかすると顔よりデカいシェーバーが登場するかもしれない。
そうなると、いくらなんでも使いこなせないだろう。


バッティング

2018年04月23日 16時31分26秒 | 音楽
今年も待望の南河内ジャズフェスティバルのスケジュールが判明した。
詳細はここを参照していただくとして、

9月29日(土)の富田林すばるホールでのユッコ・ミラーとSAYAKAホールの熱帯ジャズ楽団がカブっているのが辛い、、、、、
ユッコ・ミラー・バンドのメンツにもよるが、ワタクシの中では今のところ熱帯ジャズ楽団行きたい熱の方が有力。
さらに10月13日(土)の河内長野ラブリーホールでのFree Flight Brass Bandというプログラムだが、翌14日に長野県で大貫妙子のライヴがあって、久々に上高地に行きたい熱の方が沸きあがって来たところなので、これは慎重なる検討を期すべき。

南河内ジャズフェスティバルとならんで恒例となっている、SAYAKA JAZZ LOUNGEシリーズもスケジュールが判明。
こちらは今のところカブっていないので、今年度の全公演制覇も夢ではない。

南河内ジャズもSAYAKAジャズも5月中にチケット一般発売らしい。

赤塚不二夫生誕80周年記念

2018年04月21日 10時42分59秒 | 無駄話

2015年に発売された、
『赤塚不二夫生誕80周年記念フレーム切手セット』。




ギャグかと思いきや、ホントに日本郵便から売り出されたのだ。

小学生の頃、少しだけ切手収集してみた事があった。
小学生の小遣いの範囲でやる分には金額はしれてるだろうが、イマドキの切手収集、それもバラではなくてシート単位での収集にはかなりの資金力が必要で、
いつしか母親の方が熱心に記念切手を集めだした。
そのコレクションは、火災に巻き込まれて消失してしまった。
火元は怪しげな美容師夫婦が所有する、しかも売りに出したものの3年余り買い手がつかなかったボロアパートで、よくもまあ都合よく出火したものだ。
ボロアパートの所有者達は、火災発生直後、手を叩いて大笑いしていたのだという。

『切手集め』という趣味は、今でも存在しているのだろうか?


神戸の歴史とアートの旅 ~近代化の轍~ 展

2018年04月19日 14時31分07秒 | 風景光景

最寄り駅の、阪神岩屋駅、阪急王子公園駅、JR灘駅から兵庫県立美術館に向かう途中に、BBプラザ美術館がある。



          


いつも気になるけどいつも時間が無くていつも素通りしてたのだが、
2015年5月10日に立ち寄った時。




明治・大正・昭和初期の絵葉書や写真を収録した『いにしえの神戸』という小冊子を購入した。
開いてみると、ほんの何枚かだが、なんとなく見覚えのある風景に行き当たった。


北杜夫

2018年04月18日 10時51分16秒 | 無駄話

ブックオフ、あるいはそのカテゴリーの古書店兼古CD店に行くのが好きだ。

ブックオフで入手した、『どくとるマンボウ航海記』を読んでみたら、なかなかに面白かった。
あまりにも頼りなくはかないワタクシの記憶によると、何故か北杜夫の作品を読んだ記憶がないのに気付いた。
もう少しこの人の世界を探ろうと欲していると、幸いにもブックオフで立て続けに何冊か入手できた。
で、『楡家の人々』も探してみたのだが、この店の需要と供給とワタクシ自身が来店するタイミングがあわずに、なかなか見つからなかった。




ある日、上巻下巻2分冊の下巻の方だけ見つかったので、とりあえず買い求めた。
下巻だけ先に読むわけにもいかないのだが、いずれ必ず残った上巻を手に入れると心に決めての行動だった。

すると、あまり日をおかないうちに、全巻揃った『楡家の人々』に出会った。




だが、この『楡家の人々』は、第1部、第2部、第3部と3分冊になっていた。
推察してみると、先に入手してた上巻下巻2分冊の下巻は、3分冊の第2部の後半と第3部の全部と同じ内容になっているはずだ。

当然、ここで、
「同じ作品が2分冊になったり3分冊になったりしてるのは何故だ?どうしてだ?」
との疑問が生じたのだが、3分冊の第2部を半分に引きちぎって買うわけにはいかないし、
かといって、2分冊の上巻に出会える日を待ち続けるのも辛いので3分冊全てを購入した。
つまり、先に買っていた上下2分冊の下巻を開く日は無かったわけだが。

この人の作品を発表時系列に沿って読んだわけでは無いが、『楡家の人々』を読み進むにつれてこれは凄い作品だと思った。
最初の頃は、それまでに読んでいた、『どくとるマンボウ』シリーズやエッセイめいた作品以上に、(何人か実在の人物をモデルとしているにせよ)よくこんだけのバラエティーに富んだ人物像を創造できたものだと感心して。
どちらかというとユーモアを込めたストーリー展開と感じたのだが、関東大震災のあたりからの描写が凄まじく、読んでるワタクシにとっては、途中から全く違う世界に引きずり込まれた。

何十年も前、NHKは、朝の連ドラとは別に、1本20分くらいで平日に毎日放送される連ドラ枠があった。
『楡家の人々』もその枠でやってたと思われるのだが、その時は観ていない。
この作品を20分枠の連ドラで処理できるはずがない。
あの時、NHKでは『楡家の人々』をどのあたりまで映像化していたのだろうか?
エンディングまでたどり着いているとは思えない。

それよりもっと前、中学校の図書館に北杜夫の作品が所蔵されていたのは記憶している。
もしもあの頃に、どくとるマンボウあたりを読んでいたなら、今とはもう少し傾向の違うオトナに育っていたのかも知れない。


2006年の浜田省吾ツアートラック

2018年04月17日 14時01分22秒 | 音楽
2006年10月21日、綾戸智絵京都ライヴの時に、京都会館の裏側に駐車中の浜田省吾のツアートラックを発見した事は、以前に報告した。

その時の背景が少し判明した。
ワタクシがにらんだとおり、2006年10月21日の綾戸智絵ライヴの翌日の10月22日から2日間に渡り、浜田省吾が京都会館で暴れたらしい。
当時の浜田省吾オフィシャルツアーブログ(このブログは既に終了している)の10月22日の記事に、ツアートラックを背景に進む時代祭の行列の写真がアップされていた。
同じく、10月23日のエントリーに、
「今回の舞台セットは大型トラック6台分ギッシリ、、、、、」
という、トランスポートチーフ氏の発言があるところをみると、どうやら浜田省吾のツアートラックは全部で6台もあったらしい。
あの時にワタクシが目撃した3台の他に、どこかに隠してたようだ。

今更、こんな古い話をしてもと思うのだが、
たまにはこのブログの整理もしなければ、と思った所存。




手拍子その2

2018年04月14日 16時18分33秒 | 音楽
再び手拍子について。

これまた以前のお話。
3階席まである、キャパ1,400人くらいのホールでのジャズコンサートでの事。
ピアニストのリーダーが管楽器を含めた6~7人編成の奏者と複数のヴォーカリストを率いて、ほぼ固定したメンバーでライヴをこなしている。
随分以前にアルバムで聴いた記憶を引きずって、いつかライヴ会場にと切望しているうちに何年も経過してしまい、ようやく諸事情が合致したのでやってきた。 

目測して7割くらいの入りで、ワタクシの席の周辺では、グループ行動でなくバラバラに来たように見える人達が、お互いがお馴染みさんなのか挨拶を交わしている雰囲気がする。
このバンドのファンクラブの集いでもなさそうだ、とか感じながらも、気にするような事ではないだろうと開演を待つ。

演奏が始まったとたん、ワタクシの前列に一人で座る目測40代くらいのお兄さんが両手を高く上げて、いきなり手拍子全開状態に突入した。
これまた、ステージ上の演奏者が手拍子を要求している様子ではない。
オープニングナンバーは軽快なリズムの曲だったんで、手拍子で参加するのに違和感は感じられない。
ところが、その手拍子が変だった。
リズムのアクセントなんざぁ一切無視した、とてつもなく滅茶苦茶なのだ。
とてつもなく滅茶苦茶なのだが、前回に紹介したトンデモ手拍子オバサン体験の時とはどうも様子が違う。
テンポとしてはほぼ合っている。
けど、変だ。
ワタクシの前列の右側6人くらいズレた位置にいたのだが、頭の上に両手を挙げた大きなモーションで強烈な手拍子を打っているので、いやでも視界に入ってしまう。
ただ、トンデモ手拍子オバサンの時とは違って、手拍子で参加する曲数は多くはない。
トンデモ手拍子オバサンのように3拍子曲やスロー曲を除外している様子ではないが、いったいどんな基準で参加するしないを決めているのやら見当がつかない。

時々の事なので気にするまいとステージに集中していると、今度はワタクシの列の8人くらい左の位置で、何やら明かりが漏れてきた。
視界の隅っこでは、iPadなのかそうでないのかタブレット端末を開いて画面に見入っては閉じて、しばらくするとまた画面を開いている。
視界の隅っこではあるが、暗い客席の中なので液晶画面がまぶしい。
マナーを知らないヤツは時々見かける。
マナーを知らないヤツの中でもたいていのヤツは、例えば両手で覆って少しでも画面の光が漏れないようするとか、例えば座席より低い位置で画面を開くとか、マナーを知らないヤツなりに周囲に遠慮しつつ画面を見ているものだが、とにかくこんだけ堂々と画面を光らせてるヤツは初めて目撃した。
LINEやってたのかメールやってたのか、入力してる気配すらあった。
もし隣でそんな事をやられたならば、やめてくれと注意もするが、それには距離が離れている。
そのうち、ヤツは、演奏中であるにもかかわらず(つまり1曲が終わるタイミングをはからずに)、ふと立ち上がって開いた画面を光らせたまま後ろのドアから出て行った。

目障りなのがいなくなってステージに注目していたら、さっきから前列右側6人くらいずれた位置で手拍子してるヤツの意図が、突然に分かった。
ヤツが手拍子で参加しているのは、リズムセクションとしてではない。
主旋律のメロのリズムに合わせて手拍子してるのだ。
幼稚園とか小学校の音楽の時間に先生がやってたみたいに、、、、、、、、
そのバンドリーダーは、かつてアニメのテーマ曲を手掛けた事があって、その事はワタクシも知ってはいた。
ワタクシとしてはジャズバンドのライヴのつもりで参加したのだが、アニメ音楽として聴きに来てたのかも知れない。
もしかすると、そっちの人の方が多かったのかも知れない。

それがわかったとたんに、さっき外に出て行った画面光らせ男が戻ってきた。

手拍子その1

2018年04月13日 16時04分15秒 | 音楽
手拍子について。

以前、キャパ150人くらいのとある小ホールで、とあるジャズヴォーカリストととあるピアニストのデュオライヴを観戦した時の事。
ステージに向かって客席が扇型に配置されたホールで、縦方向よりも横方向に広がった感じの構造だった。
ワタクシが感じている有名度に反して、客席の入りは満席には遠い6割くらいだった。
アコースティックピアノだけの伴奏だったので、PAを通していたがマイクを使わない生音でも十分ではないかと思えるホールだった。

開演時刻よりも遅れてヴォーカリストとピアニストが登場して、1曲目を唄い始めたとたん、客席から誰かが手拍子を打ち出した。
全く遠慮の気配の無いかなり大きめの音量の手拍子だった。
ホールの規模が小さい上に明るめの照明セッティングだったので、客席の様子は良くわかる。
ステージに集中しながら横目で追いかけてみると、手拍子の主は、ワタクシの1列前で5~6席くらい左側に座っているオバサンだった。
観客の中で手拍子を打っているのはそのオバサン一人っきり。
一人だけ悦に入った様子で、ふんふんとうなずきながらニコニコ手拍子を打っている。
けれど、他には誰も手拍子なんぞしてはいない。

一人が手拍子を始めたのをきっかけに、客席のあちこちからつられて手拍子が始まる、
そんな光景はジャンルを問わずよく見かけるのだが、この日は誰も同調する観客はいない。
第一、たった今唄いだしたオープニング曲は、いわゆるミディアムテンポのじっくりと聴かせる曲調で、決して手拍子が似合うような曲ではないのだ。

後続する同調者が出ない大きな理由は、曲調はともかく、その手拍子がとんでもなくリズム感が無かったからだと断言できる。
2拍4泊のアクセントなんざぁ全く無視して、もたついたかと思うと走りだして、立ち止まったのでやっと止めてくれたかとホットしたのもつかの間、思い出したように止まってた分を取り戻すかの如く早足でまたもや走り出して、、、、、
その繰り返し、、、、、、

決して、ステージ上から演奏者が手拍子を要求しているわけではない。
なのに、このオバサンのトンデモ手拍子は1曲目が終わっても2曲目が終わっても続いていく。
トンデモ手拍子に気を取られないように、ワタクシは一生懸命にステージに集中しようと努めた。

ワタクシは、この日この時、このホールにジャズヴォーカルとピアノを聴きに来たのだ。
このヴォーカリストの唄を聴くのは、10年以上も前、厚生年金会館(今ではこのホールの名称は変わっているはず)中ホール以来なので、この日の小ホールの公演を楽しみにやって来たのだ。
なのに、このオバサンのトンデモ手拍子をイヤでも聴かされるのはとてつもなく辛くて悲しくて、火責め水責め言葉責めの数多の拷問を延々と受けているに等しく、阿鼻叫喚の叫びを必死に我慢しながらのたうち回り苦しんでいると、ある曲で、ふっとトンデモ手拍子が鳴らなくなったのに気付いた。

それは、4分の3拍子のワルツ曲であった。
さらに、次のスローテンポの曲では手拍子が鳴らない。
どうやらこのオバサンは、ワルツ曲とスロー曲には手拍子しないという傾向の持ち主なのだ。
傾向がわかったところでどうしようもなく、ワルツ曲とスロー曲以外では相変わらず遠慮のない音量のトンデモ手拍子を聞かされながら、イマイチ集中しきれないうちにライヴは終わってしまった。

演奏が終わった充実感は確かに感じつつ、これでトンデモ手拍子を聞かされなくても済むぞと感謝しながら、終演後に駐車場階に降りるエレベーターで、何たる事か、さっきのトンデモ手拍子オバサンと一緒になってしまった。
娘なんだろうかという感じの、オバサンよりも少し若めの女の人と一緒だった。
世渡り上手のワタクシは、さきほどまで感じていたトンデモ手拍子に対する大きな不満を決して顔に出さず、ましてや口にも出さず。
かと言って気を許したわけでは無いので、世間話をするでもなく。
あっという間に駐車場階に降りて、事前精算機の前でゆずりあいながら、オバサンに先に精算してもらった。
精算が終わったオバサンは、
「あ~あ、良かった、久しぶりだったけど。Yさん(ピアニストの名前)もお元気そうだったし。良かった、良かったねぇ。」
と連れの女性に話しかけながら、自分のクルマに向かっていた。

その後ろ姿を見送りながら、

「なんや、良い人やん。」

とつぶやいてしまった。

北海道(38)エピローグ

2018年04月12日 15時20分58秒 | 風景光景
2017年6月17日に出発して7月11日に帰って来る、ワタクシ史上最長の旅の記録をだらだらと続けてしまった。
当時の事を思い出すために、iPhoneとミラーレスの画像とエクセル家計簿とETC利用履歴などを振り返っていると、くたびれた脳内メモリーの中で一旦薄れていた記憶がどんどん戻ってきたのはうれしい限りだ。
旅行中の希望としては、毎夜、その日の出来事をその日のうちにブログ化しておきたかったのだが、実際にはそこまでの余裕が無くて、これまでずるずる後回しにしてしまったのは、まあ性格のなせる業である事はワタクシ自身が痛いほどに良~くわかっている。

自分用の備忘録として少しまとめてみると、

まず、特に良かったなと感じた事を思いつくままに挙げてみると、

〇初めて乗った20時間以上の長距離フェリーで味わった旅人感
函館市青函連絡船記念館摩周丸
到着した時には霧が立ち込めていたのに突然晴れてくれた襟裳岬
サッポロシティジャズ
大雪山層雲峡黒岳ロープウェイ
タウシュベツ川橋梁
北海道開拓の村
旭山動物園
知床半島
屈斜路湖と摩周湖
(順不同)

逆に良くなかったと感じた事は、ワイパーを回しながら走行していた時間で、
天気ばかりはどうにもならないけど、オホーツク海側で天候が悪かったのは、残念だった。
あと、結局、有珠山を遠目に眺める事は出来たのだが、有珠山ロープェウイには乗れなかった事かな。

もしも北海道に住むとしたらどこだろうか?
と考えてみると、札幌市か旭川市かなぁ、、、、、、
札幌は人もクルマも多過ぎる感で、という事は、旭川かな。
ただし、雪の季節は自信がないけど。

ところで、iPod用のコンセントに繋ぐ充電器を旅の途中で探したら見当たらなかった。
しまった、きっと、出発前にキャリーバッグに入れるの忘れたんだと思い込んでたら、いざ家に帰ってみるとどこにも見当たらなかった、、、、
と言う事は、やはり道中にどっかで紛失した可能性が大きい。
フェリーの船室だろうか?
それとも、どっかのホテルに忘れてきたのだろうか?
ちょっと、痛いなぁ。

最後に、主な経費をざっと集計してみると

フェリー(敦賀港~苫小牧東港)往復 ¥86,900
高速道路有料道路通行料金      ¥26,660
宿泊費              ¥184,450

ついでに、

総走行距離          4,900kmくらい
平均燃費           23km/lくらい

北海道内では意識して、最小限しか高速道路を使っていないので通行料金は少なく済んだのだろう。

そうそう、旅行中に洗濯するという行為にはかねがねアコガレを抱いていたわけで、それも一つの楽しみだったのだが(変なヤツでしょ?笑)、
最初に函館のコインランドリーで洗濯乾燥機にかけた後、一部の洗濯物が縮んでしまったのに気付いて、やはりホテルで部屋干ししなければいけないと思ったのだが、
自分ちとは違って、ホテルで部屋干しするとあまりにも貧乏くさくて、あまりにも所帯じみてしまって、せっかくの長期リゾート気分が台無しになってしまった。
なので、旅行中に5回くらい洗濯したのだが、部屋干ししたのは1回限りで、あとは全てコインランドリーの洗濯乾燥機のお世話になった。
その結果、今、妙に縮小してしまったTシャツやソックスや長袖シャツが何枚か存在している。
着れないほどに縮小したわけでは無いので、衣類としての天命を全うするまで着続けようと思っている。

さて、まだ行った事のない場所に長期間の旅をしてみたいという欲望はまだまだ持ち合わせている。
北海道の次は、どこへ行こうか?
も一度北海道というのもありかな?
そんな事を考えてみたり、めんどくさくなってみたり。


北海道(37)北海道を後に

2018年04月11日 16時16分55秒 | 風景光景

こうして
2017年7月9日(日)

苫小牧東港23:30発、敦賀港20:30着の新日本海フェリーに乗船してしまった。
ついに北海道を後にしなければならない。



          



往路と同じく、定員2名のデラックスAツイン個室¥43,450を予約していた。
往路の時とは違う船だったように思うが、船内のレイアウトは共通していて、たった2回の乗船だというのに既に慣れ親しんだ気になるのが不思議。
乗り込むなりすぐに部屋風呂で入浴を済ませて、すぐさま就寝体制に。



             


翌朝つまり7月10日(月)、もうすぐ反対方向に向かう苫小牧東港行の新日本海フェリーと行違うとの船内放送があったので、デッキに出てご挨拶を交わすが随分と距離が離れてるので、先方で手を振っているのやら少しもわからない。




10:20頃だったか、バンド演奏が始まって、




それが終わると例によってビンゴ大会に参加。
往路の司会はオジサンだったが、帰路は研修中のプレートを付けたお姉さんだった。
ビンゴ大会の賞品のクリアファイルは、往路は1枚だけだったのが帰路は2枚セットに、
ビンゴ達成した時に賞品数以上に当選者がある場合、先着順だったのがくじ引きで決める、
などの変更点があった。



上位の賞品を逃したものの、ワタクシは『ソフトクリーム1本無料券ただし今航海中のみ有効』をゲット。
カウンターの営業が始まる14:30を待ちかねて、賞品を手にしたヨロコビに酔いしれるが、決して船には酔ってはならない。

往路に比べると船の揺れがはっきりと感じられて、船酔い前段階らしきプチ頭痛が発生しそうだったので、できるだけベッドに寝っ転がって時間を過ごした。



この北海道行きの為に買ったBOSEのBluetoothとミニジャック対応のスピーカー。
往路の船内ではちょうどG戦デーゲームの中継してたから出番がなかったけど、iPodとペアを組んで帰路は大活躍してくれた。




ホッケと味噌汁とご飯のセットで夕食を済ませた後は、揺れる大浴場で早めに入浴を済ませる。




夕暮れを眺めてノンビリした後、ほぼ定刻に敦賀港に到着。
敦賀駅前のホテルの駐車場に空きが無くて少々焦ったが(駅前に市営のコインパーキングがあるのだけど)、同じ敷地の別館棟の前に空きを見つけた。

翌7月11日(火)、
敦賀を出ると、後はのんびりと300kmあまり先の自宅を目指すだけという、ホントにホントの最終日。

一つだけ、事件といえば、
途中、地名はわからないが第二京阪道路の3車線か4車線ある区間で、後ろから来たクルマが真ん中の車線にいたワタクシを左側の車線から追い越して行った。
北海道にいた頃と同様、燃費計を気にしながらの省エネドライブモードに入っていたので、この行為に対して特に立腹したわけでは無いのだが、ワタクシを追い越して行った直後にすぐ後ろのクルマの屋根にピョコって赤色回転灯が飛び出して、追い越し車を捕獲する瞬間を目撃してしまった。
すぐ後ろの覆面さんの存在を感知できなかったわけだが、全く被害が無かったわけで面白い物を見せてもらった。

家に帰って、旅装を解くのに一苦労して、
すぐにはできなくて何日か後になったのだが、ミラーレスとiPhoneの画像を整理するのに、また一苦労した。

つまり、
2017年6月17日に出発して7月11日に帰って来る、ワタクシ史上最長の旅が無事に終わった。
思い返してみると、あっという間だった。