lizardbrain

だらだらぼちぼち

すずかジャズ2019

2022年04月29日 20時47分02秒 | 音楽

ワタクシが生の音楽を聴くためにあちこち出歩くようになったのは、2000年後半以来だ。

当時から渡辺香津美マニアへの道を目指していたワタクシはあるが、2001年2月17日、栗東芸術文化会館さきらでのセッションライヴを観戦した。

その時のメンバーは、ギター渡辺香津美、トロンボーン向井滋春、ピアノクリヤマコト、ベース山下弘治という編成で、途中メンバーが出たり入ったり入れ替わりながらステージを展開する中、渡辺香津美を差し置いて強烈なインパクトを感じたのが、めちゃくちゃカッコ良いソロを披露した江藤良人というドラマーだった。

それ以後、ブックマークして彼のライヴスケジュールに目を凝らしていたのだが、悲しいかな、ワタクシとこのドラマーの演奏予定がことごとく合わなくて、ひたすら年月だけが虚しく過ぎてしまった。

ようやく行けそうなライヴを見つけたのが、2019年の事だった。

7月6日の鈴鹿市文化会館けやきホールでの『すずかジャズ』に参戦したのだ。

 

鈴鹿へはF1GP観戦のために何度もクルマで出かけた記憶があるし、クルマで移動するのがベストなのだが、その前日に達郎ライヴ観戦のために大阪に滞在する必要があり、鈴鹿への移動は電車利用となった。

めったに乗らない近鉄の名古屋方面行は大阪なんば駅からの始発で、戸惑いながら乗車した名古屋行きの特急車内にはいまだに喫煙車があってビックリした(2019年当時の話ね)。

車内も窓外も含め近鉄電車の見慣れぬ風景を味わいながら到着した平田町のビジホに荷物を投げ出して、サーキットまで行く時間は無かったがF1観戦以来の鈴鹿市を少しだけ散策の後、例によって会場の鈴鹿市文化会館にはかなり早めに到着した。

 

          

全席自由席のホール入り口前で開場待ちしていると、ワタクシのすぐ前に並んでたオジサン(この写真には写っていないが)のユニクロのシャツの襟には、新品の時に貼られているLサイズのシールが付いたままだった。

トントンと肩を叩いて教えてあげるべきかと思ったのだが、そんな事を指摘するのはためらわれた。

もちろん、知らない人だし、もしかするとそういうのが流行っているのかも知れないし。

 

さてさてライヴのオープニングは、お目当てのドラマー江藤良人のスネアと女性トランペット奏者だけでの演奏が始まった。

どうやら出演者達と顔なじみらしく、なんか身振り手振りで挨拶しながら前列に座っていた3人くらいが演奏にあわせて手拍子を始めたのだが、これがよくある頭打ちのトンデモ手拍子で、こんなにも身悶えしたくなるようにたまらなくトンデモない手拍子が延々と続くのかと心配したが、1曲目だけだったので良かった良かったと胸をなでおろした。

このライヴのメンバーは、ドラム江藤良人、トランペット中村好江、ベース井上陽介、サックス田中邦和、ギター・ヴォーカルACE、ピアノ板谷大という布陣で、ドラム江頭良人とトランペット中村好江は鈴鹿市出身らしく、観客席とのフレンドリーな雰囲気はその為もあっただろう。

 

          

アンコールでは撮影解禁のアナウンスがあったので、遠慮なく。

 

終演後は、ビジホの最寄り駅の平田町までの電車が不便な時間帯だったのでホテルまで歩きだしたのだが、途中で、やはり少々時間待ちしてでも電車に乗った方が楽だったかも、、、、と反省したのを憶えている。

 

ところで、大友良英のツイートから、この日に出演していた札幌出身のピアニスト板谷大(いたやひろし)が、昨年9月に亡くなったと聞いて驚いた。

軽やかなラグタイムスタイルの演奏が得意らしく、バリトンサックスもこなす人だったという。

上の2枚のステージ写真の左端にいる、少しゆったりした体格の人出、鈴鹿で聴いて以来、この人のピアノもどっかでじっくり聴いてみたいと思っていたところだった。

ぱくよんせYouTubeチャンネルに、板谷大がぱくよんせと共演する演奏動画がアップされている。

 


かつてなかった方角から山下達郎 PERFORMANCE 2019

2022年04月25日 14時44分38秒 | 音楽

2019年7月5日、大阪フェスティバルホール。

なんと、達郎ライヴでは初めての最前列を確保してしまった歴史に残る日だった。

さすがにど真ん中ではなかったが、左・右・真ん中とゾーン分けすると真ん中ゾーンと断言できる、最前列席だった。

建て替え前の旧フェスティバルホールの時には、2回ほど最前列に座らせてもらった記憶もあるが、新装なってからは初めての事である。

 

チケット入手時に座席表で確認していたものの、もしかしてなんかのマチガイかも知れない、

もしかしてこの公演だけ座席表示が違っているかも知れない、

確かにいつもなら最前列の座席番号だが、やむにやまれぬ何らかの理由が発生してこの日だけ特例的に最後列の座席番号に変更されているのかも知れない、

うっかりとその手に乗ってその気になっていたら現場でがっかりグッタリしてしまうぞ、気を付けなければ、、、、、、

 

と、ソワソワかつ恐る恐る入場待ちの列に加わり、本人確認の判定を受ける。

 

やがて入場が始まる。

まず座席表を確かめなければと、はやる気持ちをおさえつつエスカレーターに乗っかったのだが、例によって、視界に入ったグッズコーナーの行列に並んでしまった。

しばしの物色後、無事にグッズを確保できたところで、今度こそとはやる気持ちを表情に出すまい出すまい唇をかみしめつつ必死に努力しつつ、入場扉の近くの座席表で再び照会作業に取り掛かる。

確かに最前列の座席番号で間違いないので、ようやく安心する。

 

さて、安心したところで、開演時刻までにはまだまだたっぷりヒマがある。

いつもならロビーの隅っこでおにぎりを2つ3つほうばりながらライヴ観戦に向けた精神集中に専念するのだが、どうにもはやる気持ちは一向に収まらないので、11年ぶりに手に入れた大阪フェス最前列の座席とやらに座ってみる。

さすが、最前列なので当然だが、前の席の背もたれが無いので、目の前にはひたすらステージを見上げるばかりの眺望である。

なんとなく、旧フェスに比べて観客席の床面からステージ床面までの高さが低くなった気もする。

誰に遠慮する必要も無く腰かけて足元を見ると、座席とステージとの間の床に黄色いロープが貼り付けられていた。

これはおそらくPA用のケーブル類の保護のために、良い子はこの線から入ってはいけないよという主催者側出演者側の意思表示だろう。  

視線を上げると、ステージの客席寄りの前端に、間隔を置いて黒いスピーカーが2個設置されているのに気が付いた。

スマホやノートPCに繋ぐくらいの大きさ(小ささ)で、これは本番用ではなくBGM用なんだろうと推察する。

果たしてライヴ本番中にこの小さいスピーカー2個がPA機材に混じって鳴っていたのかどうかは、全く確認できないが、開演前のひと時、いつものように達郎自らが選曲してリマスターした客入れドゥーワップが、この小さいスピーカーからも快適な音質で流れている。

例によって緞帳が上がりっぱなしのステージ上にセットされた楽器、機材の隙間を縫うように、達郎の立ち位置に向かって右後ろにゴジラの雄姿が見えた。

その反対側の左後ろにシンゴジラがいた事には、アンコールの時まで気づかなかったが。

 

そんなこんなの観察を続けている間にいつもの1人アカペラBGMに乗っかって、バンドメンバーが登場すると、前に置いたおそらく達郎用のキーボード(Rhoedsだったかそうでなかったか?)に隠れてしまってベーシストの胸から額あたりまで見えなくなった。(そのキーボードはアンコール前に撤去してくれたが)

そのベーシスト伊藤広規だが、指弾きばかりではなくて、時にはピックも使っているのを発見。

いつも静かに演奏している印象だった難波弘之だが、近くで見ると演奏中の表情が豊かで、マイクには乗せないものの時おり達郎と一緒に唄っていた。

達郎が弾くエレアコのストローク生音までが聞こえる。

達郎のシャツにはパリッとアイロンが効いていて、肘近くまでまくった袖が演奏中に乱れないのはどうして?

ギターを弾く事が筋トレになっているのか、意外と腕が太い。

たくさんの発見をしながら楽しんでいたら、開演1時間くらい経った頃に、どういうわけだがワタクシの左ふくらはぎあたりがつってきた。

こういう時は立ち上がってストレッチをしたいところだが、まだまだスタンディングタイムではないのでそういうわけにもいかない。

少々焦りつつ、前方の黄色いロープに触れない程度に座ったまま少しだけ左脚を延ばし気味にして自分でマッサージに努めているとそれも治まってきた。

ボーカルマイクは去年はコードレスマイクを使っていたのが気になったのだが、この時はコードありマイクを使っていた。

さすがにステージから近すぎるので、ワタクシの席にミニタンバリンがとどく事はなかった。

 

MCによると、この時点での来年(つまり2020年)はオリンピックの影響もあってツアーをしないがライブハウスはやると宣言していた。

入場時に配布されたチラシの中に、8月の宮里陽太カルテットds小笠原拓海 with 佐橋佳幸のライブが告知されていたのだが、家に帰ってからチケ取りに動いたが時遅く、既にソールドアウトしていたのは残念だった、

 

           

 
終演後、いつもの安ビジホに向かう途中のいつものラーメン屋へ行くと、
『ラーメン以外頼む人席料¥200頂きます』
との告知が貼ってあった。

経年劣化か

2022年04月19日 11時36分55秒 | 無駄話

ここ6年くらいサブ機として愛用しているDynabook、

いつものように起動後の画面にPIN入力後ENTERキーをヒットしてもサインインできなくなったのが、ほぼ1週間前の事。

何度やってもサインインできなくて、画面にはこんなメッセージが現れるだけ。

 

メッセージ通りに2時間も待っていられないので、適当にいじくってみたら、キーボードでPIN入力後にEnterキーをヒットするとご機嫌斜めになるのだが、Enterキーの代わりにマウスで矢印をクリックしたらログインできた。

しばらくこの手で凌いでいたら、今朝になってEnterキーで通常サインインできるようになっていた。

いつもながら、一体何が起こったのだろうかと思っているうちに、アップデートの通知を受け取る設定が無効になっていた。

ちなみにまだまだWin10仕様で頑張れ。

 

 

 


備える

2022年04月15日 16時21分00秒 | 無駄話
災害時のために保存している飲料水ボトルの賞味期限切れが近づいたので、買い出しに。
箱買いしたのを持ち帰ってみると、買ってきたボトルの賞味期限が来年3月になっているではないか、新品だからあと2、3年期限が残ってると思い込んでたのに。
まあ、確かめなかった責任はアタクチにあるわけで、困ったもんだ。

同じく災害時の救援食料として買い込んでた缶詰も、鮭缶と鯖缶に賞味期限切れ近いのがあるので、ネットでレシピを探して晩飯を作ってみた。
他の野菜などと一緒くたに鍋に放り込む料理を作ってみたのだが、鍋の中で野菜と魚がゴッチャになってしまって、こういうゴッタ煮的なのはどうも苦手なのに気づいた。
そういえば、ニシンそばとかは絶対オーダーしないもんな、ニシンは別の皿に分けて欲しいのだよ。
カンパンとかビスケットもあるし、缶詰はフルーツだけにしようかな?

保存期限の永いアルファ米とかは、不味いしなぁ、あんまりお世話になりたくないなぁ。


風船からはじまった

2022年04月09日 14時24分00秒 | 音楽

参加できたライヴは、

 

          

中川イサト70歳バースデー

2017年1月28日 Big Cat

 

          

岸部眞明 &中川イサト

2013年11月17日 高槻現代劇場

 

新聞少年だったイサトさんは、タイガースと名乗る前のファニーズのメンバーが共同生活してるアパートに配達していたという。

そのエピソードの後で唄ってくれたのは『君をのせて』だった。

 

 

          

持ってるLPはこれ1枚

CDはあと何枚かあるはず。


熊野街道修理川ドライブイン

2022年04月08日 14時25分25秒 | 風景光景

地名読み方問題が尾を引いている。

そういえば、R424沿いに『修理川』という表示を見た時に、これは単純に『しゅうりがわ』という名の川ではない気がして、

別の場所に掲げられたローマ字表記を見て、『しゅりがわ』と読むのだと確認できた。

その修理川沿いを走行していたら、さびれた施設に出くわした。

 

          

 

          

 

          

なるほど、かつてはドライブインを名乗っていたらしく何軒かの飲食店が集まっているのだが、全ての店舗が営業していないし、営業できる状態ではない全くの廃墟となっていた。

ワタクシはこの辺りをほとんど通らないので、この景色にはかなり驚いてしまったのだが、

クルマから降りて想像をたくましくするに、これは、少しずつさびれてしまったので少しずつ店舗が閉店した結果、というよりも、何らかの理由で一気に営業できなくなった結果のような気がしていた。

例の紀伊半島大水害の傷跡かも知れないが、真偽のほどはいかに?

ググってみると、まだ元気だった頃の熊野街道修理川ドライブインの画像も確認できた。

 

 

 


声を上げない

2022年04月06日 11時12分40秒 | 風景光景

すでに始まっている春のこころ旅は、和歌山県からのスタート。

ところが早速気になる事があった。

3月28日の朝版のナレーションで『椿山』という地名を『つばきやま』と読んでいたが、ここは『つばやま』が正解だと思う。

もしかすると歴史的には『つばきやま』という呼び方が存在するかもしれないので、間違いとは断言できない、ワタクシが間違っている可能性は大きいのだが、ナレーション原稿作成時に地名の読み方は確認しているだろうに、なんか残念。

同じ日の放送で、火野正平が岩壁に彫られた仏像に言及するシーンがあったが、この場所も地名の読み方が少し違っていた。

大いに違和感は感じるが、あくまでもワタクシが慣れ親しんだ呼び方ではないだけなので、クレームを入れるほどの事ではないが。

ところでこの岩壁に彫られた仏像はワタクシが小学生の頃に出現したもので、仏像を彫った人に関するその後のエピソードがあるはずだが、どこのサイトを調べてみてもその点に触れられていない。

 

6年あるいはもう少し前にこころ旅が和歌山県に来た時、輪行シーンで一瞬ワタクシの友人が映りこんでいた。

時間にしてホンの1秒前後だったが。

録画を観た直後はDVDにコピーして本人にあげようかなと考えたが、あまりそういうのを喜びそうにない人だと思ったのでコピーせずに映像を削除した。

その友人は、その後、2年ほどしてから亡くなってしまった。