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lizardbrain

だらだらぼちぼち

I氏にまつわるエトセトラ

2007年06月11日 22時07分35秒 | 音楽

降って沸いたように始まった陽水シリーズの締めくくり(まだやるんかい? 笑)として、ワタクシの秘蔵(既に広く知られている可能性もあるが)と信じてやまない、陽水エピソードというか、小ネタ集をば。
信じるかどうかはアナタ次第



その1 定期預金移動事件
アルバム『氷の世界』に収録された『白い一日』は、小椋桂の歌詞に陽水がメロディーを付けた曲で、小椋桂も自身のアルバム『残された憧憬-落書-』に収録している。
今でこそ音楽活動に専念しているが、当時の小椋桂といえば、エリート銀行員とシンガーソングライターの2足の草鞋を履き、「日本のニルソン」とまで形容された人物であった。
陽水の『氷の世界』が大ヒットして、それをきっかけに、既発の『センチメンタル』『断絶』も連鎖的に大ヒットした直後の話。
ある日、『白い一日』を共作した縁からか、小椋桂から陽水に電話があった。
小椋桂からの用件というのは、
「たくさん入ったであろう印税収入を、陽水君はどうして保管しているのか?」
という内容で、
話を続けるうちに、小椋桂の依頼というか説得により、既に別の銀行に預けていた印税収入を、小椋桂が勤める第一勧銀の定期預金にゴッソリと預け替えたという噂があった。
*この情報の信頼度=B(70年代の音楽雑誌で、小椋桂について研究した記事にこの事が触れられていた。その記事の著者は、富沢一誠だったと思うが確信は無い。)



その2 歌詞ちがいバージョン
ポリドールからのセカンドアルバム『センチメンタル』に収録された『あどけない君のしぐさ』。
この曲に、ホンの一部だけだが歌詞が違う別バージョンが存在した。
今のように積極的にTVに出ていなかった(というか、売れていなかったのでTVに出してもらえなかったのが真相らしい)昔の陽水だったが、ラジオのフォーク番にはよく出ていた。
ある日、ワタクシがNHKラジオ(AM)を聴いている時、ギター弾き語りで、陽水が唄っていた。
唄っていたのは、『あどけない君のしぐさ』と、ハーモニカでイントロを吹いた『夢の中へ』の2曲だった。
時期としては、アルバム『氷の世界』をリースする以前のはず。
その時にラジオで唄っていた『あどけない君のしぐさ』は、アルバムバージョンとは少し歌詞が違っていた。

違っていたのは2コーラス目の歌詞で、
僕のセーターはとても大きくて
の部分を
僕のセーターは厚い生地なので
と、唄っていた。
違っていたのは、この部分だけで、前後の歌詞はアルバムバージョンと同じだった。
果たして、アルバム収録後に歌詞を変更したのか?
それとも、最初から一部分別の歌詞のバージョンがあったのか?
それとも、それとも、陽水が、単にラジオ収録中に唄い間違えたのか?
その真相は不明だが。
今、現在、唄っているバージョン(めったに唄わないかも知れないが)では、どうなっているのだろうか?
どなたか、最近のバージョンを聴いた事がある方がおられたらば、是非ともご覧の宛先までご連絡いただきたい。
*この情報の信頼度=A(ワタクシ自身が、この耳で聴いたから)

ところで、この『あどけない君のしぐさ』という曲の持ち味は、カポ無しEmの陽水と、5カポBmの安田裕美の2人のアコギのアルペジオのアンサンブルの美しさだが、
一番のキモは、最初に出てくる、陽水による1弦開放のE音に尽きると推察される。



その3 前座時代
昔、CDが登場する以前のレコード全盛の頃は、アルバムは直径30センチで1分間に33と3分の1回転で再生するLPレコード、シングルは、それより一回り小さい直径17センチで1分間に45回転で再生するEPレコードという棲み分けがあった。
LPレコードとEPレコードの中間的な存在として、小さいサイズのEPレコードをLP同様に33回転(分)で再生する仕様のシングルLPレコードというのがあった。
シングルLPは、通常のEPレコードのシングル盤に比べて、録音時間が長く取れるので、今でいう、マキシシングルといった位置付けになるのだろう。
中学生の頃、同級生が、『モップス』のシングルLPを持っていた。
その収録曲が、モップスの持ち歌である『たどりついたらいつも雨降り』、『晴れ時々にわか雨』、『のんびり行こうよ』、そして何故か陽水の『傘がない』の4曲だった。

それからうんと月日がたったある日、ワタクシが徹子の部屋を見ていると、モップスのヴォーカリスト鈴木ヒロミツがゲスト出演していた
(あれは、何年前だったろうか? と思ってググってみると、97年6月19日の放送だという事がアッサリとわかってしまった。いったい、なんという、便利な時代になったものだろうか、、、、、、、これではうっかりとTVにも出る事が出来ないではないか
その中で、何故か陽水の事が話題になっていて。
(いったい、どうしてそんな名前にしたのかは不明だが)アンドレ・カンドレという名前でデビューしたが、全く売れずに、その後、本名で再び音楽活動を始めた陽水には、モップスの前座をつとめていた時期があったのだという。
陽水が、モップスのコンサートのオープニングで何曲か弾き語りで唄っている内に、モップス目当てのファンからもジワジワと人気を集めるようになったらしい。
特に女性ファンに、陽水の詞が受け入れられるようになり、メインのモップスに迫る勢いで人気が上がっていったので、やがて、前座の陽水のバックでもモップスが演奏するようになり、その後のポリドールからの再デビューにつながったのだという。

陽水がモップスの前座をしていたという話は、この時の徹子の部屋を見るまでは全く知らなかった。
だが、そういえば、モップスと陽水の間のただならぬ関係が浮上してくる。
モップスのギタリスト星勝が、陽水の初期のアルバムのアレンジを引き受けていたのはもちろん、有名な話だし、
前述した、モップスのシングルLPレコードに陽水の『傘がない』が収録されていた事も、何やら関連性がありそうだ。
友人のシングルLPレコードに収録されていたモップス盤の『傘がない』は、少々味付けが違っていたが、基本的には陽水盤と同パターンのアレンジで、ドスの利いた鈴木ヒロミツのリードヴォーカルに、サビのパートで陽水が3度上のハーモニーを付けていた。

モップス盤の『傘がない』がCD化されているかどうかを調べてみたら、
モップス/BEST
モップス 2001 Millennium+1 BEST
これらのアルバムに収録されていて現在でも入手可能なようだが、果たして陽水がコーラスを付けているバージョンなのかどうかは不明である。

さらにこの時の徹子の部屋の中で、鈴木ヒロミツが話していた事として、
ユーミンこと荒井由美がデビューするずっと前、まだ学生だったユーミンが、モップスのファン、とりわけ星勝のギターのファンだったそうで、
しょっちゅうモップスのコンサートの楽屋に出入りして、盛んに自分のオリジナル曲のデモテープを持ち込んでいたのだそうだ。

その話の流れの中で、鈴木ヒロミツは、
「陽水とユーミンという、後に、大変な成功を収める事になる2人のミュージシャンを、彼らが売れる前から知っていたわけで、もしも2人とも自分達モップスで売り出していたとしたら、自分達がどれだけ潤った事か、、、、、?」
と、冗談めかして言っていた。
ワタクシには、その言葉は
「俺達は、陽水とユーミンという大人気者のシンガーを昔っから知ってるんだぜ
という、自慢話にしか聞こえなかったが、、、、、、、、
*この情報の信頼度=A’(自慢話に聞こえた分だけ、減点対象となった)



その4 帰れない二人
日本発のミリオンセラーとなったアルバム、『氷の世界』。
このアルバムのA面に針と落とすと、『あかずの踏切り』、『はじまり』、『帰れない二人』の3曲が、切れ目無く立て続けに演奏されて、それだけでブッ飛ばされてしまう。
それまでの『断絶』『センチメンタル』の2枚のアルバムと同様に、星勝のアレンジが施されているが、懲りすぎて重苦しい感のあった前2作と比べると、透明感のあるスッキリとしたアレンジが心地良い。

この、3曲目の『帰れない二人』は、作詞、作曲とも、陽水と忌野清志郎の共作で、どちらかのアパートで、二人してああだこうだと言いながら一緒に作った曲だという。
当初、陽水は、この曲をシングルカットすべきと主張して止まなかったほどの自信作だったようだ。
だが、プロデューサー側の判断で、『心もよう』がシングルカットされて、その後の大ブレイクに繋がる。
何はともあれ、アルバムが大いに売れた事により、『帰れない二人』の共作者である忌野清志郎にも、思ってもいなかった額の収入が入り、当時はあまり売れていなかった忌野清志郎自身やRCサクセションなど、その周辺の生活に役立つ事になったという。
*この情報の信頼度=A (この情報の一部は、AERA別冊による)

このあたりで、陽水シリーズはネタ切れ、、、、


最後に、随分と参考にさせていただいたサイト、今日も井上陽水の管理人氏にごあいさつをしなければ
(この人の情報源は、いったいどこにあるのだろう?)