lizardbrain

だらだらぼちぼち

綾戸智絵 ツアー2006 京都会館第一ホール

2006年10月27日 22時06分18秒 | 音楽



10月21日(土) 京都会館第一ホール

ワタクシが、初めてアヤド姉さんのライヴを観戦したのが、2000年11月。
以来、この京都会館第一ホールへも4~5回は来ているはずだ。
例年ならば4月下旬の京都会館でのライヴを聴いて、そのついでに美術館や博物館へ回るというパターンが恒例となっているのだが、今年は、新年早々に思いがけない地元でのライヴがあったため、4月の京都会館公演をパスしていたのだ。

10月のこの季節に京都へやってきたのは初めてで、この日が時代祭の前日などという事は夢にも思っていなかった。
京都会館の近くの平安神宮へと続く道沿いでは、時代祭の準備万端いつでも来いという空気で充満していた。
勝手知ったる京都会館第一ホール、、、、、、、、のつもりでホールのロビーに入り、ベンチに腰掛けてノンビリしていたら、ホールの入り口とは反対側の裏側のドア越しに、SHOGO HAMADAという文字がワタクシの目に飛び込んできた。
白地にペイントされた浜田省吾のツアートラックが3台、京都会館裏側の道路沿いに停められていたのだ。

          

まだ、浜田省吾の現物にはお目にかかった事が無いので、トラックだけでも近寄って見ておきたくなった。
だが、この裏側のドアは出入りできないようにロックされていたため、外に出るには、先ほど入ってきた入り口から出るしかない。
「外に出たいのだが」と、チケットもぎりのスタッフに声をかけると、外出証というカードを持たされた。
まるで、入院患者のような気分になりながら、外に出て、コソコソとホール横の狭いスペースを通って裏側の道路に向かった。
浜田省吾のツアートラックがこの場所に駐車していたということは、この翌日あたりにハマショーが京都会館でライヴをやったのだ、と、ワタクシはにらんでいる。
よくよく考えてみると、京都会館(第一ホール、第2ホールを含めて)ではアヤド姉さんのライヴしか聴いた事が無いので、他のシンガーも聴いてみたいのだが、浜田省吾もまた、1曲目からオールスタンディングになるのだろうなぁ?と考えただけで腰が引けてきた。

          

浜田省吾のツアートラックをカメラに収めた後、ホール側を振り向くと、通りを隔てたそこにはアヤド姉さんのツアートラックが横付けされていた。
このツアートラックの存在については、かねがねウワサに聞いていたし、画像でも確認した事があるのだが、派手な装飾こそされていないものの、ピアノを弾いているアヤド姉さんのイラストが強烈なインパクトを持って迫ってくる。
さらに、トラック後部のまいど!!の文字が全てを表現している。
もしかすると他の場所にも別のクルマを置いていたのかも知れないが、浜田省吾のツアートラックは3台、アヤド姉さんのツアートラックは1台。
やはり、楽器、照明、PAなどの使用機材の量はロックとジャズとではこれだけ違うのだ。
山崎まさよしのツアートラックは、確か、2台だった。
アヤド姉さんのツアートラックをバックに記念写真を撮っている人たちを横目にして、先ほどの外出証を入り口で手渡し、再度、ホールに入って開演を待つ事にした。

ここで、この先、この京都会館へ初めて行かれる方に心しておいて欲しい事がある。
それは、座席列番号の表示についてだ。
一体どういうわけなのか、このホールの横方向の座席列の番号は一般的な座席列番号とは逆になっているのだ。
ホールによっては、座席列表示が数字であったり、アルファベットであったり、50音順であったり、中にはイロハ順の座席列表示の所まであって驚かされたりするのだが、たいていのホールでは、一番ステージに近い座席列が一番若い数字やアルファベット等の表示がされる。
例えば、「A列10番席」の後ろには、当然、「B列10番席」があり、「か列20番席」の後ろには「き列20番席」がある。
だが、ここ京都会館の座席列表示は、1列の座席が一番後ろ、33列の座席が一番前、と全く逆になっているのだなので、チケットを手に入れて券面に表示されている座席番号を見て、30列だとか31列だとかの、一般的には後ろの方の座席に付けられる大きな列番号だからといってガッカリしないで欲しい。
その逆に、1列だとか2列だとかの、一般的にはステージに近い若い列番号だったとしても、糠喜びしない方が良い。
お疑いの方は、どうかこの座席表で確認していただきたい。

さてさて、ライヴの中身だが、共演者として、今回はワタクシにとっては久々に宮野弘紀のギターを聴くことが出来たのが大収穫だった。
オベーションのガットギターを抱え、この人が全力で弾くピアニシモ、あるいはミニマムボリュームで弾くフォルテシモのフレーズの絶妙さ加減は本当に素晴らしい。
いつの日かきっと、宮野弘紀単独のライヴを鑑賞したいのだが、未だにそのチャンスは訪れていない。
もうひとりの共演者として、いつものアヤドライヴでおなじみのゲルシーではなく、中村真というピアニストが登場した。
この中村真というピアニストは、アヤド姉さんがメジャーデビュー前にライヴハウスで共演していたのだそうだ。
その頃、中村真は大学生(もしくは大学をやめた頃)で、アヤド姉さんは、その頃、単に唄を唄えるオバサンだったそうだ。

京都から帰ったら、ちょっとしたニュースが届いた。
今年の満員御礼に気を良くしたのだろう、来年の春、ワタクシの地元にまたもやアヤド姉さんがやってくるという情報が入ったのだ。

と言う事情で、近頃のワタクシは、地元ライヴでのチケット手配に奔走・暗躍するのに忙しいため、今回は、MCなどのネタバレをさせている暇は無い。



終演後にロビーに張り出される、恒例のセットリスト。
ライヴ中にあれだけシャベクリ倒して、尚、15曲も歌っていたとは、、、、、



終演後、ホール外側から見たロビー内の様子が写ってしまった。
老若男女の善男善女が群がっているのは、CD・DVD売り場。
ニューアルバムは、まだ発売されていない模様。
今回もまた、アヤドバッグやアヤド飴などのツアーグッズは販売されずに、CD・DVD販売に特化していた


時代祭の日に時代祭を観なかったとは

2006年10月24日 21時36分29秒 | 風景光景

10月21日(土)午後5時頃。
綾戸智絵のライヴのため京都会館に着くと、付近の様子がいつもとは違っていた。

          

平安神宮に続く道路沿いに、紅白の幕に囲まれたパイプ椅子の群れがセッティングされている。
どうやら、かの有名な時代祭が、その翌日に開催されるらしい。
まさか、そんな大それたお祭に遭遇するとは思いもよらなかった。
どおりで、宿を取ろうと宿泊予約サイトで京都市内のホテルを当たってみた時、やたら満室表示のホテルが多かったわけだ。

          

(地下鉄烏丸御池駅出口付近)この座席も有料なんだろうなぁ?
きっと。

この後、せっかくの時代祭を見学するチャンスに背を向けてでもMOVIX京都で観た映画は、「裏 ダイ・ハード」と噂された「16ブロック」と、実在の未解決(それとも解決したのかなぁ?)殺人事件から題を取った「ブラック・ダリア」。



ブラック・ダリア」の方は、後半の展開がめまぐるしくて、イマイチ消化不良気味。
1日に、2本続けて映画を観るのもくたびれる、、、、、、
登場人物を後2人ほど削除してくれたならば、もう少し消化できたかも?
だが、2人も削除してしまうとお話にならない、、、、、、
その後、2日経過した今日にいたっても、ストーリーを反芻する日々が続いている。
イヤ、決して、理解できなかったわけではないが
どうやら、ビデオ化あるいはDVD化待ちか。
こうして、映画会社の策略に、まんまとハメられるわけだ。

2本目を観た後は、すでに時代祭の行列は通り過ぎた後だった。

高田渡の「コーヒーブルース」でおなじみの、イノダコーヒーも祭の人出でごった返していた。
高校を卒業した年の夏、京都に旅行した。
その時に、目の色を変えてこの店を探し出してコーヒーを飲んだ事がある。
ごく普通のホットコーヒーを頼んだら、頼みのしないのにコーヒーフレッシュをたっぷりと入れられて、なんとなくガッカリした事を想い出した



          

イノダコーヒー三条店。
高田渡が歌ったイノダコーヒーは、この三条支店ではなくて三条堺町の本店だという



イノダコーヒーの前を素通りし、京都文化博物館へ。
始皇帝と彩色兵馬俑展」を観覧。
兵馬俑への興味か、時代祭の影響なのか?博物館までもが、随分と混雑していた。


ぅわ~~~~~、ビックリした~~~~!!

2006年10月23日 00時24分04秒 | 無駄話
まさか時代祭の前日とはツユ知らず、土曜日に京都へ行ってきた。

夜、9時過ぎの地下鉄だというのに、京都市役所前駅でかなり混雑してきた。
ふと、通路を挟んで向かい合った座席の上の方に目をやると、窓と天井の間のあたりのスペースに張り出された広告に目が釘付けになった



夜の地下鉄の車内で写真を撮るなどという行為は、他人の目には、随分とアヤシイ行為に映ったのに違いない。
あらぬ方向にカメラを向けて、車内でフラッシュなど焚いてはいられない。
周囲の目を意識して、慌ててシャッターを押したためにピンボケになってしまったが、ご容赦いただきたい。
ご覧のように、とあるギターショップの広告である。
ワタクシは、この広告の黄色い文字のキャッチコピーを読んで、「まさか、ヤツ等がギターの世界にまで進出して来ようとはと、ビックリしてしまったのだ。
素直に『カスタムオーダーメイドギター製作』と読めば、何と言う事はなかった。
客の好みに応じた、特注のオーダーメイドギターを製作してくれる、という広告だった。
だが、思い込みというのは恐ろしい。
一体、何を思ったのかワタクシは、『カスタムオーダーメイドギター製作』と、心の中で読んでしまった。
なんとも妙な所で区切ってしまった物だ。
だが、一度『メイドギター』などと読んでしまうと、何度読み直してみても『カスタムオーダーメイドギター』とは読めない。
メイドギター』としか読めなかった、、、、、、、、

メイドギター』って、どんなギターだろう


鈴鹿よ!

2006年10月17日 22時13分41秒 | F1



こうして、鈴鹿サーキットではしばらく観る事が出来ないであろう、今年のF1日本GPレースが終わってしまった。


こんな風にしてF1に関しての連続エントリーをしてしまうと、ワタクシがよほどのレース好きかと誤解されてしまうかも知れないので、ボロが出ないうちに言い訳しておきたい。

自慢ではないが、未だにF1チームやドライバーの区別がつかない。
ホンダ、アグリ、フェラーリ、トヨタあたりならまだしも、どのチームにどんなドライバーがいるのかをやっと覚えた頃にはシーズンが終わってしまう。
シーズンが終わると一部のドライバーが移籍してしまうため、またもやチームとドライバーの名前が結びつかなくなる。

例えば、今年の場合、
目の前をフェラーリのマシンがかっとばして行っても、それがシューマッハなのかマッサなのかを区別する事ができない。
今回の鈴鹿F1観戦に備えて、運転席の後ろに搭載された車載カメラの色の違いによって、バトンとバリチェロのマシンの区別の仕方を予習してきたのだが、一旦レースが始まると区別がつかなくなってしまった、、、、、、、、、
琢磨と左近のヘルメットのカラーリングの違いはわかってはいるが、ビュンビュン走っている時には、これまた肉眼ではほとんど区別が付かない

ワタクシのF1日本GP観戦キャリアは、今回でわずか7回目。
鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催されて今年で20年目だから、決して多い方ではない。

生まれて初めて鈴鹿でのF1日本GPを観戦したのは、2000年10月だった。
毎年、鈴鹿のF1観戦に出かけている同僚のグループがあり、
彼らに、冗談で
「今年のF1チケット、余ってないん? 余ってたら行きたいんやけど。」
と話したら、一緒に行くはずだった人の都合がつかなくなったために、偶然にも1枚チケットが余っていたのだ

一時、バイクツーリングに熱中していた時期もあったため、オートバイレースの8時間耐久レースにも興味はあったし、TVのF1中継はレース毎にビデオでチェックしてはいたが、
それまでは、
「あんなに混雑する所まで、わざわざ行くヤツらはアホちゃうか?
と、思っていたので、まさかワタクシ自身が現場まで行くはめになるとは思ってもいなかった。

初めて鈴鹿でのF1日本GPに行った頃には、PCを持っていなかった
だから、当然、デジカメも持っていなかった。
フィルム式のカメラは持ってはいたものの、当時は写真を撮るという習慣がなかった。
鈴鹿サーキットへ行っても、ただただ同行者からはぐれないように付いて回るのが精一杯で、あたりを観察する余裕はほとんど全くなかった。

その時、初めての鈴鹿でのF1観戦で感じたことというと、、、、、
まず意外に感じたのが、フェラーリのマシンの赤色がTV画面で見る赤色と微妙に違って見えた事。
TV画面よりも、現物の方がずっと鮮やかな赤色に感じられた。
コースを走行するF1マシンのスピードやエキゾーストノートに感嘆する前に、フェラーリのマシンの赤色がやけに印象に残ってしまった。

予選はともかく決勝レースになると、観客席で観ているワタクシには、どのチームのどのドライバーが何位を走っているのかがほとんどわからなかった。
レースの模様は場内放送で実況放送されている。
周囲が静かな時ならば、その実況放送を聞き取る事ができる。
だが、たとえ1台のF1マシンであっても目の前を走行しているときは、エキゾーストノートにかき消されてしまい、実況放送の音声は途切れ途切れでしか聞く事が出来ない。
その上、レーススタート直後はともかく、途中でピットインするマシンが出てくると、いったい今どのマシンがトップにいるのかさえもが全くわからなくなってしまった。
コース内側の大型モニターでも映像で実況放送されているのだが、これがまた中途半端な大きさで、画面を見ても肉眼では順位などの数字を確認する事が出来ない。

場内放送とは別に、ピットFMという、サーキット内のFM放送でも実況されている。
FMラジオをヘッドフォンで聴くのだが、これまた、目の前をF1マシンがかっ飛ばしていくと、ほとんど聞き取れなくなってしまう。
去年は、ついにピットFMを聴く事をあきらめてラジオを持って行かなかった。
そうしたら、結局、コース上でのレース展開が全くわからないままに帰ってきてしまった。
今年は、FMラジオ付きカセットウォークマン(なんという旧式な言葉の響きであることか、、、、?)をインナーヘッドフォン(耳の穴の中に入れるヘッドフォン)で聴き、さらにその上から、ホームオーディオ用の耳たぶをすっぽりと覆うタイプのヘッドフォンをかぶせてみると、マシンの発する轟音に邪魔される事無く、なんとかFM放送を聴く事が出来た。

何よりも、鈴鹿サーキットに集まるファンのマナーの良さには感心した。
いや、感動した。
たいていの観客は、フリー走行、予選段階から、目の前を走るどのドライバーに対してでも手を振ったり、拍手を送ったりしていた事だ
それが、自分が応援するチームであろうが、なかろうが。
追い越しシーンが展開されるとなると、さらに盛大な拍手とどよめきの声が上がる
万一、クラッシュなどしようものなら、心配そうにモニターを覗き込み、ドライバーの無事が確認されるとまたもや大拍手
こういうマナーの良い人々は、一部の目の肥えたファンだけではない。
特にひいきチームもドライバーもない、失礼ながらどうみてもピクニック気分でやってきているようにしか見えない人達(ワタクシもそのカテゴリーに属するだが)も、ニコニコしながら応援している。

自分達が応援するチームの攻撃中には、試合の展開などそっちのけで立ち上がってひたすらわめきちらし、
相手チームに対しては、充血した目で常に聞くに堪えない汚いヤジを飛ばし、
相手チームのピッチャーが途中で交代しようものなら、ヘタクソなトランペットで、小馬鹿にしたように「蛍の光」を演奏し、
自分達のチームに不利なジャッジが出されると、審判にまでヤジを飛ばし、
得点チャンスに相手チームの選手のファインプレーで阻止されると、ペットボトルやらメガホンやら何でもかんでもグランドに投げ入れて、
グランドだけではなく、
ライバルチームを応援するファンが運営するサイトには、
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
などと、愚劣な書き込みを平気で行える、、、、、、、、、

自己の日常のストレス解消だけを目的とした一部のプロ野球ファン達と比べると、えらい違いではないか

以前から、サーキット内にあったのだろうか?
特にトヨタが参戦して以来、いつのまにか観客席に「トヨタ応援団席」だとか「ホンダ応援団席」といった物ができてしまった。
「○○○応援団席」と言っても、中身はトヨタあるいはホンダ系列会社の社員であったり、ディーラー主催のツアー客であったりするのだが。
例えば、その「トヨタ応援団席」からであっても、国内メーカーとして直接のライバルであるホンダをはじめとする他チームのドライバーに対して、大きな歓声が送られているのだ。

自慢じゃないが、猜疑心だけが強くて、継続してコツコツと努力する事など苦手なワタクシが、結局、7年も続けて鈴鹿サーキットにやって来てししまった理由は、このあたりにあるのだと感じている。

友人達とワイワイ言いながら鈴鹿までやってきて、
鈴鹿サーキットでガヤガヤ言いながら(キャンギャルには決して目もくれず)レースを観戦して、
帰りの渋滞で前に進まぬ車列を睨んでブツブツと言いながら、
夜の12時前後にクタクタになって帰って来る。
山あり谷ありの旅行気分を味わえる事も、一つの魅力だった。

混雑していない時であれば、ワタクシの家から鈴鹿まで3時間ほどで行く事ができる。
鈴鹿に行く時はまだしも、日曜日の決勝レースが終わった後が大変である。
15~16万人もの観客の何割が電車でやって来て、何割がバスを含めたクルマでやって来ているのかは知る術もないが、当然のようにサーキット周辺の道路は大渋滞となる。
それでも、何年かの経験を積んで学習してくと、少しでも帰りの渋滞に巻き込まれない位置に駐車場を確保し、例え遠回りに思えても、少しでも渋滞に巻き込まれない方向へクルマの進路を取る事によって、最小限のタイムロスで帰って来ることが出来るようになった。

だが、あとししばらくなのか、もっとず~~~~っとの間なのか?
とりあえず、鈴鹿でのF1レースは、今回でしばしのお別れとなってしまった。

長期的な今後の先行きはいささか不透明なのだが、少なくとも向こう5年間は、静岡県のフジスピードウェイで開催される事になってしまった。
フジまでは片道約600キロある。
来年からどうしようか?
それが、当面の課題なのだ。
今年の同行者達の意見は、
フジのF1を観たい
という方向で一致しているのだが、手元に集めた情報では、サーキットへのアクセスは鈴鹿より確実に悪いらしい。
そのうえ、何しろ土地勘が無いので、宿泊先の確保も大問題だ。

当分は、情報収集にネット上を駆け回らなければならない。
だが、まだ、フジ側からは、来年のF1GP開催についての具体的かつ詳細な発表は行われていない。

どなたか、有益な情報があれば寄せていただけばありがたいのだが
ご覧のあて先まで、ドシドシご応募いただきたい。


今年の鈴鹿でのF1日本GPが終わり、
サーキットを出ようとすると、
どこからか
「シューマッハにメッセージをお願いしま~す」
という、良く通る女性の声が。
そこには、その女性の連れなのだろう、
フェラーリの応援フラッグを地面に広げて
今にも泣き出しそうな様子で座り込み、
「悔しいです」
と声を上げている男性がいた。

座り込んだすぐそばに置かれた、ホンダ応援グッズが入った赤いビニールバッグを、申し訳ないが、ワタクシのデジカメはしっかりと捕らえていたのだ

 









大人の遠足 2006 / F1日本GP (6) 10月8日 F1決勝 スタート連写

2006年10月14日 16時44分34秒 | F1
インテグラレースが終わると、F1決勝レーススタートまでの間、セレモニーやら何やらがダラダラと続く。

中嶋悟など、内外の往年のドライバーを乗せた旧車パレードに続き、今度は旧型のF1マシンを元F1レーサーがドライブしてコースを1周する。
ここで、少しハプニングが起きた。スーパーアグリの鈴木亜久里代表がドライブするレイトンハウスのマシンが、コースをグルっと1周する前に途中でエンジンが止まってしまう。
マシントラブルが起きたらしく、亜久里代表のミスではないのだろうが、チームの士気に影響しないか、、、、、? 
などといらぬ心配をしてしまった。
亜久里代表のレース終了後のコメントでは、「あのストップで厄落としができたので、アグリチームは2台とも完走できたんじゃないか?」とか言っていたが



F1決勝レースのスタート前、場内アナウンスに乗せられて、各座席ブロックごとにスタンドが盛り上っていく。
S字コーナー前のホンダ応援団で一斉に応援フラッグが振られるさまは、ほとんど正面に位置するDスタンドからもどよめきが起こった。

さて、いよいよ午後2時。フォーメーションラップを済ませた各マシンが、スターティングポジションに着く。
ついにF1決勝レースがスタート
Dスタンドから見たスタートの模様を、連続写真で紹介する。
1秒間に1.5コマの連写撮影だ。
サムネールだと臨場感が足りないので、サイズはデカくなるが1枚ずつご覧あれ




















スタート地点のホームストレートから第1コーナーに突入して、続いて写真奥の第2コーナーに飛び込んで行く。
3枚目から現れる白煙は、フルブレーキングによって発生したタイヤスモーク。
やはり、インテグラレースのスタートの時とは迫力が違う。

予選、決勝での順位は、既に報道されている通りなのでそちらを参照されたい


大人の遠足 2006 / F1日本GP (5) 10月8日 決勝日

2006年10月13日 22時09分33秒 | F1



とにかくこの人出なので、身動きする気も起きない。アグリキャップや佐藤琢磨のカレンダーなどの買い物を前日に済ませておいて大正解。

人波を眺めていると、会場全体の色合いが感じられる。
これまでは、圧倒的に赤い色で充満していた。
それもフェラーリの赤。
フェラーリのチームカラーである、赤いシャツを着た観客が圧倒的に多かった。

だが、今年は、それに比べるとなんとなく白っぽい服装が目立つ。
白っぽい中に赤が点々としている。
どうしても日の丸からイメージするのだろう、日本の3チーム、ホンダレーシングも白と赤、トヨタレーシングも白と赤、そして、スーパーアグリも白と赤を基調としたチームカラーを持っている。
同じ赤色でも、フェラーリの赤と他チームが使う赤の色合いが違うように、同じ白と赤でも、チームによって微妙にその色合いが違って見える。
今年の鈴鹿サーキットに充満する白と赤は、ホンダやトヨタを押しのけて、スーパーアグリの白と赤が多数派を占めているように感じた。

実際、各レーシングチームのウェア類を販売するブースでは、スーパーアグリのテントに凄い行列ができていた。
スーパーアグリ・チームの予想を超えた人気には、ホントに驚いた


Dスタンドに向かう途中で弁当を探しているのだが、最初に通りがかった弁当屋さんには、なぜだか幕の内弁当を売っていない。
オニギリ2個とおかずが少々入った、通常の幕の内弁当の半分くらいのサイズの「オニギリ弁当」か、サンドイッチしか売っていない。
午前11時にもなっていないのに、またもや売り切れかなぁ?
と、いぶかりながらも、ヴォリュームとしてはいささか不満に感じながら、オニギリ弁当を手にしてDスタンドへ向かう

ところが、Dスタンドの手前にある弁当屋さんでは、幕の内弁当を売っていた。
もう一つ、余分に弁当を買うのもためらわれたのでそのまま通り過ぎた。
どうやら、今年の鈴鹿では、食料運に見放されていたようだ。

          


(呉越同舟。色んな思いをフラッグや自作の横断幕に込めて、スタンド最上段に掲げている)

さすがにオニギリ弁当だけでは足りないので、スタンド下の屋台で買った広島焼きを食していると、インテグラレースの決勝が始まった。

インテグラタイプR、1車種だけで行われるレースで、改造は許されずほとんど市販車の状態で競われる。
インテグラレースは、4輪レースの最高峰であるF1に比して対照的に、レースとしては入門者クラスのようだが、(使用車種がシビックタイプRになったりインテグラタイプRになったりするものの)毎年、F1の決勝の前にこのレースの決勝が行われる。
おそらく、既に10万人は超えているであろう大観衆を前にして、ドライバー達の張り切りようが手に取るように伝わってくる。

F1のサポートレースとして行われてきたこのレースだが、F1の開催権が来年からフジに移るため、こんな大観衆の前でこのクラスのレースができるのも、今年が最後となるわけだ。

 

          

(インテグラレースのスタート直後。フルブレーキングによる白煙は、迫力一杯

さてさて、午後2時からは、ようやくF1の決勝レースが始まる




大人の遠足 2006 / F1日本GP (4) 10月8日 決勝日

2006年10月12日 15時25分10秒 | F1

翌、10月8日は決勝日。

F1の決勝レースは午後2時からなのだが、前日の人出を考えるとのんびりと動いているわけにはいかない。
予測できない高速道路の渋滞を恐れ、名古屋のホテルを朝7時に出発する。

鈴鹿インターを降りるまではさほどの渋滞も無かったのだが、やはり、鈴鹿市内に入ると例年よりは交通量が多く、駐車場まであと一息になってから、クルマの列が動かない、、、、、、、
前日の土曜日にもサーキットへ来た人達が、
「土曜日はあれだけ混雑したのだから、日曜日は早めに到着しよう。」
と、皆、同じ行動を取ってしまったからなのか?



駐車場にクルマを置き、前日のように違う道に迷い込む事も無く、遊園地の正面ゲートにたどり着いたのが9時20分。
入場する前から、既に大混雑している。
例年ならば、決勝日であっても、混雑してくるのはお昼頃からだったのだが、この日も観客の動きは早い。
やはり、
F1、最後の鈴鹿」(ワタクシ達は、必ず鈴鹿に戻ってくると信じているが)
という言葉が、観客の足を早めているのだろう。

中嶋悟が、10時からホンダ・ブースに登場するという情報を事前にチェックしていたのだが、この混雑では難しそうな感じになってきた。
その時間までにはなんとかたどり着けそうなのだが、既に、ブリジストンやホンダブースの前は、客席に向かう人達と、各ブースを見物する人達の波がぶつかっていて、身動きするのが大変そうなので、あきらめてDスタンドの座席に向かう。

トヨタレーシングのウェアを着た集団が、整然と隊列を組み、両手に持った白く細長い風船を打ち鳴らしながら、
「トヨタ、トヨタ
と連呼して行く。
どうやら、トヨタ関連の新入社員達らしい。
研修の一環なのだろうか?
彼らもまた、動く広告塔なのだ。


前日の反省に立って、早めに弁当を仕入れ、この日はあまりウロウロしないでDスタンド席に座っている事にした




大人の遠足 2006 / F1日本GP (3) 10月7日 予選日

2006年10月11日 23時56分13秒 | F1

フェラーリを愛するがあまり、ある朝目を覚ましたら赤い跳ね馬の姿に変身してしまったというのだろうか? 
カブリ物だけでなく、良く見るとお腹にF1マシンのノーズ部分が、、、、、。
プライバシー保護のために気を使って目隠しを入れたら、よけいにアヤシクなってしまった

午後2時から始まるF1予選に備えて、今年の観戦ポジションのDスタンドに向かう。
途中、2軒ほどあった弁当屋のテントが、どうしたわけだか閉まっている、、、、、、
この時、時刻は午後1時半ごろ。
どうやらとっくに売り切れて閉まったようだ。
業者ですら、土曜日の来場者数の予測を誤ってしまったのか?
ホテルのバイキング形式の朝食で、タラフク食いだめしてきたつもりだったが、さすがに空腹感を感じてきた。
とりあえず、焼きそばで我慢することにする。
こういう時こそ、ビールさえあればしのげる飲兵衛がうらやましい

午後2時。
F1予選がスタート。
今年からノックダウン方式、という予選形式になったのだが、ワタクシには未だにイマイチ理解できない。
とにかく、予選上位から明日の決勝レースのスタートポジションが決まる。
目の前の赤いフェラーリは、(たぶん)シューマッハ。



ホームストレートから1コーナーへ進入するあたりに、Dスタンドがある。
右側を向けばホームストレートが見えるが、極めて残念な事に、ピット前のレースクイーンの姿までは見えない。



青いマシンは、ルノーのアロンソ。




F1予選の後、ほとんどノーマル状態のインテグラ・タイプRばかりで競うインテグラレースの予選が行われる。
インテグラレースの決勝は、翌日のF1決勝レースに先駆けて行われる。
日本中から勝ち上がってきた46台のインテグラが走行するさまは、壮観


インテグラレースが終わり、ようやく席を立つ。
通路の通行量は随分減っているはずなのだが、まだまだこの混雑、、、、、














大人の遠足 2006 / F1日本GP (2) 10月7日 予選日

2006年10月10日 00時53分39秒 | F1

12時28分、ようやく見慣れた場所にたどり着いた。
ここは、サーキット入り口のゲートを入ってすぐの場所だが、この人ゴミはどうした事だ
例年の土曜日の人出を大きく上回っている。
これでは、まるで、決勝レースが行われる日曜日ではないか、、、、、、

これまでのF1レース期間中で、入場者総数14万人だとか15万人だとかの群衆が集まるのは、決勝レースが行われる日曜日だけの事なのだ。もちそん、それ以前から泊り込みでやってくる熱心な観客もいるのだが、予選日の土曜日にやってくる観客数は、決勝日よりも随分と少ない。

やはり、
「鈴鹿でのF1レースは今年で最後かも?」 
との熱い思いが、観客の出足を早めているのだろう。
ネタを探して歩き回るのには、ほど良い込み具合になる土曜日が最適なのだが、これではどうにも動きづらい。

  
ブリジストン・ブースにたどり着くと、ちょうど、ブリジストンF1の顔である浜島氏と、ドリフトキング土屋圭一のトークショーが始まる所だった。
面白そうな顔合わせだが、残念ながらじっくりと話を聞いているヒマがない。


          

我らがホンダ・ブースでは、一斉にフラッグを振りながら応援の練習に余念が無い。

 

ホンダ・ブースの裏側のテントでは、ホンダ応援グッズを無料で配布していた。
これだけの長~い行列だが、ただグッズを受け取るだけなので、並んでみると意外にも早くブース裏側にたどり着いた。
テントから出たあたりの隅っこに座り込んで中身を確かめていたらば、
「通路に立ち止まらないで下さ~い」
と、アナウンスされてしまった

トヨタのF1マシン。

 

スーパー・アグリのスポンサー、オートバックス・ブース。
「写してねぇ
とばかりに微笑まれると、シャッターを押さなければ失礼というもの。
この後、13時より、ウェア類お買い上げの方に限定で、井出有治選手などによるサイン会が予定されていた。
さすがに、琢磨、左近はサイン会には現れない。


デンソー・ブースでは、恒例のジャンケン大会。



   



大人の遠足 2006 / F1日本GP (1) 10月7日 予選日

2006年10月09日 22時12分54秒 | F1

そういったいきさつでワタクシ達は必ず再び鈴鹿で開催されると信じているが、しばしお別れとなりそうな鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリを観戦してきた。

10月7日。午前8時半、名古屋市内のホテルを出て鈴鹿へ向かう。
鈴鹿まで、高速道路を使って約70キロ。
1時間もかからないつもりだったのだが、蟹江インター付近で発生した故障車が止まっていたり、四日市あたりでは、なんと約10キロの自然渋滞が発生したため、結局、2時間近くかかってしまった。

よくよく考えれば、この日は3連休の初日。
お出かけするのは、F1観戦者ばかりではない。
しかも、どうやら四日市付近には普段から交通が集中するようで、ワタクシの過去6年間のとぼしい鈴鹿F1経験の中でも、土曜日のF1予選日に名古屋方面から鈴鹿に向かった事がなかったため予想できなかったのだ。
鈴鹿市内に入ると、気のせいか、例年の予選日よりも交通量が多い。
サーキットから少し離れた駐車場にクルマを置く。
ここは、事前に予約する事が出来る穴場の駐車場なのだ。

いいトシをした男ばかりの4人組だったので、今さら仲良く連れ立って歩く必要も無い。
一同バラバラに歩き始めたのだが、近道のつもりで細い道に入ると、いつもの遊園地のゲートに通じるメインストリートにたどり着けない。
キョロキョロと前後の様子を探ると、見るからにF1観戦にやって来た人々が、ワタクシと同じ方向に歩いて行くので、「いつもとは違う方向かもしれないが、サーキットに着く事だけは間違いないだろう。」と確信する。
サーキット隣接の遊園地にあるジュピターという名前の観覧車が、例年通る道路から見るのとは丸っきり違う方向に見えている。
確かに、今までにこの道を通った事はない。



サーキット内では、午後からの予選に備えた調整のため、11時から各マシンのフリー走行が始まっている時刻。
クネクネした細い道沿いにフェンスが続き、そのフェンスの向こう側からF1マシンのエンジン音が聞こえてくる。
それも、すぐ近くに。
クルマ1台通るのがやっとという細い道路沿いの空きスペースには、私有地、社有地を開放した臨時の有料駐車場が営業している。
「駐車場 2日間 ¥25,000」などという大胆な看板に出くわし、驚愕する。
いつもと違う道筋をたどってたどり着いたサーキットの入り口は、なんともひなびた入り口だった。



今年のワタクシ達の座席は、ホームストレートから1コーナーに飛びこもうとするDスタンドなのだが、どうやら、そこから随分と離れたBスタンドの入り口から入ってしまったようだ。



2枚上の写真よりも見やすい、鈴鹿サーキットのサイトのスタンド案内図はここにおいておくが、このあたりには来た事が無い。ワタクシにとって新鮮な角度から眺められる良い機会なので、少し観察してみる事にする。
コース内では、フリー走行が続いている。



なるほど、自由席での観戦ものどかさを感じさせて良いのかも知れない。
今年は、ほぼ晴天に恵まれたが、傾斜がついたむき出しの地面なので雨が降ると大変らしい。

もう少し足を伸ばして、ヘピンカーブへ。



ここは、まさしく、ヘアピンの名に恥じない強烈なコーナーだ。
レースマシンが一気に減速して進入してくるため、写真を撮るには良いかもしれない。
ドライバーの表情も間近に観察できるかも知れない。
「スピードが遅すぎて面白くない。」と、ここでの観戦を嫌う人もいるが。
偶然、道を外したために、これまで見たことがない風景を見る事が出来た。
そう、少しくらい道を外したとて、前進し続けてさえいれば何度でもやり直せる。

F1予選が始まるのが14時。そろそろ、弁当を仕入れて自分の席に戻らなければならない。
もちろん、各レーシングチームやスポンサーの出店ブースにも立ち寄りたい。
Dスタンドへの道順を警備員さんに尋ねてみるが、フリー走行中のF1マシンのエンジン音にかき消されて会話にならない、、、、、
サーキットのコース図を見せてもらいながら、何度も聞きなおす。
このままコース沿いに行けばDスタンド方面に行ける,という事を教えてもらい、Dスタンドに向かう。
移動しながら気付いた。
通路は満員だ。
これでは、まるで日曜日の決勝レース前の状態ではないか、、、、、、


風よ鈴鹿へ

2006年10月06日 09時23分23秒 | F1
さぁてこれで、しばしお別れとなる鈴鹿へ出発
今年は、Dスタンドでの観戦。
万一、雨が降ると、ちとつらい座席だが。
TVに映っていたら、手でも振ってやってください。

最近下がってきたとは言え、三重県のガソリンは高いんだよなぁ、、、、
まだ気が早過ぎるが、鈴鹿の想い出などを貼りつけよう。



2000年 2コーナー付近Eスタンドからの風景(スキャン画像)。
画質が悪いが、スポンサーの看板が変わった事などもあり、今とは少々雰囲気が違う。

          

2002年のF1弁当 ¥1,000。
中身は、塩サバ、コロッケ、ウィンナー、玉子焼きなど、ごく普通の幕の内弁当。
それにしても、このインパクトのあるキャッチコピーはどうだろう{/eq_2/
}最近、このパッケージで売られていないのが残念

          



2002年 ブリジストンブースに現れた佐藤琢磨(当時、ジョーダン・ホンダ所属)。
ナマのF1ドライバーを目の前にしたのは、これが始めてだった

           
         
2005年 スタート直後、佐藤琢磨(BARホンダ)とバリチェロ(フェラーリ)が接触
申し訳ないが、シューマッハに対する興味は薄い。



はいはい、ぼちぼちいきましょう

2006年10月04日 00時12分50秒 | 音楽

このブログに住み込む前は、某電話会社系のネット・コミュニティ・スペースに潜んでいた。
そこは、テキストデータだけの世界。
しかも、フォントサイズもフォントカラーも選べない。

将来の参考のために、
と、巷で流行のブログサービスを比較検討する作業に入った。
比較検討するだけのつもりだったのだが、時あたかも2005年のF1日本GPを間近に控えていた。
この際、サーキットで撮った写真をブログに上げてみよう
と、数あるブログサービスからgooブログ無料版を選択して、F1日本GPに間に合うように駆け込み登録したのが去年の10月4日

要するに、ブログ開設1周年となったしだい

当初は、無料版を使ってみて、気に入ったならば有料版に乗り換えようと思っていたのだが、まだまだ頑張って無料版ユーザーの地位に甘んじていこうと思う。
これには少しばかりの理由がある。
有料版の方が多機能らしいのだが、万一、ワタクシの生命体としての機能が停止した場合(必ずやってくる)、有料版だと入金が停止したとたんにブログ自体が削除されてしまう可能性が大なのだ。
それに対して、入金するという作業が必要ない無料版だと、主の存在の有無に関わらずにブログ自体は存在するだろうと考えている。
長期間ログインしていないのがgooサイドに知られた時には、仕方が無いが。

とりあえずこのまんま無料版にあぐらをかき続け、画像フォルダーが満杯になれば、有料版に移行する事を考えてみよう。

去年、開設当初の自らのエントリーを眺めていると、テーマ探しに苦労している様子が手に取るようにわかる。
それはそうだ、わかるはずだ、何しろ自分自身の事だから。

検索ロボットしか訪問しないようなサイトだが、運悪くたまたま通りがかった方にコメントをいただく事もあった。

その前年に亡くなった。尺八奏者だった叔父についてのエントリーは、叔父と同じ地域に住む尺八奏者の方からコメントをいただいた。
当然の事ながら叔父の本名は記述していないのだが、生前の叔父と同席した事があるという事だった。
まさか
驚いた
叔父は、ワタクシが思っていた以上に優れた尺八奏者だったという事を再発見できたのだが、こんなブログを、叔父を知る人が読んで下さった事に感謝した。
今年、叔父の1周忌の場で、叔父の娘である従姉妹から昔の話を少しだけ聞くことができた。
従姉妹達はネットには興味が無さそうで、ブログという仕組みを説明するだけで膨大な時間を費やしそうに感じたので、さすがにワタクシのブログの話まではできなかったが。

ロボット検索といえば、手当たり次第に無用なトラックバックを飛ばしてくる、いわゆるスパムトラバというヤツが来る時がある。
無用なトラバを拒否したり削除する設定について、あれやこれやと書いていると、何人かの方からアドバイスのコメントをいただいた。
要領がわからなかったワタクシは、一時はトラバを一切受け取らない設定にしてしまったのだが、アドバイスのおかげで迷惑トラバの削除方法がわかったため、現在ではトラバを受け取り、その都度スパムトラバを削除する設定にしている。
その時にアドバイスをいただいた中のお一人の方は、各メディアで話題となったつま恋コンサートにバスツアーを組んで参加されたという、拓郎の大ファンの方だ。
その方が、つま恋コンサート当日にTV局から取材を受けていたらしい。
どうやらそれも、その場でいきなりインタビューされたという事ではなく、事前に取材依頼があったというから、画面にも登場したのだろう。
残念な事に、BSレジスタンス活動を続けている我が家は、BS受信環境には無い。
だが、友人がつま恋ライヴをDVDに収録しているはずだ。
近いうちにヤツを脅して、DVDを拝借して、是非とも確認しなければならない。

三木市民会館での押尾コータローライヴについてのエントリーには、あの日、同じライヴ会場にいたという方からコメントをいただいた。
ワタクシよりも熱心な押尾コータローファンの方で、ワタクシよりも前の座席に座っていたらしいという事に、嫉妬した。

そして、ついこのあいだ、
初めて行った山崎まさよしライヴについて、うっかりとエントリーしたらば、不覚にも、まさやんファンの方に見つかってしまった
2枚ほどの写真を貼り付けて、
「ライヴに行ってきました」
で済ませておけば良かったのだが、
ついつい話を膨らませて引き伸ばしているうちに山崎まさよしライヴについての数々の疑問が沸いてきた。
そうすると、数々の疑問に対する回答をいただく事が出来た。


1年やっているうちに、なんとなく核となるテーマが見つかった。
大した事ではない。
手持ちのLPレコードやCDアルバムの写真をアップして行くことだ。
既に、アルバムジャケットは全てデジカメに収めてある。
だが、コメントをつける作業には、予想したよりもてこずっている。
1枚のアルバム紹介に費やす時間が思ったよりたくさんかかってしまい、ちょっと大変なのだが、自分自身のデータベースにもなりえるかも知れない、と考えて、ぼちぼちと進めて行こうと思う。


とにかく、のんびりやって行こうっと

以前から潜んでいるネット・コミュニティ・スペースで知り合った方々など、他にもコメント、トラバをいただいた方々、どうもありがとう











鈴鹿をめぐる冒険

2006年10月03日 17時30分53秒 | F1

もたもたしている暇は無い。
6日(金)から9日(日)までの鈴鹿行きが、目の前に迫ってきた

この先ず~っとなのか、あと数年なのか?
いつまでになるのかはわからない。
来年以降、しばらくは、実質的に鈴鹿でF1レースを観戦する事ができなくなった。

(ワタクシの推測に過ぎないが)トヨタのなりふりかまわぬ政治力が実を結び、来年からの日本でのF1GP開催は、フジスピードウェイに決定されている。
フジで開催されるのが10月、ならば春頃に鈴鹿での開催も夢ではないはず、、、、、、
と、わずかな期待を胸にしてきたが、それも無理な様子になってきた。
F1レースを統括するFIAという組織の総会で、来シーズンの最終的なレースカレンダーが決定されるのだという。
この総会が終わるまでは、来シーズンの鈴鹿での開催の可能性が無いわけではない。
しかし、この総会とやらが開かれるのが12月になるため、ここで来年春の鈴鹿での開催が決定されたとしても、今度はレース開催のための準備期間が足りなくなって間に合わないのだ。

フジとFIAとの契約が、向こう何年間の契約なのかはわからないが(調べればわかるのかな? よし。)、鈴鹿でのF1GP開催は、少なくともあと5年くらいは無理だろうという説が有力になっている。
その上、最新ニュースによると、2010年から韓国でF1レースを開催するという契約が結ばれたようなので、いよいよ鈴鹿が入り込める余地が少なくなってしまったわけだ。

という事で、今年の鈴鹿F1GPを見逃すわけにはいかない。
来年からのフジでのF1GPを観戦するかどうか、、、、、、?
これは、別問題として、、、、、、

是非とも、鈴鹿へ
そういう思いはワタクシ達だけではないようで、今年の日本GPに関しては、オークション・シーンでも関連するチケット類の相場が、グラグラと沸騰して煮立っている状況のようだ。

オークションでは、

グランドスタンドの「S2」エリアで観戦券、指定席券込み、ペアで10万円余りの席が20万円以上、
一番最高値の「V」エリアでは、ペアで計13万8000円の席に35万円以上、
さらに、ピット上階の特別エリアで観戦する「パドッククラブ」(ビュッフェスタイルの食事とフリードリンク、記念グッズ、専用駐車場、ピットウオークつきの豪華チケット)は、ペアでオークション開始価格50万円に対し80万円の入札があったという。

なりふり構わずオークションで競り出されるのは、観戦座席のチケットだけではない。

サーキット内駐車場の駐車券(1台3000円)が、5万円以上の相場だという。
5万円以上も出してサーキット内の駐車場にクルマを置いても、大渋滞のために、レース終了後2~3時間はそこから出る事ができないはずだが、、、、、、

そして、名古屋から最寄り駅までのJR・伊勢鉄道直通臨時列車の特急券(ペアで3100円)までもが1万円以上の値が付いてしまったとは、、、、、、、、、、、

鈴鹿サーキットの指定券は、6月中旬に既に売り切れていて、例年では当日でも買う事ができた自由席券は9月中に売切れてしまったそうだ。
という事で、鈴鹿サーキットではこれ以上のチケットを売らないために、今年の入場者数は、早くも確定してしまった。
15万4千人

この異常にバブリーな状況が生まれた背景には、次のような事象が影響している。

鈴鹿でのF1GPが今年で最後(ワタクシは、是非とも復活してくれる事を信じているが)という事であり、
また、フェラーリのシューマッハが今年限りでの引退を表明したという事、
ホンダのバトンがF1参戦第3期初の優勝を遂げた事、
そして忘れてならないのが、まだまだ戦績は上がらないものの今年からオールジャパン体制で参戦しているスーパーアグリ
満を持して投入されたSA06というマシンが、来年、SA07にバージョンアップする事ができるのか? 
と、
今年の状況を観る限り、こういう疑問が浮かんでは消えていくが。

おそらく、周辺のホテルの宿泊についても、さきほどのオークション・シーンと同じような状況になっていると思われる。
サーキットから直線距離にして50キロ圏内の宿泊施設は、決勝日の前日は、とっくに満室状態のはずだが、この時期、ネット上のF1情報の各種掲示板上には、宿泊権という聞きなれない言葉が飛び交っているはずだ。
宿泊権、、、、、、?
そんな言葉があるのだろうか?

その掲示板には、こういう書き込みがされる、、、、、、

「F1レース観戦のために、○○市内の△△ホテルに予約していましたが、もっと近い××ホテルに予約する事が出来ました。最初に予約していた△△ホテルの宿泊権を、希望者の方にお譲りします。ただし、△△ホテルの予約に際しては随分と時間と労力を使ったために、それ相応の対価をいただきます。」

どうだろうか?
これで宿泊権という言葉の意味が理解できただろうか?
予約した人物(掲示板に書き込んだ人物)の名前を使って宿泊できる権利、、、、、
といった所だろうが、それなら電話1本でキャンセルするなり、何も上乗せしないでどなたかに譲ってあげれば良い物を、わざわざそれ相応の対価を要求してくるという事は、満室状態の中、なんらかのコネで宿泊予約する事ができるヤツにより計画的なぼったくりに違いない。
このそれ相応の対価とは、具体的にいくらくらいなのかは全く不明だが。

ここで間違えてほしくないのは、いくら売り手相場とはいえ、ほとんどの鈴鹿周辺の宿泊施設ではプレミア料金を付けてぼったくったりはしないという事。
なんらかの紳士協定が存在するのだろう、せいぜい、夏休みなどに適用するシーズン料金を設定する程度で、ほぼ通常期と同じ料金設定をしている。

ここからは、駐車場のお話。
レース期間中は、サーキット周辺の空き地が臨時の有料駐車場としてオープンする。
相場は、1日あたり¥3,000~¥5,000。
いったいどういう団体なのかが不明だが、この有料駐車場の予約をネット上で受け付けているサイトがある。
このサイトを見つけた時には、これは便利だなぁと思い、ワタクシも思わず予約しそうになったのだが、料金が前払いだという点に警戒心が強まってきたのでそのサイトには手を出さなかった。
そのサイトは、例年、それなりに問題なく駐車場の予約業務をこなしていたようだが、どうやら今年はトラブっている様子だ。
前払い金を取って予約を受け付けておきながら、業務を放棄したのだそうだ。
返金を求めて連絡しても全く応答が無いという、、、、、、、

ワタクシの場合は、運よく名古屋市内のホテルの予約も取れたし、4年前にたまたま発見した格安の駐車場にも予約する事が出来た。
周辺にうごめくアヤシイ罠に落ちる事無く、、、、、、、、、、、、、、、



さて、そろそろ鈴鹿行きの準備に取り掛からねばならない





山崎まさよし HAND MY ADDRESS 2006 ツアー (補足)

2006年10月02日 20時03分10秒 | 音楽

山崎まさよしライヴについてはケリをつけたつもりだったが、少し補足しておきたい。
というのも、ついつい第一印象から判断して、バックで演奏していたベーシストとドラマーを「プロレスラー」呼ばわりをしてしまったので、寝覚めが悪かったのだ。

まず気になって仕方がなかったのが、ベーシストの中村きたろうという名前。
確か、久保田利伸がアメリカ征服に出かける前に率いていたバックバンド、MOTHER EARTHのベーシストもキタローという名前だったなぁ、、、、、、?
だが、スキンヘッドで、先日のプレイスタイルからすると、久保田のバックの時みたいにンペンペ・チョッパーで暴れまわる事も無かったし、別人だろう。
でも、きたろうなんて名前は、めったな事で可愛い我が子に親がつける名前ではないから、そう何人も日本中にきたろうなどという名前のベーシストが存在するとも思われないし、、、、、(本名とは限らないって、、、、)

それで、ベーシストの中村きたろうについてググってみた。

ネット検索をする場合、とても大事な注意点がある。

それは、ネット検索をして、たどりついたホムペあるいは日記サイト等に書かれていることが真実なのかどうか?
という事だ。

例えば、山下達郎夫人であるところの某シンガーの夫が、いつの間にやらジャイアンツの選手にされていたり、、、、、、
そして例えば、亡くなった偉大な上方落語家が、いつの間にやら奥さんとは別の女流三味線漫談家と結婚していたり、、、、、、

ネットには、きっと酩酊した上で書かれたのであろう、という胡散臭い話がたくさん転がっている。
たくさん転がっている中で、どうやって正しい情報にたどり着くかという直感が必要になってくる。

そういう点に充分注意しながらググってみた。

だが、運の悪い事に、中村きたろうのオフィシャルHPが見当たらない。
彼に関して、他にヒットしたサイトをチェックしてみると、
プロデュースや編曲でも活躍していてセロリのアレンジもしているらしいこと、
アナム&マキのサポートや療養中の忌野清志郎の現在のバンドメンバーらしいという事以上に、詳細なプロフィールが見当たらない。

ところが、オフィシャルではないが、ファンが運営しているというkitaroh websiteというサイトを発見。
なんと、そのサイトのプロフィール欄には、
’86年~久保田 利伸のツアー、レコーディングに参加。とある、、、、、、
ああ
まさかと思っていたが、ワタクシがレンタルビデオ店から借りてきてコピーして、あの頃繰り返し何度も鑑賞した久保田利伸ライヴ前後編に出ているきたろうと同一人物だったのか
誰か、それを先に言っておいて欲しかった

だ、だ、だ、だ、だまされた、、、、、、

こないだの山崎まさよしの時とは、随分とプレイスタイルが違うぞ~、
本人の外見も随分違うぞ~
さらに『プロデュース・ワーク』のページをクリックすると、
過去には、
久保田のバックコーラスでもおなじみのアマゾンズ、歌姫マリーン石井竜也などに混じって、おやじダンサーズまで手がけている、、、、、、
しかも、キンキキッズあかんよbabyという曲にいたっては、没になっているという事まで公表しているのがおもしろい。


一方、ドラムスの江川ゲンタについての情報は、これ以上にてこずった。
またもや、公式サイトが無い上に断片的な情報しか見つからないのだ。

いわく、DJもやっているとか?
DJって、ラジオで喋ってる人?
それとも、騒々しい場所でターンテーブル回してる人?

いわく、野狐禅ってバンドのサポートもやっているとか?
で、このバンド名、どう読むのさ?

などという事が小出しにわかるだけ。
もういい加減で検索作業をやめようかと思っていたらば、とあるブログに重大な秘密が隠されていた。

これまたなんという事だ
そこには、江川ゲンタは、日本が誇るサルサバンド、オルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーだという記述があった
まさか?
と思って、手持ちのCDやマジソン・スクエア・ガーデンのライヴビデオを確認してみたが、メンバーの中に該当する名前は無い。
という事は、最近活動を再開した新生デ・ラ・ルスの事だろうか?
と、デ・ラ・ルスのホムペでメンバー名をチェックしてみると、あったあった
新生デ・ラ・ルスで、GENTAという名前でティンバレスを担当しているではないか
誰か、それを先に言っておいて欲しかった

これで、二人のプロフィールの一端が見えた。

ベースの方はともかく、ここでドラマーの江川ゲンタに言っておきたい事がある。
大きな声を出すと、ファンに聞かれてしまうかも知れないので、小さい声で言っておきたい事がある。

「まさやんのバックでドラムがうるさ過ぎるぞ~!」


さて、もう一言。
『HOME』というアルバムのプロデュースは、ギターを抱えた評論家、萩原健太だったのか