またもや、佐々木久美さんのブログで意外な事実を知った。
あの頃の上田正樹のコーラス陣には、後のAmazonsのメンバーがいたらしい。
ふ~~~ん
いつもと違うウォーキングコースを取ってみると、いつの間にか高速道路の橋脚が姿を現していた
ワタクシにとっては、ここから先の高速ルートはさほど利用しないと予測されるので、以前は畑ばかりだったこのあたりの買収価格がいくらぐらいだったのかとか、どうでも良いような事に興味を惹かれてしまう。
道路の全体像ではない橋脚だけの姿というのは、工事中しかお目にかかれないもので、性格に素直さを欠くワタクシには、妙にシュールな風景に見えてしまう。
ある日突然、人類が全滅した後のとある惑星の風景として、SF映画に使ったとしても、違和感は無いぞ。
それにしても低画質のブレブレで、如何に古いケータイを使っているかが露呈してしまった
オンキョーの、X-T1XというCDMDコンポが、ようやく修理を終えて戻ってきた
チューナー、CD、MDがセットの、一見すると大した事のないコンポだが、実はワタクシのニーズに大きくマッチしているスグレモノである。
こいつで、我が家のバスルームにミュージックを供給しているのだ。
バスルームの天井に、BOSEの防水スピーカーを取り付け、スピーカーセレクター経由で本体に接続。
さらに、別売りのiPodドックを接続して、iPodのミュージックをランダム再生する仕掛けだ。
その上、留守中のFM、AMプログラムをMDにタイマー録音して、録音した番組をiPodに取り込んでいるので、大いに重宝しているのだが、昨年暮れあたりからタイマー録音できない時があったりして、MDの調子が悪くなってきたので修理に出していたのだ。
たった今、引き取ってきてセッティングを終えたところ。
だが、ラジオ局の周波数やタイマーセット時刻やら、本体の時計設定やら、果てはトーンコントロールの設定やら、修理に出す前にセットしていたすべてのメモリーが消え去ってしまったので、ようやく再設定を終えたところ。
これだから、デジタル機器を修理に出した後のセッティングがメンドクサイんだなぁ、、、
無くてはならない存在とはいえ、今回の修理費は痛かった、、、、、
2年前にシマムセンでの本体購入価格が\30,000だったのに対して、修理費が、\17,640もかかったしまったから、、、、
修理といっても、一つや二つの部品を交換したわけではなく、MDのアッセンブリー丸ごと交換してしまったので、こんだけの修理費になってしまったのだろう。
もちろん、メーカー保証は既に期限切れ。
たいていの電気製品は、保証期限が切れた頃に故障するように設計されているのだろう。
かといって買い換えようにもこの機種は既に廃盤である。
チューナーからMDにタイマー録音できて、その上iPodを接続できる機種は、他メーカーを探してみてもめったな事では見当たらない。
だいたい、MD自体が既に時勢から外れてしまっている。
MD本家のソニーには、利益を度外視してでもMDシステムを存続し続けてもらわなければならない。
そういうわけで、修理からあがってきたこいつを後生大事に使い続けなければならないのだが、次に故障したらばどうしようか?
と悩む今日この頃であった
まだ、可愛いおチビさんだったある日、
母親が、枡にいっぱい入れた煎り豆を手に、
「豆まきしようか」
と、ニコニコして言い出した。
TVで見るような豆まきを一度はやってみたいとは思ってはいたものの、
「あんな事、家の中でやったら後片付けが大変じゃないか」
と、どっか現実的な心配もしてしまう、純真な子供だった。
何しろ、家の中を散らかしていると、いつも鬼のような顔で怒っていたのは母親なのだから。
「いいから、鬼は外、しよう」
と、時には鬼のような顔で怒っていたはずの母親から、ニコニコしながら豆がいっぱい入った枡を手渡されたのだ。
さすがに最初は、できるだけそ~っとまいた。
障子にぶつけると破れてしまうので、障子は避けた。
襖のあるあたりにはできるだけそ~っとまいた。
居間や台所や玄関や、、、、、
豆まきをする場所が変わるたびに、ホントにここに豆をまいて良いのかどうかを母親に確かめながら、
「鬼は外、福は内~」
と、例の決まり事を口にして、家の中のあちこちにをまいた。
母親公認で家の中を散らかすという異例の事態に、最初はオドオドしながら豆まきをしたが、いつしか楽しくなってしまった。
何しろ狭い家なので、楽しくなった頃にはあっという間にまき終えてしまった。
今、考えてみると、豆まきの後に掃除した記憶など無い。
家の中だから、まいた豆は、誰かが片付けなければならないというのに。
という事は、ワタクシが風呂に入っている間に、母親が片付けをしてくれたのかな?
それならば、豆まきしたのは、夜だったのかもしれない。
あの日、父親は仕事で不在だったのだろう、母親の笑顔しか記憶に残っていない。
あの頃は、意思の疎通がうまく出来ていたんだろうかな。
そんな時期もあったんだ、きっと