lizardbrain

だらだらぼちぼち

鬼よ笑え

2010年12月31日 00時06分48秒 | 無駄話

今年の分と来年の分、
ドコモショップでもらった卓上ディズニーカレンダーを、こたつの上に並べていた。
今年の分はもう必要ないだろと思い、今年の卓上カレンダーを
「ビリビリッ」
と、2つに裂いた。
2つに引き裂いたカレンダーを、ゴミ箱に捨てる前に気が付いた。
たった今、引き裂いたカレンダーが来年のだった事に、、、、、、
あわててゴミ箱から救出して、破いた箇所をセロテープで張り合わせたので、もう大丈夫。
破いてしまったのは、1月から4月までの分だった。
この事件が、来年のワタクシの運勢を暗示しているのではない事を祈るばかり。

それにしても、来年の達郎ツアー。
ライヴでのMCによると、ライヴハウスも計画してるらしい。
ライブハウスだけだろうか?
まさか、それは無いだろう。
ホールもライヴハウスもやりたいという事だろうな。

ワタクシは、ライヴハウスが苦手なのだ。
まず、ライヴハウスの座り心地の悪い椅子が苦手だし、
ホールならば後方に行くにつれて標高が上がっていく床に対して、ライヴハウスの平べったい床が苦手だし、
手拍子足拍子皆で踊ろうオールスタンディングになろうものなら、腰痛持ちのワタクシはどうすればいいんだろうとドキドキしてしまうチキンハートで体力の無い自分自身が嫌になるし、、、、、、

「年齢層を考慮して、スタンディングにはしませんから」
と、達郎が言っていたとはいうものの、ライヴハウスは避けたい。
とはいうものの、狭~いライヴハウスのステージに躍動する達郎バンドの勇姿も目撃してみたいし、、、、

どないしょ?



それはそうと、例のお好み焼きクイズ。
いよいよ正解を発表する時間がやってきた。

第1問の回答は、
『ぼでぢゅう』ツイン21店

第2問の回答は、
『めっせ熊』梅三小路店。

当選者の発表は、賞品の発送を持って代えさせていただきます












テレビで見たつま恋

2010年12月30日 22時10分06秒 | 音楽

たまには褒めてあげよう

よくやってくれたゾ、NHK

『吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋2006総集編』が、12月25日、あきらめていた頃にようやくNHK-BSハイビジョンで再放送された。
確か、2006年のつま恋は生放送で中継されたはずだが、わけあってその生放送を体験できなかったので、満足、満足。

2006年当時のワタクシは、熱く燃えるBSレジスタンスの闘士だった。
闘志の意気込みを世に知らしめるために、パラボラアンテナもHDDレコーダーも持ち合わせていなかった。
だから、地上波しか受信できなくて、この生放送をDVD録画した人に借りて、チャチな画面のノートPCで鑑賞するのが精一杯だった。
そのチャチな画面でつま恋ライヴを鑑賞していたおかげで、拓郎の2006年12月神戸のライヴの予習になったのは間違いない。
あん時の拓郎のMCトークは、ほとんどがつま恋のエピソードだったので、つま恋ライヴを鑑賞していなければ、そのトークの面白さを実感できなかっただろう。
あきれかえるほど、各TV局がつまんない特番ばかり羅列する年末のこの時期に、2006年つま恋総集編を放送してくれるとは思いもよらなかった事で、さっそくDVDに保存した事は言うまでもない。

この時のつま恋のハイライトは、
『落陽』の長~いエンディング場面で夜空に打ちあがる花火と
中島みゆきが登場するシーン
の2箇所に尽きると思う。

この熱狂の2つのシーンを、以前のようにチャチなPC画面ではなく、50インチプラズマで鑑賞しながら、またもや拓郎と一緒に唄ってしまうシアワセな時間を過ごしてしまったのだ。

ただ、どうしてもかぐや姫、特にこうせつが喋っている部分にどうしても違和感を感じてしまい、DVDに焼く前にかぐや姫の出演シーンをカットしようと思ったが、前後の流れが悪くなりそうなのでそれは止めておいた。
最近のこうせつ、好きじゃないなぁ、、、、、
まるで、昭和の時代に、お盆休みになるとTV特番で脚光を浴びた懐メロ歌手みたく感じてしまう、、、、、、








色あせないフレーズ

2010年12月28日 21時14分34秒 | 音楽
矢沢永吉 CONCERT TOUR 2010 『TWIST』 IN BUDOKAN

12月19日の武道館ライヴをWOWOWが生中継。

スポーツ中継と同じ事をやっているんだと考えると、大した事ではないかも知れないが、機材トラブルやらなんやらと、いったいどんなアクシデントが発生するやも知れない音楽ライヴを生中継するってのも、勇気のいる事だと思う。
例えば開演が大幅に遅れて、最悪の場合、ライヴが終わらないままに予定した放送終了時間が終了する可能性もあるわけで、こうなると、ライヴの生中継というのは、ある意味でギャンブルなのかも知れない。

ステージ上のマイクアクションで、
「ズン!」
と、永ちゃんがマイクをつかむ時の音がリアルに届くのも生中継のリアル感か。

一時は、永ちゃんにはまっていたワタクシである。
ソロデビューアルバムの『I LOVE YOU O.K.』から『ゴールド・ラッシュ』までの全アルバムを買い揃えていた。
『時間よ止まれ』が大ヒットした『ゴールド・ラッシュ』以後は、なぜか永ちゃんのアルバムを買っていないのだが。

そんな中途半端な永ちゃん歴のワタクシだが、この日の武道館での演奏を聴いて気が付いた事がある。

『時間よ止まれ』の間奏のギターフレーズだ。
『ゴールドラッシュ』に収録されて、馬鹿でかいシングルヒットとなった『時間よ止まれ』に収録されている間奏でのギターフレーズをほぼそのまんま踏襲していた。
途中で、ハーモニカが絡んでくるが、オリジナルレコードで吉川忠英が弾いたフレーズとほぼ同じだった事に気づいた方は、是非ともお知らせいただきたい。

TV中継は開演ちょっと前から始まったので、開演前の客席の様子も映し出されていた。
スタンド席もアリーナ席も、ひたすら、
「永ちゃん、永ちゃん、永ちゃん、、、、、、、」
と、連呼していたのが、永ちゃんライヴになじみの無いワタクシには、ちょっと異様な雰囲気を感じてしまった。

「永ちゃん、永ちゃん、永ちゃん、、、、、、、」
の連呼は、演奏中も続いていたようで、この人達は演奏を聴いているのかなぁ? と、いらぬ心配すらしてしまった。

永ちゃんの音楽は嫌いではないけれど、ライヴ会場に集結するファン層を考慮すると、ライヴに行くにはちと勇気が要るかも。
どなたか付き添いをお願いできますか




ダブル摂取

2010年12月27日 21時10分28秒 | 無駄話


世評によると、関西人はなんのこだわりもなくオーダーできるのが、お好み焼きとご飯のセット。
炭水化物の2重摂りを見て、眉をひそめる方もいるらしいが、
なこと言われてたって食べたいんだからしょうがない

さて、ここで問題です。

このお好み焼きは、どこの店でしょうか?
(広角レンズのカメラなんでお好み焼きよりもご飯の入ったどんぶりの方が大きく写っているが、実際はお好み焼きの方がちょい大きめです)

正解は、CMの後で


souvenir again 竹内まりや live 2010 大阪城ホール 12/21

2010年12月23日 20時44分37秒 | 音楽


予報どおりに降りだした雨の中、妙にブレながら船が向かって来て、


橋を渡り終えて階段を上がった広場に、妙にブレながら、観客が集まって来ると、


12月21日、
大阪城ホールでの竹内まりや2daysライヴ初日開場を告げる合図だった。

特段、オンナ嫌いというわけではないが、ワタクシがジャズ以外の女性アーティストのライヴを観戦するのは、とても珍しい事で。
Y君の旅立ちが無ければ、この日の竹内まりやのライヴに行くことは、おそらく無かったろうと思う。
神戸での達郎ライヴがあった日、Y君の奥さんを訪ねてランチした。
店の名前は憶えていないが、元町の、元は専売公社があった建物らしい。
蒸した野菜料理のセットを食しながら、Y君の話題の合間に、一緒に行ったT君が、
「お得意さんとの付き合いで12月の竹内まりやのチケットを申し込んでみたら、見事に2枚ゲットした。」
と、ポロっと漏らしたのを聞き逃すワタクシではなかった。

9月10月頃はそうでもなかった。

が、
「きっと、旅立ったY君がお膳立てしてくれたのではないか?」
と、
時間が経つにつれて、そういう気持ちが高まってきて、まりやのライヴに行きたい気持ちが盛り上がってきてしまった。

その上、達郎の最後の大阪フェスでのサプライズゲストでまりやが登場した時の会場の熱狂が、何度もフラッシュバックしてきたので、このチャンスを逃す手は無いと決断した。

T君は、きっと、まりやのライヴには、自分のカミさんと一緒に行くんだろうと思い込んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
カミさんと一緒に行くのではない事を何度も何度も念を押して確かめた上で、余っているチケット1枚を譲ってもらった。
T君がカミさんとライヴに行かない主義なのか、それともカミさんのほうがT君と一緒に出かけない主義なのか、その辺の事情は、あえて問いただすことをせずに、ウヤムヤにしておいた。
エライぞ、ワタクシ。
これぞ、男の優しさというもんだ。

ワタクシは、この大阪城ホールのような、いわゆるアリーナと呼ばれる大きな会場でのライヴは不得意で。
過去に、2006年3月、東京ドームでのローリングストーンズの時と、2007年2月、大阪中央体育館でのスティーヴィー・ワンダーの時の2回、あ、そうそう、20年以上前に日本武道館でジェームス・ブラウンを観てひどい目にあったっけ、だから今回がたったの4回目のアリーナ会場でのライヴという事になる。
しかも、大阪城ホールは初体験であった。
初体験のホールながら、巷間に広まる通説として、こうしたアリーナ会場は音響がメチャ悪いというのは覚悟してはいた。
スタンド席だからなのかどうなのか、確かに、覚悟した以上に音響は悪かった。

ワタクシ達が座ったのはスタンド席のMブロックで、この日のステージ配置は、ステージパターンAだった。

さすがに達郎のツアーバンドがバックを努めるだけに、それぞれの楽器のバランス自体は悪くはなかった。
中小ホールでよく感じるような、全ての楽器の音がいっしょくたになって塊りになってしまって聴きづらいという状態ではなかった。
だが、PA装置から発せられたサウンドが広大な空間に広がることに一生懸命なようで、スタンド席にいると、それらが希釈されて散漫に広がってしまう感じがして仕方が無い。
ヴォーカルも伴奏楽器も、音量はあっても音圧が感じられない。
潜血反応を検査する試薬を聴感に仕込めば、もう少し音圧が上がるかもしれないが、唱が上手いはずのまりやのヴォーカルが遅れ気味に聴こえてしまい、上手いヴォーカルとは感じられない時間もあった。
ストーンズやスティーヴィー・ワンダーのような外国語の歌なら、少々歌詞の聞き取りが悪くても大雑把に聞き流せるが、日本語の歌ならば、しっかり聴こえて欲しい。

そして、アリーナ会場に付き物の大型モニターの数が少ない。
スタンド席の左右両側に向けて大型モニターが設置されていたが、そのモニターはMブロックからはほとんど確認できない。
スタンド席と対岸のステージの距離はかなりあって、この様子だとあと2~3台の大型モニターが欲しかった。

ホールやプロモーター側に言いたい事は山ほど感じた。
まりやが前回単独でステージに上がったのは10年前で、この先も、そう何度もライヴをやるタイプのシンガーではないだけに、誰かが声を出さなければと思うが、どこで声を出せばいいのかもわからない、、、、、、、

ここからは、気を取り直して褒め言葉を並べようと思う。
ライヴ自体、演奏自体に、文句なんぞつけるわけが無い。

おそらく達郎を通してまりやを感じてきたためか、これまでに彼女の歌にさほどの感情移入せずに過ごしてきたワタクシなので、ライヴ中にも妙に冷静になっていて、途中、何度か座席の周りを見渡してみた。
ワタクシの周囲にいた昔からの女性ファン達は、時々、まりやと一緒に歌っている様子だったし、泣きだした様子の人もいたし、、、、、

まりや自身も、『駅』のオーラス場面で、感極まったのか歌声が途切れてしまう瞬間もあったし。

今年、ワタクシは、幸運にも9月に神戸国際会館10月に東京中野サンプラザホールと2回、達郎のライヴを観戦できた。
達郎のツアーバンドがこの日のまりやのバックも努めていたので、メンバー紹介の時にインタビュー形式で、それぞれのミュージシャンとまりやとの生の会話を聞けたのが、すごくうれしかった。

随分昔、まりやが、ヤマハの店でのシュガー・ベイブのインストアライヴに出かけた時のシュガー・ベイブの髪の長いヴォーカリストに感じた印象や、またこの日、ギタリストの佐橋佳幸がまだ中学生で、同じインストアライヴをチャリンコで見に来ていた話だとか、

中でも、コーラスの佐々木久美がすんごいオルガン奏者だという事を紹介してくれたのが嬉しい。
佐々木久美は、上田正樹が、『Husky』というアルバムを出した頃のコーラスメンバーで、ワタクシは、彼女が上田正樹のステージでオルガンを弾きながら唄っていた姿が忘れられない。

フランス語の単位を落として留年しなかったら、きっと普通に就職していたはず、だとか、
曲間のまりや自身のMCを繋いでいくと、デビュー前から現在までの流れを理解できる仕組みになっていたのも楽しかった。

この日のオープニング・アクトには、センチメンタル・シティ・ロマンスが出演していて、オープニングアクトなしで、まりや単独でやればいいのにと感じたのだが、このセンチメンタルシティロマンスというバンドは、まりやのデビューアルバムのB面のレコーディングを担当したメンバーで、デビュー時にTVの音楽番組に出演した時にバックで演奏していたバンドだという事を考えると、これもまた話がつながってくるので、オープニングアクトがあった事は納得した。

あちこちのブログを探ってみると、ワタクシが行った翌日の22日には、アンコールの最後に『LET IT BE ME』を達郎とデュエットしたらしいと聞いて、ちと悔しい思いがこみ上げてきた、、、
まあ、いいさ、あの曲は、おととし12月の達郎の最後の大阪フェスで聴いたからいいもんね、、、、

それにしても、まりやの『人生の扉』 は、良い歌詞だね。
良い曲だね。
泣きそうになるもん。
特に今年は。
(歌詞はこちらをクリック)

この日の第1位を『人生の扉』とすると、地味だけど、佐橋のギターをフューチャーしたジャズ風のアレンジで聴かせてくれた『五線紙』が第2位かな。

コーラスの3人に何小節かずつリードパートを任せてみたり、達郎のライヴとは一味違う、女性らしい気遣いのステージ構成も好感度大だった。

終演後、外に出るまでが、また時間がかかって、

ホールを出ると、小降りになったといえ、雨の中、ホール外のグッズショップに行列するたくさんのファン達の姿があった。
(上から2枚目の写真の左側に写っている、白いテントが並んでいるのが、ホール外のグッズショップだ。この写真は開場時刻前に撮ったので、人影もまばらだったが、終演後はすんごい行列だった)
結局、グッズショップは、ホールの外だけで、ホールの中には無かったみたい。
ホールに入ってからグッズを物色しようと予定していたワタクシは、肩透かしを食ってしまったのかも?
こんだけ内容に満足したライヴだから、今から列に並ぶ必要も無いかな、と帰りを急ぐ事にした。
今になってまりやのサイトをのぞいてみると、開場前の午後4時から、あの場所でグッズ販売していたらしい。
ま、いいか。

多くの人たちが地下鉄乗り場へ向かう中、T君と並んで、傘をさしたりたたんだりしながら、妙に空腹な胃袋を満たすべく、森ノ宮駅近くの王将まで歩いたのだ

(参考資料 昼間の王将)

王将での話題は、人間ドックを受けるべきかどうかというテーマになった。










冬の鉄人

2010年12月22日 19時22分19秒 | 風景光景

『新長田の夜』という曲を唄っているのは、光玄だ。


その新長田まで、鉄人を捜しに行った。
上手い具合に雨もあがったことだし、、


改札を出るとすぐに案内版が。
現地でのナビゲーションも完璧

                    
一番街は鉄人の街。


献血ルームも鉄人が目印。


ちょっとだけ見えてきた
ついに鉄人発見
回り込むと、全貌が見えてきた。

          

             
嬉しくなってきたので、ぐる~っと一周してみる。


後姿も逞しい

         
遠めに眺めても力強い


価格は不明ながら、グッズも充実

神戸鉄人プロジェクトの詳細はこちらをクリック
オフィシャルグッズは、こちらをクリック
価格も判明






最新記録

2010年12月21日 10時52分44秒 | 無駄話

11月23日の燃費計。



26.0km/lと表示されていたが、
ガソリン入れて満タンにして計算してみると、も少し数値は低かった。

ディーラーが言うには、

「実際にシリンダーに送り込むガソリン量をコンピューターで制御しているので、この車の燃費計は正確です。」

という話だったが、

やはり、燃費計が示す値には誤差があり、
新車の頃は、燃費計の数値から3~5%くらい差し引いたものが実燃費だったのに、最近では、誤差が増える傾向にあり、5~8%差し引かなければならない。

なんとかして実燃費25km/l台に伸ばす事が、とりあえずの夢である





映画化を待つべきか

2010年12月20日 14時57分44秒 | 無駄話

11月30日、上原ひろみをメンバーに迎えたサンケイホールブリーゼでのスタンリー・クラーク・トリオ・ライヴの入り口で配布されたチラシの束の中に、俄然興味をそそられるチラシが混じっていた。



R.A.ハインライン(ロバート・アンソニー・ハインライン)原作の『夏への扉』を演劇化したらしい。
『夏への扉』を知らない方がググってみると、竹宮惠子という方のコミックがヒットしてしまう事があるが、このコミックの方ではない。
ハインラインのタイムトラベル物のSF小説である。

ワタクシが『夏への扉』という小説と原作者のハインラインを知ったのは、山下達郎がきっかけであった。
1980年に発表された、山下達郎の『RIDE ON TIME』のLPレコード B面1曲目に収められている、『夏への扉(THE DOOR INTO SUMMER)』
このアルバムでは、ビッグヒットとなった『RIDE ON TIME』という曲が有名だが、ワタクシが気になったのは『夏への扉』という曲の方だった。
この曲を聴いてみても、歌詞を読んでみても、何の事だかサッパリわからない。
だが、アルバムジャケットだったか歌詞カードだったか、そのどこかに、『R.A.ハインライン 夏への扉 より』といった注釈が書かれていたので、ハヤカワ文庫で出版されていたハインラインの『夏への扉』という小説をわざわざ取り寄せて読んでみた。
読んでみると、この曲の歌詞の意味がすんなり理解できた。
ハインラインの『夏への扉』を読むと、達郎の『夏への扉』の歌詞に出てくる『ピート』とか『リッキー・ティッキー・テビー』とかの名前が誰を指しているのかが良くわかるようになっている。
ハヤカワ文庫の小説の中では、『ピート』という名前は何度も出てくるが、『リッキー・ティッキー・テビー』という名前は、物語の終盤に1回限りしか出てこない。
1回限りしか出てこない名前だが、何度も登場する人物でもある。(なにぶん、最近は脳内メモリーの劣化が激しいため、この点について、ワタクシの記憶違いがあればご容赦いただきたいが)
サビの歌詞に、『リッキー・ティッキー・テビー』という表記を使うところなんぞ、達郎はこの頃からすんごい仕掛けを仕込んでいたわけだ、と、妙なところにも感心している。
ワタクシの興味は『夏への扉』1作では終わらず、しばらくはハインライン物を読み漁る日々が続いたものだ。
『月は無慈悲な夜の女王』、『異星の客』、『メトセラの子ら』、『人形使い』、『愛に時間を』、『自由未来』、『魔法株式会社』、『輪廻の蛇』、『月を売った男』、、、、、、、などなど、一時は、ジュブナイル物(ティーンエイジ向けの小説)以外で手に入る小説ほとんど読破してしまうくらいハインラインにのめりこんだのだが、『獣の数字』のハードカバー大冊あたりで(作品が長過ぎて)挫折してしまい、以来、ご無沙汰になってしまった。

そうそう、『スターシップ・トゥルーパーズ』という映画は、ハインラインの『宇宙の戦士』を映画化した物だが、この映画がひどい映画で、、、、、
その上、あろうことかその続編まで製作されてしまった、、、、、
ハインラインの小説を下敷きにしているとしても、映画の方はハインラインとは全く関係ないものだと断言しなければならない。
『スターシップ・トゥルーパーズ』みたいなひどい映画じゃなくて、いつか、『異星の客』か『夏への扉』あたりをまっとうに映像化してくれないだろうかと、ず~っと期待し続けているところに、今回の演劇化のチラシを目にしてしまい、ちょいとその気になってきた。

ハインラインの『夏への扉』をどんなふうに演劇化するのか、確かめてみたい。
だが、ここんところ音楽ライヴはたくさん体験してきたワタクシだが、演劇というやつにはとんと縁がない。
中学高校の授業の一環として、どっかの劇団がやってきて、体育館で鑑賞させられた記憶はあるにはあるが、演劇というやつの鑑賞方法が良くわからない。
入場料金を払って演劇を観た事が無いのだが、チケットは、S席が¥6,500するらしい。
料金としては音楽ライヴとおんなじ感じだが。
長くて2時間くらいなもんじゃないかと見当をつけてはいるが、上演時間は何時間くらいかかるのかも、良くわからない。
まさか、達郎のライヴより長くなる事は無いと思われる。
上演期間は来年2月22~27日か、、、、、、、スケジュールが合えば行ってみたい気もするが。

キャラメルボックスという劇団らしいが、その辺もちょいとばかり調査してみようかな
チラシによる限り、演出脚本や出演者などのスタッフ名には、劇中音楽に関する記載が無い。
この劇のエンディングで、達郎の『夏への扉』が流れたりしたらとてもうれしいのだが、そうはならないだろうな、やはり


過ぎ去りし恐竜展

2010年12月17日 23時57分05秒 | 風景光景

恐竜時代が過ぎ去ったから、こうタイトル付けしたのではない。


そう、ご覧のように、この恐竜展は過ぎ去ってしまったからだ。
過ぎ去ったといっても、こういうイベントはあちこちを巡回するのが通例なので、いずれ日本のどっかで同様の恐竜展があるかもしれない。

この恐竜展で特筆すべきは、そこいらのミュージアムでは決して許されない、館内での撮影が許可されていた事だ。

10月25日、森ノ宮ピロティホールでのローソン・ジャズ・ウィークがあった日、この恐竜展観覧のため、朝からATCミュージアムへ出かけた。

過去に一度だけZep Osakaでのケイコ・リーのライヴでこの界隈へ来た事があって、その時はクルマで来たので、やたら空き地ばかりが目立つエリアだと思った。
今回は地下鉄(途中から地上を走る)に乗ったら、時刻は既に朝9時半を回ろうかとしているにもかかわらず、意外にも、車内は結構混んでいた。
ATC周辺のビルへの出勤時間帯だったのかもしれない。


ミュージアムに入って、階段を下りると、いきなり恐竜がお出迎え。

おそらく子供向けの展示だと予想していたが、骨格標本は、照明を浴びるとなかなかに迫力があって、中には妙にブザイクな恐竜もいたりして、大人でも十分に楽しめた。
それぞれの恐竜達の名前を控えていないのが、少々残念。
以下に、恐竜達の勇姿を貼り付けてみよう。
内部は薄暗かったので、アップした写真は少しだけ明るめに処理してみた。

          

          

          



写真撮影なので油断してしまって、陳列ケースに肘を付いてカメラを構えていたら、恐竜のぬいぐるみを肩に乗っけた係員のお姉さんが近寄ってきて、
「陳列台にはお手を触れないで下さい」
と、口調はあくまでもにこやかに注意されてしまった、、、、、

10月の平日だったので、うるさい小学生達は来ていなかったが、その代わりに、未就学児童と保護者の姿が多くて、あんまりのんびりできなかったのが残念。
展覧会の図録を買おうかどうか、さんざん迷って、荷物が増えるのが辛かったので買わずに帰ってきてしまったのも、反省点だ


10月はたそがれずにライヴ4連荘 ~夢の乱入者バンド~

2010年12月12日 13時50分08秒 | 音楽

ほんでもって、4連荘の最終日、10月26日は、前日と同じく森ノ宮ピロティホールでの『ローソン・ジャズ・ウィーク2010』の2日目の出し物、『夢乱バンド』のライヴを観戦のため、前日に引き続き森ノ宮で下車。

ライヴにそなえて、軽目に何か食そうと企んでいると、うどん屋さんの看板を発見したので入店する。

ワタクシが入店した時には、カウンターにいた2人の男性と厨房のマスターが談笑中で、話題は、前日に綾戸智恵さんが店に来ていたという話だった。

うどん屋さんには珍しく、店内にかかるBGMはジャズ。

タイミングの悪いことに、うどんの出汁が切れてしまったという事で、ワタクシが希望したきつねうどんを食することはできず、何か他のメニューをと考えながら口から出た言葉が、なぜか「カレーライス」

オーダーしてしまったので仕方が無いが、この時は、ほんまに心からきつねうどんを食したかったのだ。

そんな時って、ありませんかねぇ?

特に関西人は?

8月の時点では、10月に観戦するライヴはこの日のライヴ1本だけに絞っていたのだが、その後の情勢の変化により4連荘という愚行を犯してしまったわけである。

 

          

 

チケット取りに気合を入れたおかげで、1階席前から2列目という好位置を確保。

『夢乱バンド』とは、ハイセンスな音楽ファンなら知る人ぞ知る、かつての関西TVの『夢の乱入者』という伝説の番組のレギュラーバンドの事。

番組のホストは、ギタリスト渡辺香津美が勤めて、月に1度、ゲストを招いてのトーク&ライヴ。

(『夢の乱入者』についてはこのサイトを参照されたい。)

 

渡辺香津美の他のバンドメンバーは、ドラムス東原力哉、ベース清水興、キーボード島田昌典。

今となってみると、月に1度とはいえ、関西ローカルの深夜に、この凄腕ミュージシャン達がゲストを盛り上げていたのが信じられない。

なので、リアルタイムでこの『夢の乱入者』を観ていない人には、その偉業がさっぱりわからないだろうと思う。

26日の『夢乱バンド』は、キーボードの島田昌典が欠席していたが、力哉&興の強烈リズム隊は健在で、渡辺香津美を加えたトリオと絡むミュージシャンは、カシオペアのギタリスト野呂一生、石田長生、BOW WOW(後にVOW WOW、さらにBOW WOWと改名)のギタリスト山本恭司、プラス歌姫吉田美奈子

実は、ワタクシ、夢乱バンドの出演の報を聞いてチケット取りに走ったので、ゲストに誰が出るのかは前日にパンフを手にするまで全く知らなかったのだ。

こんな顔ぶれのライヴを観戦できるなんて、アンビリーバブルであった。

ワタクシにとってお初だったのが、野呂一生と山本恭司だったが、この日は山本恭司の個性を、圧倒的に感じた。

相変わらずのスリムな体形、チリチリのロン毛、パンタロンにヒールの高いブーツと、ディストーションかかりっ放しのギターサウンドと音程抜群のアームプレイ。

ステージ上で、もっとも高度な音楽理論と奏法を披露していたのは渡辺香津美と野呂一生だったろうが、山本恭司に食われてしまった感がある。

昔、デビューしたての頃は歌は上手くなかったけど、今は随分上手くなったなぁ、とも思った。

吉田美奈子が登場すると、これが初対面らしき山本恭司が歩み寄り、ステージ上で握手を求めるという紳士ぶりにも好感度。

石田長生の、持ち前の関西仕込みのアクの強さとヴォーカルとの対比も面白かった。

ギタリスト全員がアコギに持ち替えたコーナーでは、ギタリストの人数が多すぎて、聴いている方には食い足りない感もあったが、それは贅沢というもの。

山本恭司のディストーションサウンドを体感するには、前から2列目というのはちと耳につらい時間でもあったが、それもまた贅沢というもの。

こうして、10月はたそがれの月に突如巻き起こった怒涛のライヴ4連荘は、無事に終了したのであった


10月はたそがれずにライヴ4連荘 ~熱帯JAZZ楽団 with 綾戸智恵~

2010年12月10日 00時16分04秒 | 音楽

そんでもって、4連荘の3日目、10月25日は、大阪城の近くの森ノ宮ピロティホールでの『ローソン・ジャズ・ウィーク2010』を観戦。



いったいどういう戦略で、ローソンがピロティホールで1週間ぶっ通しのジャズライヴを仕掛けたのか? 
ワタクシのあずかり知らぬ事ではあるが、こういう企画は大歓迎。
地元大阪人のグループだろう、開演前のロビーで囁いていたのは、
『TOKYO JAZZ 2010』に対抗したんだろうという説だが、その真相はいかに。

ローソン・ジャズ・ウィーク2010』は、10月25日から31日まで日替わりメニューでの開催で、初日の25日は
熱帯JAZZ楽団 with 綾戸智恵』という、果てしなく濃い顔合わせ。



ゲストシンガーとして第2部から登場した綾戸姉さんは、いつものホワイト&ブラックの衣装ではなく、銀色のパンツ姿。
例によって、スキャットでのアドリブで、さかんに銀色のパンツを指差しながら
「シメサバ、シメサバ、、、、、、」
と歌っては、大受けしている。
第2部のオープニングから3曲ほど唄っただけだが、全くピアノを弾かない綾戸姉さんを観るのは初めてだが、MCは健在。

原信夫が引退してしまった後、熱帯JAZZ楽団との共演というのもありかも知れない。

最後は客席全員が立ち上がって大ノリの観客席。

終演後のサイン会に綾戸姉さんの出場は無かったが、熱帯JAZZ楽団のニューアルバムを手にしてサイン会の列に並んだ。
熱帯JAZZ楽団のリーダーのカルロス菅野にサインをいただいた。
サインをいただきながら、
「是非とも、綾戸さんとアルバムを作ってくださいね
と、お声掛けしたワタクシに対して、カルロス菅野氏は、
「あっ、、、、、、あっ、、、、、、、はいっ、、、、、
と、ビックリした顔で返事を返してくれた。

あの様子では、熱帯JAZZ楽団と綾戸姉さん共演のアルバムを作る予定は、今のところ無さそうかな、、、、

ローソン・ジャズ・ウィークの現場写真は撮りそこなったので、どうかパンフでご勘弁を



10月はたそがれずにライヴ4連荘 ~伍芳 & 和太鼓松村組~

2010年12月09日 18時00分35秒 | 音楽

どなたからも尋ねられなかったので今まで内緒にしていたが、10月23日から26日までの4日間、ライヴ観戦を4連荘してしまった。

まず先日自慢したように、本拠地中野サンプラザホールでの山下達郎ライヴを観戦したのが10月23日。

続く24日は、町田市で綾戸智恵のバックで良くお目にかかるギタリスト宮野弘紀がゲスト出演する進藤陽悟トリオのチャリティーライヴがあったので、そちらへ行こうと主催者に問い合わせたところチケットが完売した後だった。
宮野弘紀は、寺井尚子のバンドで1回、綾戸智恵のバンドでは数え切れないくらい何度も体験していて、いつかきっと宮野弘紀単独のライヴをと切望しているのだがなかなかその機会が無い。
なので、いつもと違うピアノトリオとの共演プレイを聴きたかったのだが、チケットが残っていなければどうしようもなかった。

で、あきらめて西に目を移すと、神戸新聞松方ホール伍芳和太鼓松村組との共演があったのでそちらを手配した。
なので、大枚はたいてのぞみ号で東京くんだりまで出かけながら、たった1泊しただけで、翌日には関西に戻る羽目になってしまった。



伍芳は、上海出身で神戸在住の中国古箏奏者。
和太鼓松村組は、元々はマリンバ奏者の松村公彦を中心としたグループで、和太鼓だけでなく、マリンバ、オカリナ、果てはケーナ、チャランゴ、サンポーニャなどの南米楽器も導入したグループ。

伍芳の母国での半日暴動が連日報道され、その上、例の衝突事件が起きた後だったので、会場の空気はどんな物になるのだろうか? と、心配しながらホールに行ったのだが、ホールの中は暖かく伍芳を応援する空気に満ちていた。

和太鼓松村組との共演なので、ステージ上にはマリンバやら各種打楽器が並べられ、ステージ中央の一段高いところに大太鼓が据えられていた。
演奏が進むにつれて変化する照明が和太鼓を照らしていくので、照明を受けた大太鼓が時には太陽に、あるいは月にも見えた。
ステージど真ん中に大太鼓が据えられたライヴは、めったに経験する事は無い。
その大太鼓の存在だけで神秘的な物を感じてしまった。

例によって、終演後にCDサイン会があったのだが、熱い演奏の直後に握手していただいた伍芳の掌が何となく冷たく感じられた。
音楽性や志の熱さにかかわらず、きっと、この人の体温はワタクシなんぞよりも低めなのかな、と感じながら神戸を後にした。





審判の日 

2010年12月08日 14時27分36秒 | 音楽

たったの3回なのである。
ワタクシが、達郎ライヴに参戦したのは。
一度目は2002年、2度目は2008年12月、そして3度目が今年2010年9月だった。

それなのにやたら『達郎』、『達郎』と騒いでいる感のあるワタクシだが、他の純然たる達郎ファンの方々に対して、寝ても覚めても後ろめたさを感じてしまう事が1点だけある。
それが何かというと、よくよく考えてみると、ワタクシの達郎歴がアルバムで言うと『COME ALONG』あたりから始まった気配がするからなのだ。

もちろん、それ以前のシュガー・ベイブ時代は知っていたし、その後、EPOがシングルでシュガー・ベイブの『ダウンタウン』を歌ってヒットしたのには気づいていたが、小生意気なことを言うと、シュガー・ベイブのアルバムの音質は当時のワタクシの好みではなく、あまり熱心に聴いた記憶は無い。

この『COME ALONG』というアルバムは、ワタクシが手に入れた頃の形態はレコードではなく、カセットテープだった。
本来、このアルバムは、レコード店の店頭でのプロモーション用として、その時期に既に発売されていたアルバムから選曲した達郎の曲に、小林克也のDJトークなどでつないだ構成のLPレコードだった。
後に細君となる竹内まりやが、ハワイの女子大生役で小林克也扮するDJに電話リクエストする場面もあり、今聴いてみても面白い構成なのだが。
販促用なので本来は非売品だったが、後にカセット限定で発売されたのだ。
グラビア目当てで買ったわけではない週間プレイボーイ誌の記事で、この『COME ALONG』というアルバムがカセット限定で発売されると知り、その日を待ちわびてレコード店へ走ったのだ。
カセットでの限定販売のレア感もあって、当時ワタクシが乗っていたシビックで、ヘビーローテーションで回していたものだ。
車の中で使うのだから、実物のカセットテープを痛めては大変なので、友達からカセットデッキを借用して別のカセットにコピーしたのを使っていた。
あまりにも使い過ぎたために、コピーしたテープは、すぐにビヨ~ンと伸びてしまい、更に別のコピーを作って使いまわしていた。
それでも、原版のカセットテープは絶対にカーステレオではかけずに、大事に引き出しの中にしまっておいた。

最近のワタクシは、達郎のFM番組をよく聴いているが、番組内でこの『COME ALONG』というアルバムについて達郎が言及するのを聞いた事が無い。
そのあたりから推察すると、やはり達郎本人は、このアルバムをCD化するのには反対していたのではないだろうか?
レコードではなくカセットテープに限定して発売したあたりに、達郎の意思を感じてしまう。

という事は、本人が市販するのに反対していたCOME ALONG というアルバムから達郎入りしたワタクシは、異端のファン、もしくはファンもどきという事になるのだろうか?
という点が、冒頭に言ったワタクシが持つ後ろめたさで、これは、本人にとっては人生を揺るがす大問題なのだ、、、、、、、、、、





そういった後ろめたさを少々感じながら、9月19日、神戸での達郎ライヴから帰ったらば、ファンクラブから追加公演の案内葉書が届いていた。
ワタクシのスケジュールと照合すると、10月23日の中野サンプラザなら行けそうだ。
追加公演では、ファンクラブ優先枠が無く、チケットぴあが一括して取り仕切るので、
「当たるのは難しいだろうなぁ」
と覚悟の上で、チケットぴあの先行抽選販売にエントリーしてみた。
もしも、この抽選に勝ち上がってチケットをゲットできたならば、COME ALONG から始まった後ろめたさを断罪されたものと決定しよう、と思ったのだ。

果たして断罪されるか否か、、、、、、、、
と不安な気分のまま抽選発表の日、、、、、、、
つまり、審判の日、、、、

なんと、当選してしまったのだ

当選したという事は断罪されたという事であり、祝福されたわけである。
経済事情なんぞには目もくれず、大枚はたいてのぞみ号に乗って、おのぼりさんと化した10月23日のワタクシであった

          

         
中野駅を降りると、すぐに、中野サンプラザがそびえていた。
ここが達郎の本拠地なのか
と感慨にふけってみたが、中野サンプラザは意外とちっちゃいビルに収まっていた。
中野サンプラザは、ホールだけでなく結婚式場やホテルも併設しているので、中野サンプラザホテルに泊まることにした。
ホールの近くで安宿を見つける事がきなかったのだ。
おかげで、終演後の移動がすこぶる楽だった。



朝食を付けて1泊¥12,800のプランで予約したシングルルーム。
ワタクシがいつも泊まる¥5,000~¥6,000のビジネスホテルに比べると、ソファーを置くスペースの分、部屋が広い。
膝を抱えて縮こまって入る、いつものビジネスホテルより浴槽が2周りほど広かったので、リラックスして入浴できた

          

          
こうして、達郎の本拠地、夢の中野サンプラザでのライヴを観戦する事ができた。
そう、ワタクシのようなイナカモノにとっては、中野サンプラザは夢のまた夢だった。

セットリストは、あちこちのサイトに公開されているのでそちらを参照いただくとして、演奏曲目は、9月19日の神戸と同じで、達郎が話すMCの骨格はほぼ同じ。

神戸の時との違いを感じたのは、

まず、開演時にステージにミュージシャンが登場する時の拍手は、神戸より中野サンプラザの方が圧倒的に大きかった。
最後に達郎本人が登場した時の拍手のヴォリュームを100%とすると、まず小説家としても著名なキーボード奏者の難波弘之が先頭にステージに出た時から、会場の拍手のヴォリュームはすでに80%にまで上がっていた。
神戸の時は、最後に達郎が登場するまでは、こんなに大きな拍手じゃなかったと思う。

もうひとつ、
これは意外に感じたのだが、例の『Let's dance baby』のイントロが始まった時の観客の立ち上がり方が、神戸に比べると遅かった事。
この日の追加公演は、マスコミ招待枠もファンクラブ優先枠も無く、さらにコネもカオも効かない、まさしくチケットぴあでの正々堂々の1本勝負だった事が、見て取れた。
達郎もMCで、
「ようこそ、みなさん、中野サンプラザまで自力でおいでいただきました」
というような事を言っていたし。

神戸の時は、その時点での達郎ライヴの過去最良席、1階席の前から7列目だったが、今回の中野サンプラザでは、1階席5列目というさらなる最良席で観戦できたことがうれしくてならない。
達郎によると、中野サンプラザの音響改善のために、ステージ前のオーケストラピットをふさいでステージを前にせり出したのだという。
なのでその分、客席からステージが近くなったおかげで、アカペラ曲の時や静かな伴奏が流れる時などには、マイクに乗る前の達郎の肉声までが聴けたのだから。
だが、ワタクシにとって、一番理想的な座席位置は、やはり10列目辺りの真ん中だと思う。
このあたりに座ると、PAからの音響に耳が疲れる心配も無いし、『Ride on Time』で使う、例のミニタンバリンが飛んでくるのもこの10列目真ん中辺りの席なようだから。

だがだがしかし、

何よりも、さすがに達郎の本拠地サンプラザである。
神戸よりも、うんと音響が良かった事は間違いない
3人のバックコーラスの声も一人一人はっきり聴こえたし、全部の楽器が一斉に鳴っている時も音が固まらずに分離感も良くワタクシの耳に聞こえてきた。

今回は、ホントに偶然に、ワタクシの予定の空いている日に追加公演が設定された上に、もっと偶然にチケットを取る事ができたのでここに来れたわけで、ホントにラッキーだったと思う。

中野サンプラザ周辺には飲食店もたくさんあって、少なくとも2軒の中古CDショップも見つけたし、周囲に飲食店が見つからない大阪のNHKホールのように、グルメ難民に陥る心配も無い。
ただ、終演後、ホテルに戻って眠ろうとすると、ストリート・ミュージシャンなのだろう、駅前のどっかからサックスの音が聴こえてきて、ちょっとばかり気になった。
土曜日の夜だったからか。
サックスは決してヘタクソではなかったし、終電時刻を過ぎるといつのまにか静かになったので許してあげるが。
この次に中野サンプラザホテルに泊まるなら、中野駅とは反対側の部屋をチョイスした方が良いと思う。


ライヴを堪能した翌朝、ホテル最上階のレストランで朝食。
よくよく考えたら、一旦ホテルを出て同じビルの1階のカフェに行けばもっと安く済んだのだが。

10月30、31日に、武道館で、『100年ミュージックフェス』という、ワーナーミュージック創立40周年のイベントがあって、このイベントにアリーナ会場嫌いの達郎がサプライズ出演したらしい。 
こないだWOWOWで放映されたのを再生してみたが、やはり、達郎・まりやの出演シーンの放映は無かった。
もしかすると、達郎ライヴの動画を観れるかと淡い期待をしていたのだが。

ま、しょうがないか