lizardbrain

だらだらぼちぼち

幻の、、、、、、

2006年03月30日 20時10分16秒 | 無駄話


東京ドームホテル限定のベビースターは、2003年に東京ドームホテルに泊まった折には、確かに存在したのだ。

だが、今回の旅では、ホテルショップの隅から隅まで探してみても、ジャイアンツベビースターの姿は見つからなかった。

一般的な袋入りのベビースターに比べると1箱¥600と値段も高くて、味の方も、袋入りに比べると胡椒が効いていたのであんまり美味しくはなかったが、、、、、、、
ホテルに置いていれば、箱買いしようと思っていたのに、、、、、


ボビー・キーズって、誰よ?

2006年03月29日 22時39分33秒 | 音楽

いや~あ、まいった、まいった
まだ、頭の中でガンガン鳴ってます、ストーンズが
頭の中だけでなく、でもガンガン鳴ってます、ストーンズが

3月22日のローリング・ストーンズ東京ドーム公演の内容について、わからない事があったので、帰ってからネットを探ってみた。
初日のライヴ翌日の23日には、既にたくさんの方々が、東京ドームでのライヴについて思い思いにブログ等にアップしていた。
初日に東京ドームへ集まった36,000人のうち、何パーセントかの観客がブロガーと化して一斉にエントリーしたのだろう。
すごいねぇ~、これは。
いやいや、決して、「皆、ヒマだねぇ~」などと言ってはいけない。

調べたかった事と言うのは、

『セットリスト』

『ライヴ中に突如気になったとあるサポートミュージシャンについて』
だった。

演奏曲目の方はすぐに判明した。

だが、サポートミュージシャンの事については、全くわからなかった。
いったい誰が気になったのかというと、テナーサックスのオジサン
このライヴでは、4人のホーンセクション(トランペット1人、トロンボーン1人、サックス2人)がいたのだが、この中でテナーサックスを吹いていた白人のオジサンについて、猛烈に知りたくなったのだ。

このテナーサックスのオジサンは、ミック・ジャガーによるメンバー紹介の折に、他のトランペットやトロンボーンのプレイヤー達よりもひときわ大きくて長い拍手を観客から受けていた。
ストーンズの準レギュラーメンバーである、ベースのダリル・ジョーンズよりも大きな拍手を受けていたのだ。
よほど、高名なサックス奏者なのだろうか?
その後、本編のラスト曲として演奏されたブラウン・シュガーの間奏では、レコードと同じようなフレーズのソロを、ヤンヤの歓声を浴びながらバリバリ吹いていた所を見ると、もしやブラウン・シュガーレコーディング当時のサックス奏者である可能性もある、と、ワタクシは感じた。

ミックジャガーは、メンバー紹介の時に、この人の名をボビー・キングと紹介していた。

ワタクシにはそう聞こえた。
「ボビー・キングって誰よ?」
と思ってネットで調べてみたのだが、全くわからない、、、、、
キーワードの入力の仕方が悪いのかと思って、「BOBBY KING」と英語でも入力してみたのだが、さらにわからない、、、、、、

これだけ探して見つからないのならば、仕方が無い。
この件についてはあきらめて、ついでに、東京ドームでのストーンズのライヴについて書かれたgooブログのエントリーを探して読んでいたらば、何と、思いもよらず、このサックス吹きについてあっさりとここに書かれていた。

さらにググってみると、このサックス吹きのオジサンについて書かれたサイトが、どんどんヒットした。

そうか~
ボビー・キングで検索してもわからないはずだ。
正しくはボビー・キーズという名前のサックス吹きだったのだ。
「キング」と「キーズ」、、、、、、、
ワタクシの英語のヒアリング能力など、まったくもって大した事が無いのだなぁ、、、、
と反省する事しきり。
だが、やはり予想した通りに、ブラウンシュガーのレコーディングに参加したテナーサックス吹きだった事が判明したので、音楽的なヒアリング能力は人並みの物を持っている事が証明できた

これで、1勝1敗か、、、、、、

ところで、
ボビー・キーズについて調べるうちにたどり着き、ワタクシが大ウケしてしまったネット日記(ブログではなかったが)があった。
同じく、東京ドーム初日のライヴを感想を綴った、この日記の管理人さんいわく、、、、、、

「ホーンセクションは最高に上手かった。」
(確かにワタクシもそう思う)
「だが、ローリングストーンズの2人の下手なギターが入る事によって、その最高に上手なホーンセクションの素晴らしい演奏が台無しになってしまった、、、、、」
(ワタクシは、決して、そうは思わない)

よりによって、下手なギターとは、、、、、(笑)
キースとロンのギターをあっさりとけなしてしまうとは、何と言う大胆不敵なお方であろうか?

笑うしかないでしょ?






ローリングストーンズ 東京ドーム 3/22 (2)

2006年03月27日 20時27分28秒 | 音楽

          

最近わかった事だが、ブログに記事をアップする事、あるいはブログ記事その物をエントリーと呼ぶらしい。
エントリーがあるのならば、ノミネートがあってもいいんじゃないか? とも思ったりするのだが、エントリーという業界用語を知ってしまった以上は、ブログ記事などと表現してはいられないので、以後、エントリーという言葉を使ってみる。

前回のエントリーにいただいたコメントから、謎の3人組前座バンドの正体が3分の2だけ判明した。
MR.BIGのギターとベース、ビリー・シーンとリッチー・コッツエンという人らしい。
なるほど、わかっている方にはよくわかった顔ぶれだったわけだ。
いまだに、ドラムは誰だかわかんないが、、、、、
MR.BIGというと、ポール・ギルバートの名前しか思い浮かばないワタクシには知る術もない事だが、これで一つの疑問が解決した。
貴重な情報をいただいた美人コメンテイターの方に感謝、感謝。

さて、その前座バンドだが、10分くらいで終われば良いのに、30分も演奏してしまった
終了した時に、アリーナ席からひときわ大きな拍手が起こった。
「よしよし、やっとストーンズが聴けるぞ~
皆、そう思ったに違いない。

ところが、
そこからストーンズが登場するまで、40分ほど待たされた。

長かった、、、、、、、、、

ステージでは、もたもたと、前座バンド用からストーンズ用の楽器・機材へのチェンジをやっている。
ドラムセットなんか、ご丁寧にも、一つずつパーツをばらしている。
ドラムセットを乗せた台座ごと運び出せば簡単なのに、、、、、、

そろそろステージ上のセッティングが終わりそうな頃、スタッフらしき人影が、1塁側に建てられたタワーによじ登ったり降りたりしている。
このタワーには、ビデオカメラや照明器具が設営されているのだろう。

待たされている間、会場内には、ただただBGMが流れているだけ。
そのBGMも、在庫が少ないらしくて(笑)開場直後に流れていた曲が重複して流されるようになった。
前座バンドの登場あたりからビール売りのオネエサン達は退場していたが、飲酒しているうえに退屈してきた人もあちこちにいるらしく、BGMに流れ出したレイ・チャールズホワッド・アイ・セイのレイとコーラス隊のコールアンドレスポンスのパートで、一緒に唄い出す人も出現。

ひたすら40分ほど待たされた後、何の前触れも無く、再度、照明がダウン。
真っ暗な中、バックスクリーンの巨大画面(野球の時に使っている物とは別物だろうか?)に、CGを駆使したビデオクリップが流される。
再び、あちこちからキースぅ~!!とかミックぅ~!!と、野太い声が飛ぶ。

ようやく登場したローリングストーンズ

オープニングはジャンピング・ジャック・フラッシュ
アリーナ席も、スタンド席も、一斉に総立ちとなる。
1塁側内野席も、前列の人から立ち上がりだしたため、ワタクシも立ち上がってしまった。
何しろ腰痛持ちの身の上、出来る事なら座ったままですませたかったのだが、こうなると、そうは言ってられない。
横の方では、曲のリズムには関わらずピョンピョン跳びはねだす人。
5列ほど前では、ひたすら腰をクネクネさせて踊りだす人。
ワタクシの右斜め前では、左手を腰に置き人差し指を伸ばした右手を突き上げる女性が、、、、、おいおい、トラボルタの真似かい? 古いなぁ~ そいつはちょっと違うんでないかい? 笑

とりあえず、ワタクシは手拍子しながらユラユラと揺れてみる事にした。

何曲目かに、ロンとキースがアコギに持ち替えた。
ミックの「コノキョクヲオボエテル~?」と、典型的なカタカナ日本語のMCに(こんな日本語をいったい誰が教えたんだ~? きっと女の人に教わった日本語だろうな 笑)ついで唄いだした曲は、
アズ・ティアーズ・ゴー・バイ

涙が流れてくるまま 僕は座り込んでいる
君の微笑みは 二度と僕に向けられる事はないんだ
夕暮れ時 
僕はここに座り込んで 子供達が遊んでいるのを眺めている
(拙訳 bochi3)

そう、バンドを組もうとしていた中学時代後半に、よく聞いた曲だ。
素晴らしくシンプルなコード進行で、とてつもなく美しいメロディーで、当時は1曲丸ごとの歌詞を憶えていたものだ。

ストーンズの曲は、メロディーラインの高音域がさほど広くない。
上限F#までしか唄えないワタクシの音域でもこなせる曲が多い。
とはいえ、英語の発音はサッパリだし、ミック独特の唄いまわしまでは真似できるものではない。

ワタクシは、いつのまにか大きな声を出してこの曲を唄っていた。
え~い、かまうもんか
この大音量の中だ
誰に気兼ねする必要があるものか
キースとロンのギターをバックにして、ミックと一緒に唄えるというシアワセ
だが、1番の歌詞こそ憶えていたものの、2番の歌詞が出てこない。
昔は全コーラスを通して唄えたはずなのに
かくなるうえは、憶えている箇所だけでも声に出して唄ってやる~

キースのリードヴォーカルで2曲演奏されるなど、ステージは進んでいく。

そして、

センター付近に設営されたメインステージが動き出した。
ステージの1部、目測で約30メートル四方が、ホーンセクションを除いたバンドメンバーを乗せたまま移動を始めて、マウンド付近に小さめのステージが出来上がる。
マウンドに到着した頃に演奏が始まった曲は、E、G#、A、B7のコード進行。
そう、中学校時代にバンド練習していた
ゲット・オフ・マイ・クラウド
昔、レコーディングされた物とは違うアレンジだったが。
もしやワタクシのブログを、ミックが読んでいたかという疑惑も沸いてくる。あはは
この曲の歌詞は、ミックが早口でまくし立てるためについて行けないので憶えようと努力した記憶は無い。
それでも、サビのコーラスパートに参加したワタクシ。

いつの間にか、ワタクシの前列のオジサンが、堂々とした態度でケータイカメラで撮影しだした。
おいおい、上演中の写真撮影は禁止だというのに。
おいおい、そんなに何枚も撮らなくてもいいのに。
この時、ワタクシのズボンの左ポケットには、入り口の持ち物検査の網をくぐりぬけたデジカメが入っていた。
このデジカメを取り出したくて仕方が無い、という狂おしいばかりの衝動に駆られた。
だが、暗い観客席の中では、デジカメの液晶画面は非常に目立つ。
ここで掟破りのデジカメ撮影を強行して、万一、撮影現場を係員に取り押さえられてトラブったりしていると、せっかくのライヴがメチャクチャになってしまう、、、、、、
モメ事を起こして引率者のエヌ君に迷惑をかけてしまっては、今後、一生、彼にののしられるハメになる、、、、、、

我がチキンハートぶりに落胆していると、目の前のマウンド上の移動ステージからは、聴き慣れたカウベルのリズムが、、、、、、、
ホンキー・トンク・ウーマン
これまた全コーラスを通して憶えていた曲だというのに、唄いたくても歌詞を思い出せない、、、、、
ちっくしょ~
悔しいが、これまた、サビのコーラスパートに参加
ホォォォォ~~~~~~ンホォォォォォ~~~~~ンキートンクウーマン(ホントはwomen)
ギミーィィィギミィィィ~イギミィィィ~ザホンキートンクブルース(give me とは違う gimme)
確か、ブリッジス・トゥ・バビロン・ツアーのDVD映像では、キースはこの曲をオープンGチューニングで弾いていたはずなのに、今日はどうやらレギュラーチューニングみたいだ、、、、、、
と、双眼鏡で調査していると、次のワンコーラスが終わってすぐにサビが始まる。
双眼鏡を離して、両手を挙げてコーラスに参加しなければならない。
ホォォォォ~~~~~~ンホォォォォォ~~~~~ンキートンクウーマン
ギミーィィィギミィィィ~イギミィィィ~ザホンキートンクブルース
結局、キースのチューニングは再確認できなかったが、この曲の終了とともに、再びステージが移動し始めてセンター方向へ帰っていく。

ワタクシの前列でケータイカメラで撮影してたオジサンだが、あの程度の明るさだと、キレイに撮れている可能性は極めて低いだろう。
反省しているのならば、今からでも遅くない、観念してワタクシに画像を渡しなさい。

こうして、本編ラスト曲の
ブラウン・シュガー
や、アンコール最終曲の
サティスファクション
まで、休憩無しで延々2時間、ミックはじめメンバー達の年齢を感じさせない熱演には、大感激
新曲もあったが、その昔に慣れ親しんだ曲が大半を占めるという構成が、ワタクシにはぴったりとフィットしたのだろう、まさかストーンズのライヴでこんなに盛り上がってしまった自分自身にも驚いた。

東京ドームの音響はというと、やはり反響音が多くて、決して「良い」と言えるシロモノではなかった。
だが、その反響音の何割かは、この時に集まった観客達の歌声だったに違いない。
およそ20年前に日本武道館で体験した、ジェームス・ブラウン公演の超極悪音響に比べると天国のような物だった。

ちなみに、冒頭の写真は、東京ドームの外に設けられたツアーグッズ売り場。
まだ開演1時間前だったが、この行列を見てとても並ぶ気になれなかった、、、、、、

          

 

 


ローリングストーンズ 東京ドーム 3/22 (1)

2006年03月25日 21時40分46秒 | 音楽


3月22日、東京ドーム初日

何しろ、スタジアムライヴなど初めての体験であった。

今回のライヴに誘ってくれた、ワタクシの夢多き中学生時代後半のバンドリーダーであったエヌ君(もちろん仮名希望)に引率されて、1塁側内野席に座ってみると、ステージはセンターの定位置あたりを中心に設営されていた。
内外野の客席から見やすいように、グラウンド上の内野エリアにステージを設営するとばかり思い込んでいたので、これには、ちと、ガッカリした。
そもそも、スタジアムライヴにはそういうお約束事でもあるのだろうか?
ワタクシ達が座る1塁側内野席は、1塁ダッグアウトの真後ろ11列目で、ステージがあるセンターまでは、ほぼグラウンドの直径分の距離がある。
という事は、ステージまでは100メートル以上か、、、、、、、
その上、目の前のバックネット越しにステージを見なければならないのが、どうにももどかしい。
野球のゲームを観戦するのならば、絶好のポジションなのだが、、、、、、
とりあえず、双眼鏡を持ってきて良かった。

チケットの売れ行きが芳しくないと聞いていたので、当日の午前中に自宅のPCでチケットぴあのサイトでチェックしてみたら、S席にもまだまだ売れていない席があるようだった。
やはり、S席¥17,500という強引なチケット価格が災いしているのだろう。
とはいえ、ところどころの客席に空席が見られるものの、全くのガラガラ状態でも無い。
翌日のスポーツ紙の記事によると、この日の入場者数は36,000人だったらしい。
少ないと言いながら36,000人とは、さすが最強のR&Rバンドである。
座席によって価格が違うが、今日1日のチケット売り上げ総額がいったいいくらになるのか、などと無粋な計算をしてはいけない。

開場時刻が17時で開演時刻が19時、、、、、、、、、ワタクシ達が入場したのが18時過ぎ。
開演時刻までの時間に何をするのかというと、特にアトラクションが用意されているわけではない。
場内に流れるBGMを聴きながら、ひたすら待つのみである。
その中で、客席の間をひたすらニコヤカに動き回っていたのが、ビール売りのお姉さん達。
しかし、ロックンロールのライヴ会場で、こんなにも公明正大にアルコールを売って良いのだろうか?
東京ドーム側にも収益をもたらそうとしているのだろうが、酔っ払った観客が暴れだしても知らないぞ~、、、、、、
などと考えていたらば、引率者のエヌ君がポツリ、
「う~ん、甲子園のビール売りのオネエサンよりも、東京ドームの方がレベルが高いんやなぁ」
エヌ君は、甲子園を本拠地とする球団のファンである。
エヌ君のひいきチームの趣味の悪さについては、かねてから忠告しているのだが、このあたりの意見は中学生時代から全く対立したままだ。

若くてカワイイ笑顔のビール売りのオネエサン達の姿が消えて、開演時刻の19時、場内照明が落とされた。

ステージ上で演奏が始まった。

ワタクシが座る1塁側内野席の周辺あちこちから、キースぅ~!!とかミックぅ~!!と、野太い声が飛ぶ。

だが、
聴こえてくるギターのフレーズがトリッキーかつ高速で、ベースもドラムも、妙にヘビーな音を出している。
ストーンズの演奏にしては、これは、ちと怪しい。

センター定位置に設営されたステージを双眼鏡でのぞいてみると、まずドラマーが太ってパーマをかけたロン毛の男である事が判明した。
、チャーリー・ワッツの具合でも悪いん?
いや、演奏しているメンバーがギターとベースとドラムの3人しかいない、、、、、

な~んや、ストーンズとちゃうやん
前座かいなぁ
前座があるなんて、聞いてないやん

スタンド席の方では、このバンドが何者なのか? ほとんどの人がわかっていないようだが、アリーナ席の方では知っている人もいるらしく盛んに拍手を送る人もいる模様で、ライヴから3日経った現時点でも、あの前座ハードロック3人組バンドの名前がわからない。
ま、ええけど。
興味無いし。

前座バンドの名前を調べる気もなく、次回に続く。



WBC

2006年03月21日 23時37分44秒 | 無駄話

「アメリカやキューバに勝てるわけ無いやん、そんなもん」
WBC開催を知った時のワタクシの感想だった、、、、、
ほんと、申し訳ない。
生中継は観戦する事ができなかったが、報道ステーションのダイジェストを見ていたら、何やら嬉しくなってきた。

参加した大リーグの選手達の中で、王監督と一緒に記念写真を撮りたがる選手、関係者が多くいたという報道を聞き、ハンク・アーロンのホームラン記録を破った世界のホームラン王として、アメリカでも王監督がリスペクトされている事を初めて知った。
アメリカでは、日米の球場の広さの違いや年間試合数の違いなどを理由に、日本球界の記録とアメリカ大リーグの記録を同列に論じたがらないのだ、と聞いていたから。

今回の日本チームの選手のうちで、所属するチーム名をも含めて知っている選手というと、イチロー、上原、松阪、松中、小笠原、、、、、、、
たったこれだけしか浮かんでこない、ワタクシ、、、、、、
ジャイアンツの選手が、上原だけしかもっと出ていないから。
申し訳ない。

先日、いきなり
「実は、今、別居中なのだ。」
と衝撃の告白メールを送ってきたヤツがいる。
本音を言うと、こういうメールを送られても困るのだ。
励まそうとするとなると、詳細な事情を聞きださなければならなくなるし、
下手に冷たくあしらってしまうと、後々、化けて出られる可能性もあるし、、、、、

そいつは、今日の日本チームの優勝を目にして
「自分にも逆転優勝できる時がくるのかなぁ、、、?」
とメールしてきた。
そいつにも、心理的に、少しはプラスの影響を与えているのならいいが。

こんな所に書かないで、親身になって、直接返信してあげればいいのだが。
ワタクシも、キミに対してどう対処していいのかわからないのだよ。
申し訳ないが。
適当にはぐらかすそぶりを見せて、面白おかしく笑わせるような返事しか出来ないのだよ。
申し訳ないが。
面白くなかったら、尚さら、申し訳ないが。


実はワクワク

2006年03月20日 21時30分09秒 | 音楽

突如として舞い込んだ甘い話に、ついつい乗ってしまった。

友人に引率されて、22日に文京区のドーム球場へ行く手はずが整った。

(おそらく)前回のツアーの模様を収めたDVDまで借用してきた。
収録時間120分で¥980、という、とんでもないプライスが付いている。
言いだしっぺの友人が、この日のためにAmazonで買ったという。
PCで、このライヴDVDを鑑賞していると、ワクワクしてきた。
自分でも意外な反応だと思う。
好きで好きで好きで仕方が無い、、、、、、、ワタクシにとっては、それほど感情移入しているバンドというわけでは無いはずだったのに。

中学校から高校に進む頃に、この友人にそそのかされてバンドを組もうとした事があった。
ヤツがリーダー兼リードギターで、ワタクシがドラム、あとのメンバーはヴォーカルとサイドギターと、ベースがそれぞれ1人ずつ。
中学生の終わり頃には、(流動的ではあったが)ヤツが召集した5人のメンバーが揃った。
本当は、ワタクシはサイドギターかベースをやりたかったのだが、一番初心者だったヤツにベースを任せる事にした。
当時練習したレパートリーは、ディープ・パープルと言いたい所だが、ドラムスやベースがついていけず(笑)、リーダーの好みでローリングストーンズ「テル・ミー」「ゲット・オフ・マイ・クラウド」、他に日本語の曲として、キャロル「ルイジアンナ」「ヘイ・タクシー」陽水「傘がない」モップス「たどり着いたらいつも雨降り」etc.etc.....

一見してわかるように、可能な限り複雑なフレーズを避けた、合奏しやすい選曲。(爆)

この中でも、「ゲット・オフ・マイ・クラウド」は、
ドン、タッ、ドン、タタ、ドン、タッ、タカタカタッタ
とドラムスのパターンも単純で、
コード進行も、E、G#、A、B7の繰り返しだったため、メンバー皆のお気に入りだった。

とりあえずは、初心者バンドとしては、こんな曲を謙虚に練習してみて、
いずれそのうちに、本命のディープ・パープルの完全コピーを果たし、
その頃には、きっとワタクシも、¥5,000の中古ドラムセットから、タムタムやシンバルがたくさん付いた¥500,000クラスのドラムセットを入手していて、
曲の途中では、軽~く20分くらいのイアン・ペイスも真っ青のドラムソロを披露して聴衆を煽り立てて、
その頃には、バンドは、既に、何十曲かのオリジナル曲を完成していて、
アレンジ上の必要性があれば、ピアノが弾けるリーダーがシンセサイザーを弾いて、
さらに、ファンからの要望があれば、ワタクシもリードヴォーカルを取ったりして、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

ワタクシとリーダーの間では、そういう未来のビジョンがすっかり出来上がっていた。

だが、
予想外のアクシデントが発生し、メンバーのうち2人が県外の高校へ行ってしまった。
結局、そのバンドは自然消滅となった。

冷静に当時を振り返ってみると、いくら練習したところでドラムソロを取れそうな腕前では無かった。
リズムをキープしたままルイジアンナを1曲通して演奏する事が出来なかった。ドラマーは、左右の手足の動きをバラバラにコントロールしなければならないのに、右手と同じように左手を使う事が出来なかった。
ドラムを叩きながら歌おう、、、、、、、、、などとは、とんでもない事だった。

その頃、ローリング・ストーンズが好きなリーダーから、よくストーンズのレコードを借りていた。
今のストーンズのメンバーは、あの頃と比べると、2人のメンバーが入れ替わっている。

現在のメンバーは

ミック・ジャガー   ヴォーカル
キース・リチャーズ  ギター
ロン・ウッド     ギター
チャーリー・ワッツ  ドラム
ダリル・ジョーンズ  ベース

このうち、ダリル・ジョーンズについては、正式メンバーなのかサポートメンバーなのか、よくわからない。
元々は、マイルス・デイヴィスをはじめとしたジャズやフュージョンのアルバムでよく名前を見かけたベーシストだ。

ストーンズは、元々、ブライアン・ジョーンズという人が作ったバンドらしいが、そのブライアン・ジョーンズは、デビューして早い時期に亡くなっている。
ブライアン没後のオリジナルメンバー、つまりワタクシ達が夢と幻を追いかける前に躓いてしまった頃のメンバーはというと、

ミック・ジャガー   ヴォーカル
キース・リチャ-ズ  ギター
ミック・テイラー   ギター
ビル・ワイマン    ベース
チャーリー・ワッツ  ドラム

このうち、ギターのミック・テイラーとベースのビル・ワイマンの名前を思い出すのにかなりの時間がかかった、、、、、

一時期、バンドとしての活動を停止していた時期もあったようだが、メンバー全員、とっくに大量の富と名声を手にしているというのに、まだワールドツアーに励んでいる。
ミックもキースも、とっくに60歳を超えたはずなのに。

中学生だったワタクシ達には、今の彼らの姿など、とうてい想像できる事ではなかった。



とにかく、もうすぐだ。

ドームでのライヴ終了後には、東京に棲息している中学校の同窓生数人とドームホテルのバーに集結する手配も、しっかりとできている。
ドームホテルに着いたら、お土産にジャイアンツ・ベビースターを買おうと思うのだが、製造販売元であるおやつカンパニーのサイトには、ジャイアンツベビースターの名前が無くなっている、、、、、
もう、ドームホテル限定のあのベビースターは、もう売っていないのだろうか


渡辺貞夫クインテット2006

2006年03月16日 21時55分28秒 | 音楽

渡辺貞夫クインテット2006 

2006年3月15日和歌の浦アートキューブ


渡辺貞夫 アルトサックス、フルート
小野塚晃 ピアノ
吉野弘志 ベース
石川雅春 ドラムス
ンジャセ・ニャン  パーカッション

ナルニア国物語を観た後、会場の近くの片男波公園の海岸をデジカメ片手に散策。
公園内のレストランで食事すると(800円以上)公園の有料駐車場が無料になるので、そのレストランで早めの夕食にする事にした。
入り口のショーケースの料理見本を見て、適当に「ランチ」を注文すると、これがまた、意外なボリュームのランチで驚いた。
スープとライスと小さめのステーキとエビフライのコンビネーション、、、、、、、、
ショーケースの見本では、ごく普通のランチセットに見えたのだ。
が、出てきた皿を見ると、ステーキは見本どおりに小さめだったものの、18センチくらいはある巨大なエビフライが乗っかっていた、、、、、
イセエビ料理じゃあるまいし、馬鹿でかいエビフライを一見しただけで満腹になってしまった
サンドイッチとコーヒーの昼食だったとは言え、まだまだ午後4時40分。
元々、夕食の時間には早過ぎたのだが、これにはちょっとばかり理由があった。

その理由というのは、、、、、、、、、、と、切り出すと少々大げさになるのだが。

この日のライヴの開場時刻が午後6時で、開演時刻は6時半、というよくある時刻設定だった。
が、この日の座席は全て自由席だったので、少しでも良い席を確保するためには開場時刻よりも早めに行って、入り口で並ばなければならなかった。
遅くとも5時半頃には会場の入り口に並ぶ必要があるという判断を下し、逆算してみると、夕食にはこれくらいの早めの時刻に何かを胃袋に入れておかなければならなかった。
昼食にサンドイッチを食べていたので、
「ここで軽くパンでも」
とはいかなかった。
どっか近くで、うどん屋かラーメン屋でも探しておけばよかったなぁ。

まあ、これも木村充揮のNHKホールでのライヴの時の行き倒れ寸前の体験がトラウマになっていたのかも知れない。

とにかくいつもより早い時刻に満腹となってしまい、ずつない(これは方言なのだろうか?)胃袋を抱えて、予定通りに5時半に会場の和歌の浦アートキューブまでやってきたらば、またまた驚いた


なんという事だ、会場を取り囲む勢いで、既に30人ほどが並んでいるではないか

ここは、音楽ホール専門の施設ではない。
キャパシティも、せいぜい詰め込んでも200人くらいの物だろう。
かくなる事態においては、最前列を確保する事は至難の技、、、、、、、、、
と、一度はあきらめたが、30分後に入場が始まり、運良く見晴らしの良い前から2列目の席を取ることができた。
とりあえず、めでたしめでたし。

過去に体験させてもらった渡辺貞夫のライヴというと、大ホールでの物ばかりだった。
何しろ、日本トップクラスのジャズサックス奏者なのだから集客力は抜群なので、興業する方としては、どうしても大きなキャパの箱を求めるのだろうか?
だが、意外と、小さめのキャパというか、ライヴハウスだけのツアーを組む事も多いようで、ワタクシとしては、かねてから、是非ともこうした小規模の会場での渡辺貞夫のライヴを体験したい、と切に願っていたのだ。
願ってはいても、ワタクシの場合、酒を飲めないという悲しい定め、、、、、、、
ライヴハウスという場所が、とても遠く感じてしまう。
ウーロン茶しか飲まない客は、悲しいくらいに居心地が悪いから、、、、、

この会場は、およそ15メートル四方の正方形となっている。
パイプ椅子を並べて、さらに後方の壁沿いにロープで仕切った立見席を設けていたが、この距離ならば、立ち見席からでも十分に楽しめたのではなかろうか?

演奏中に、ミュージシャン同士がアイコンタクトを取り合ったり、ドラムスやパーカッションのソロ交換の時には、お互い笑顔を交わしたり、はたまたリーダーが次に演奏する曲をピアニストの耳元で囁いている声がかすかに聞こえてきたり(厳密な曲順は決めていなかったようだ)、、、、、、、
こういうったシーンを目のあたりに出来る事など、そうしょっちゅう経験出来るものではない。
それを体験できた事、しかも、渡辺貞夫というビッグネームがこんなイナカの県庁所在地にやってきてくれたという事。
なんというシアワセなのだろう

ライヴも終盤近くで、パーカッションのンジャセ・ニャン がジャンベのソロを始めた時、ンジャセが叩く最初のジャンベの一撃で、後ろに座っていたオジサンが
「ほほぉ~~~」と、うなっていた。

そのンジャセ・ニャン は、アフリカのセネガル出身で、日本人と結婚して、現在は日本に住んでいるそうだ。
ンジャセという名前もそうだが、アフリカの人名や地名には「ン」から始める単語が多い。
という事は、アフリカの言語でしりとり遊びを始めると、「ン」で終わっても誰も負けずに、永遠に続くのに違いない。




エンドロール

2006年03月15日 23時43分09秒 | 映画とかTV

地元では吹き替え版しか上映しないため、和歌浦でのライヴがあった今日、ついでに『ナルニア国物語第1章ライオンと魔女』を観た。

映画館の下の本屋さんでは、原作本を全7巻取り揃えて売り込みに余念が無い。
う~~~~ん、、、、、、
7巻という事は、映画も7本ものシリーズ物になるのかなぁ?
年に1本として、完結まで生きているのだろうか?
ワタクシ、、、、、

どの映画を上映している時でもそうだが、本編が終了してエンドロールが始まった途端に席を立つ人がいる。
今日も、いた。
レディースデーだったため、来ていたオバサ、、、、、いやいや(笑)、レディー達の半分くらいは帰ってしまった。
だが、、、、、、、、、、、、、、、、、、残念でした
主要な出演者のクレジットが出終わったあたりで、突如として本編再開
末っ娘(名前、忘れた、、、、汗)がワードローブ(古くてでっかい洋服箪笥)の扉を開けようとするシーンが、、、、、、、
ま、時間にして30秒あったかどうかの短いシーンだが。
いったい、このシーンは、本編内に出てきたシーンのリプレイなのか
それとも、さらに新しい展開が始まったのか

えっへっへっへっへ、教えてあげないよ~だ

『映画の本編が終わってもエンドロール終了まではじっと座っていましょう』運動連絡協議会副議長としては、エンドロールに仕掛けのある、こういう映画をもっと作って欲しい。
ハリポタシリーズも、エンドロールが終わった最後に短いシーンがあったが、最新作のハリー・ポッターと炎のゴブレットでは無かったのが残念。
監督が代わったから?




本編が終わり、そして当たり前のように、何事も無くエンドロールが全て終わる。
お決まりのDOLBYマークとかDTSマークとかが出てきて、全て終了。
一瞬、スクリーンの映像が消えて場内が明るくなる寸前、、、、、、

いきなり、本編が再開
1分にも満たない短いシーンなのだが、このシーンには、本編のストーリーを全てひっくり返すような驚愕の展開が、、、、、、

エンドロールが始まって席を立った観客は、最後の最後のドンデン返しを知らぬまま家に帰り
「あの映画は面白かった」
だとか
「いや、あんなストーリー、簡単に予想できるので面白くもなんとも無かった」
とか、わかったような顔をして、友達を相手に勝手な事を吹聴する。
だが、本当の結末を知るのは、最後の最後まで席に座っていた者だけ、、、、、、、

こんな映画を、誰か作ってくれないだろうか、、、、



藤岡藤巻の謎

2006年03月07日 23時25分25秒 | 音楽

牛乳サランラップのりの続編というのがこの記事なのだが、
各方面に気を使いながら原稿を修正したら、面白くもなんとも無い話になってしまった。
まあ、ともかく、こんな話から始めてみる。

ワタクシが中高生時代に、この和歌山県のイナカ町で受信可能だったTV局はというと、NHK総合・教育両チャンネルを始め、MBS毎日放送、ABC朝日放送、KTV関西テレビ、YTV読売テレビだった。
だが、新聞のテレビ番組表を見る時に、和歌山県では受信できないのに、いや、受信できないからこそ、いつも気になっていたUHF局の名前があった。
そのTV局の名とは、兵庫県のローカルUHF局のサンテレビ
新聞のTV番組表から想像するに、関西の大手放送局には無い、サンテレビというTV局のセールスポイントは3点あった。

まず、昼夜問わずに、やたらと映画を放送していた事。
次に、甲子園球場でのタイガース主催ゲームを試合開始から終了まで(放送時間を無限に延長して)放送していた事。
この2点は、ワタクシの興味を引かなかった。
ジャイアンツが絡む試合を最後まで見てみたい、という気も無いわけではなかったが。

そして、サンテレビの3点目のセールスポイントが、ヤングインパルス(Young impulse)という番組を放送していたからだ。
関東ローカルUHF局であるTVK(テレビ神奈川)が製作して、サンテレビを含め、各地のローカルUHF局に配信していた番組だ。
歌謡曲のヒットパレードとは一線を画した、音楽番組だった。
当時のフォークシンガーはおろか、ロックバンドもめったにTVに出て来ない時代だった。
それを、スタジオでライヴ形式で、(レコードセールスの成否はともかく)時代の先端を走るミュージシャン達が演奏する番組だった。

どっかの検索エンジンで、試しにヤングインパルスというキーワードで検索してみると良い。
ヤングインパルスというTV番組について言及しているサイトが、たくさんヒットするはずだ。
実際に、ヤングインパルスで収録されたライヴ画像が、DVD化されて販売されている物もある。

加納秀人率いる3人組ロックバンド外道も、古井戸も、RCサクセションも、ケメこと佐藤公彦も、山下達郎や大貫妙子が在籍したシュガーベイブも、浜田省吾がドラムを叩きながら唄っていた愛奴も、泉谷しげるも、海援隊も、も、チューリップも、キャロル解散後ソロになったジョニー大倉も、同じくキャロルでリードギターを弾いていた内海利勝も、もしかすると解散する前のキャロルも、さらにもしかするとまだ売れていない頃のユーミンも、ヒット曲「時には母のない子のように」からロック路線に乗り換えたカルメン・マキ&OZも、めっちゃ地味だった南正人も、その他にも、あの人も、あのバンドも、、、、、、、
今から考えると信じられないような顔ぶれが出演する音楽番組が、神奈川県のローカルUHF局で収録されて、ワタクシの住むイナカ町では見ることが出来ない兵庫県のサンテレビで放送されていたのだ。
今から考えると信じられないような顔ぶれが出演していたと言っても、当時は皆が駆け出しの頃だったので、おそらくギャラも信じられないくらいに安かったのだろう。
低予算のローカルテレビ局が製作していたのだから。

あの頃は、とにかくこの番組を見たくて見たくて仕方が無かった。
ただただ新聞のテレビ番組表を眺めては、ため息をつく日々だった。

それが、1974年、和歌山県初のローカルUHF局のテレビ和歌山の開局によって、状況は一変した。
ワタクシの家のテレビでも、憧れのヤングインパルスを見る事が出来るようになった。
テレビ和歌山が、ヤングインパルスの放送を始めたからだ。

ここで、ようやく藤岡藤巻公式サイトをコソコソと覗いてみる。
あの『牛乳 サランラップ のり』という曲を唄っていた二人は、やはり、丸っきりのシロートではなかったのだ
昔、昔、その昔、2人とも元まりちゃんずというバンドのメンバーだったのを知り、さらに驚いた
まりちゃんず
知ってますとも、もちろん。
TVで見たもん。
たった1回だけだが。
ヤングインパルス

ワタクシもクラブ活動やら何やらで忙しかった時期と重なっていたため、決して毎週見ていたわけではないが、そのヤングインパルスという番組に、まりちゃんずが出演した時に見てしまったのだ。
偶然に。
幸か不幸か。

放送禁止になったというデビュー曲『ブスにもブスの生き方がある』こそ、TVでは唄っていなかったはずだが、
「武道館でキャンディーズとジョイントライヴをするんだ、、、、、、」
という、冗談としか思えない曲の
キャ、キャ、キャ、キャ、キャ、キャキャキャ、キャンディーズ、今日はジョイント~、、、、」
という唄いだしのフレーズは、今でもはっきりと覚えている。
ただし、その後に続くフレーズは全く覚えていない。
公式サイトには、当時のレコードのジャケット写真が掲載されているが、この写真を見ても、彼らのルックスについては全く覚えていないのだが、、、、、、、

彼らがデビューしたとたんに、不幸が訪れたらしい。
アルバムを出した、エレックレコードが倒産してしまったのだ。
このあたりの話も含めて、彼らの詳細なプロフィールは、前述の公式サイトに紹介されている。

しかし、
まさか、あのまりちゃんずが生き残っていたのか
決して、正式に解散記者会見をしたわけではなさそうだが、、、、、?
それにしても、まさか、まさか、、、、、、、
あのまりちゃんずのメンバーが、今ではごくノーマルに、通常の会社勤めをしていたとは、、、、、、?

あとは、藤岡藤巻の関西ライヴツアーを待つばかりだぞ





Runaway

2006年03月06日 17時37分04秒 | 無駄話

ちょっとマジメな話が間にはさまってしまったが、前々回の続きである。

その前に、
今さら、弁解するわけではないのだが、このブログで実在の人物の名を取り上げる時には、呼び捨てにしてしまうのが基本方針なのだ。
ワタクシごとき小物が、ホントは『さん』づけしなければいけない偉大なミュージシャンであったり、レーサーであったり、小説家であったり、さまざまなをジャンルの人物の名前を勝手に登場させる必要に迫られる事があるのだが、人名にいちいち『さん』付けするのがウザったい。
というか、あちこちに『さん』という文字が躍っていると、文章づらが極めて煩わしく感じる気がするので、あえて呼び捨てにしている。
本来ならば、ワタクシごときは、『さん』どころか『様』よばわりしなければならない人物の方が多いのだが、あえて呼び捨てにする。
呼び捨てといっても、バカにしているわけではない。
心の底からのリスペクトを込めた上での呼び捨てである。
ドライバーとしての鈴木亜久里は、あまり好きではなかった、、、、、、と勢いで言ってしまった事もあるが、この表現の裏にも心の底からのリスペクトを込めたつもりだ。

その上、例えば外国人の方の名前を出す時に、『マイルス・デイビスさん』とか『パウル・クレーさん』と言うのがそぐわない気がする。
やはり、『マイルス・デイビス』であり、『パウル・クレー』と呼んだ方がこちらもすっきりとする。
先方がどう感じるのかは、一切関知しない。
この場合も、心の底からのリスペクトは忘れていないつもりだ。

ただ、例外として、これまた基本的には、これまで実際にお会いした事がある方については呼び捨てでなく『さん』付けする事もある。
先日、喫茶店でのライヴ写真をアップした野川さんがこの例で、万一、その(実際にお会いした事がある)方が、このひなびたブログを目に留めてしまッたりした時に、後々、ちょっと気まずい状況になる事が心配なのだ。

野川さんを通じてゴンチチのチチ松村さんとお会いしたことがある。
この時、チチ松村さんを囲んで一緒に写った写真を、3年経った今でも自慢している。
だが、この時にチチ松村さんとはお会いしたが、相方のゴンザレス三上さんとはお会いしていない。
となれば、チチ松村さんにだけ『さん』づけして、ゴンザレス三上さんは呼び捨てにするのだろうか?
どうしよう?
あっ、そうだ、ゴンチチのコンサートの後、一度だけサイン会の長大な行列に並んで、ゴンチチのお二人にサインしてもらった事がある。
あの時、ゴンザレス三上さんにもお会いした、、、、、、、、、
という事にしてしまおう。
そして、三上さんも『さん』づけしよう、、、、、、、、

かように、ワタクシは、どうしようもない小心者なのだ。

この小心者が、今、うろたえている、、、、、、
なぜかというと、、前々回の記事を書く時に、藤岡藤巻なるおじさんデュオについてちょいと調査してみた。
すると、見事にヒットしたサイトが、藤岡藤巻公式サイト

で、うろたえている理由は言うと、、、、、、、、、、、、、、、

どうやら、前々回の記事がこの公式サイトの管理人さんに見つかってしまったのだ。
その上、管理人さんが、藤岡さん(ほら、いきなり『さん』づけ、、、、笑)ご本人にチクってしまったようなのだ。
ご本人様(ほら、今度は『様』づけ、、、、、笑)、あるいは公式サイトの管理人様(ほら、こちらも『様』づけ、、、、、笑)の視線を感じる、、、、、、
「ほらほら、トーシローが、わかったような顔でつまんない事ばっか言うんじゃないぜ~」、と

はっきり言って、
逃げ出したい!!
とも考えたのだが、
逃げる前に居留守を使うという手もある。

へへへ、、、、、、、、、、

おかげ様(これは『様』付けではない、当然)で、ネタ1本分儲かったという本心を隠しておくのが大人の世界の鉄則でもある。





さらなる驚き

2006年03月04日 21時48分10秒 | 無駄話

まさか、叔父をご存知の方がこんなブログを目にとめていただいたとは、、、、
いまだに、全く思いもよらない展開の余韻に浸っていたところ、
またして驚くべき事が起こった

2月14日、ザ・ワイドという読売TV(日本TV制作)のワイドショーで、藤岡藤巻という名のおじさんデュオが特集されていたのを観て、牛乳サランラップのりという記事にしてしまった。

その続編の下書きができあがったので、今朝、新規記事としてアップしようとブログにアクセスした時、新しいコメントが書き込まれている事に気付いた。
なんと驚いた事にそのコメントの主は、記事で取り上げたデュオ藤岡藤巻のメンバーである藤岡氏であったのだ
どうやって、ここに辿り着かれたのだろうか?
誰かが、ご本人にチクったのだろうか?
これは、まずい展開になるかも?
と、考えるとさらに大量の汗が出てきた
まずい展開にならないように、心して対応しなければならない。

コメントには、
『もうちょっと真剣に曲作らなきゃと思いました。』
とある。
ちょっと待ってください、藤岡さん
真剣に曲作ったりしないで下さい、お願いですから、、、、、
それはアナタのキャラじゃないと思います。

さらにコメントには、
『今後とも見守っていただければ幸いです。』
ともある。
見守らせていただきますとも、喜んで。
でも、このままではライヴを聴く機会が無さそうですので、是非とも関西ツアーを敢行してください。
その折には、できるだけ、チケットぴあかローソンチケットでチケットを買えるようにして下さい。

『いつまでやれるか分かりませんが。』
ともある。
ず~っとやって下さい、お願いですから。

なんだか、感激です

でも、
このコメントの書き込みは、本当にご本人なんでしょうか?
ご本人ならば、お願いです、サインを下さ~い
ちょうど、ワタクシが東京へ行く機会がありますから。
ローリングストーンズの日本ツアーが行われる22日の東京ドーム、1塁内野席にいますから。

サインといっても、コメント欄に
『藤岡』
とか入力しても意味ないですよ、、、、、、

でも、このコメント文章の語り口は、TVで喋っていた藤岡さん(または藤巻さん、、、、、今はまだ区別が付かない、、、、笑)の語り口とおんなじです。
あんまり疑ってはいけない、きっとご本人だと思います。

なので、いったん完成した続編記事を手直ししなければなりません。
いくらなんでも、あのままでは、ご本人に失礼なので、、、、、、、

って
どんな事を書いたんだ?
気にしないで下さい


牛乳 サランラップ のり

2006年03月01日 00時30分55秒 | 音楽
あれは、2月中旬の事だった。

朝のワイドショーで、50代のサラリーマンおじさん2人組のバンド(ユニット)が特集されていた。
どうやら最近、都内のライヴハウスでウケているらしい。
ライヴハウスといっても、TV映像で見た限り、例えばブルーノートやSTB139みたいにオシャレな所ではなく、ただパイプ椅子を並べただけの客席が映されていて、食事するためのテーブルも見当たらなかったのだが、そのパイプ椅子を並べた客席は、確かに満席のようだった。
このバンド(ユニット)名は、藤岡藤巻
二人の苗字をくっつけたらしい。
ワイドショーで放映されていた藤岡藤巻のオリジナル曲は、この年代のサラリーマン達、あるいはその奥方達から大いに支持されているようだ。

TVで一部分だけ流されてた曲の中で、秀逸だったのが
牛乳 サランラップ のり
というタイトルの曲だった。

歌い出しの部分のメロディーは、かつてロス・インディオス&シルビアでヒットした『分かれても好きな人』に少しばかり似ていて、
アニメ『巨人の星』のテーマ曲のようなリズムで、
マイナーキーで、
サビの部分では、一人前にもコーラスが入っていた。

歌詞の内容は、


会社帰りのケータイに、妻からのメールが入っていた
読んでみると、そこには
『牛乳 サランラップ のり』
と、書かれていた

ちょっと前までは
妻は
『会社の帰りに、牛乳、サランラップ、のりを買ってきて下さい。』
とメールしてきたのに
今では
『牛乳 サランラップ のり』
とだけメールしてくる

もっと前には
絵文字や顔文字も入っていたのに
今では
『牛乳 サランラップ のり』
とだけメールしてくる、、、、、、、、


おおよそ、こういうストーリーの歌だった。

何やら、妻との仲がすっかり冷え切った家庭の様子を描写しているように読める。
聴いている客達にとっても、我と我が身に覚えがある風景のようで、その心の中に冷たい汗と冷たい風の存在を感じているようにも見えた。


いや、絶望という言葉と友達になるのにはまだ早い
そう、皆さんは、この曲について大いなる誤解をしているのではないだろうか?
ワタクシなりに、この曲について、ホノボノと暖かく、明るい未来につながる解釈をしてみよう。

この曲のバックグランドを紐解くキーワードとしては、『牛乳 サランラップ のり』というタイトルに提示されている。
この曲のタイトルの最後の言葉、『のり』は『海苔』ではなく、『』の事なのだという事に気づきさえすれば、仕事を終えて家路に着く夫の足取りも軽やかになるはずだ。

夫が、『牛乳 サランラップ のり』というメールを受け取ったこの日は、金曜日だったのだ。
そして、その翌々日の日曜日は、夫自身もすっかり忘れていたが、誰あろう夫の誕生日だった。

日常の忙しさにかまけているうちに、
「ここしばらくは、夫の誕生日のお祝いをしていなかったわねぇ、、、、、」
夫の誕生日を忘れてはいなかった妻は、そう思ったのだ。
そして、
「久しぶりにバースデーケーキを作ってみましょうか」
妻は、こうも思ったのだ。

思えば、結婚する以前から、夫の誕生日には、何かしら手作りのケーキや料理でお祝いしていたのだ。
が、
結婚して、
子育てや、
30年の住宅ローンの支払いのために残業続きの仕事に頑張っている夫の疲れた表情や、
妻もまた仕事と家事に忙しく立ち働いているために、なかなか夫と世間話をする暇も無く、1日24時間が過ぎる事がとても早く感じられる事や、
そのうえ、妻は、どうしても夫の両親としっくりいかないという事や、
どうせ、日曜日になっても、夫は、上司や友達との付き合いだか得意先の接待だかなんだか知れないけれど、私とは目も合わさずにゴルフに出かけてしまう事や、
ゴルフの帰りには、これまた上司や友達との付き合いだか接待だかなんだか知れないけれど、必ずどっかでお酒を飲んで、酔っ払って帰って来る事や、
そういう時には、きっと何か後ろめたい事があるのだろう、夫は絶対に私と目を合わそうとしない事や、
そのほか、とてもここでは描写するのもはばかられるような、あと16通りくらいの事が原因なのだろう、
夫の誕生日だからといって、何もお祝いできない年月が続いてしまった。

妻は、変わらぬ愛情を夫に伝えるべく、夫には内緒で、久しぶりにバースデーケーキを手作りする事にしたのだ。

バースデーケーキと言ってもケーキ屋さんのショーウィンドウを飾るようなバカでかい物は必要無い。
気持ちさえこもっていれば、小さいケーキで良いのだ

夕方5時に仕事を終えた妻は、帰宅途中にケーキ作りに必要な材料を買い揃えてきた。
だが、家に帰ってから、いくつか買い忘れた材料がある事に気づいた。

そこで、夫に足りない材料の買出しを頼む事にした。
グンニャリ、グッタリと疲れて家路にむかう夫に対して買い物を頼むという事に、妻は、本当に心苦しかったのだ。
夫に買い物などをさせて、本当に申し訳無いという気持ちで一杯だったのだが、バースデーケーキの件は、夫には内緒にしておかなければならない。
でなければ、サプライズにならない。
それに、買い物する品物を見たところで、夫は、その使い道について興味を示すことなど絶対に無い。

だから、あえて、愛想無く
牛乳 サランラップ のり
と、用件だけをメールに記したのだ。
できれば、
『お仕事お疲れ様でした』
などと一言書き添えたかったのだが、、、、、

このメールを読んだ時の夫の生気の無い表情を想像しながら、夫に申し訳ない気持ちで一杯になり、目にはうっすらと涙をためながら、妻はメールを送信したのだ

牛乳 サランラップ 糊
と。

もちろん、『牛乳』はケーキの材料に使う。
サランラップ』は、、、、、、、、?
え~~~~~~~~~、、、、、、っと?
ケーキを作るなんらかの段階で、使う物なのだ、きっと。

最後に残った『』だが、まさかこんな物をケーキに入れたりはしない。

妻は、夫あてに手紙を書いたのだ。
夫と出逢った頃は、お互いによく手紙を書いたものだった。
あの頃を想い出して、妻は夫あてに手紙を書いたのだ。
頬を赤らめながら、書いたのだ。
そして、
「いい歳をして」
と言われそうで、少し恥ずかしかったのだが、隅っこに小さくミッフィーが描かれた便箋に夫への変わらぬ愛情の言葉をしたためて、できるだけ可愛く見えるように折りたたんで、隅っこに小さくミッフィーが描かれた封筒に入れた。
で、封をしようととしたら、いつも家で使っているスティック糊がどっかに行ってしまって行方不明になっていることに気付いたのだ。
どこを探してもスティック糊は見つからない。
その上、ミッフィーの封筒の封の部分には糊づけも両面テープも付けられていない。
やはり、この便箋と封筒を買う時に、いろいろ迷った末に安物の封筒を買ったのがいけなかったのか、、、、、
「どうせ、夫あての手紙なのだから」
しかし、封筒を買う時にまさか自宅のスティック糊が無くなっているだろうとは予想していなかった、、、、、、
まさか、セロテープやホッチキスを使うのは事務的過ぎる、、、、、、

そういう過程を経て、できるだけ冷淡に仕上げた夫へのお買い物依頼メールに

が追加されたのだ。

こうして、ともかく、日曜日を迎えた。

その日は早朝から激しい雨が降っていたため、恒例のゴルフが早々と中止となってしまった夫は、家でゴロゴロするしかなかった。
子供達は、この激しい雨の中、塾に出かけていた。
出かけていってもらわなければ、話は盛り上がらない。
そして、妻の久々の手作りのケーキを目にした夫は、驚いた。
驚きながらも、喜んだ。
そして、二人とも、その日一日中ニコヤカに過ごした。

翌日、月曜日の朝。
遠距離通勤のため、妻よりも一足先に家を出ようとする夫に、妻は
「これ、お昼休みに読んで下さい」
と、隅っこに小さくミッフィーが描かれた封筒を夫の上着のポケットに押し込んだ。

そして、昼休み。
社員食堂で560円のB定食を食した後、夫は、今朝、妻が上着のポケットに押し込んだ封筒を取り出した。
隅っこに小さくミッフィーが描かれた封筒が何やら気恥ずかしく、机の下に隠すように妻からの手紙を読み上げた。

そこには、

○○スーパー特売 玉子2パック お一人様1パック限り 2回レジに並ぶ事

と、書かれていたのだ