孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

性欲と孤独感が無ければその人間関係も必要なくなります。

2013年12月29日 | Weblog
自分の思いを告げるその言葉の裏に欲が潜んでいること、然るに美しい言葉にトゲがあることを書いています。
然るに自分の思いを告げる相手がいなければ無言のままに時を過ごせます。

また本能である性欲とまた孤独感が無ければその人間関係が無くても何ら差し障りはありません。
然るに特定の人に愛しているとか好きだと告げる裏にはその性欲と孤独感が隠れていることにもなります。

然るに動物的では人間のプライドからして恥ずかしいからそこで美しい言葉を告げてそのプライドを守っているのかもしれません。

また人様の不平不満や愚痴小言や陰口を聞きたくもないのにそれを我慢しているのも性欲と孤独感が絡んでいることにもなります。

また楽しむのも楽にするのも一人よりも人数が多い方が都合がよくなりますが、しかしその相手にも楽しんで楽にしてもらえなければ不公平で機嫌が悪くなるしその不平不満や愚痴小言や陰口を言われますから、然るにその苦をそれだけ多く味わうことになります。

然るに得することも多いが損することも多く、然るにチャラになりますが、しかし精神面では良いことよりも悪いことの方が重みを増して残ります。
然るにその分だけ余計に不平不満や愚痴小言や陰口を多く言われます。

また雨やんで傘を忘れるが如くになり感謝が薄れてきます。
然るにその感謝が薄れるから尚更に不平不満や愚痴小言や陰口が多くなる要因にもなっています。

然るにそんな繰り返しの人生で一生を終わるのは惨めで虚しくなるのは当然です。

ちなみに裏表を味わっている私の此れまでの人生経験からして言えば、然るに多くを語らない人生の方が波風が少ないように思いますが皆さんはどう思われますか、

また孤独からして性欲が片手落ちになっていますが、しかし孤独感を味わう事無く勝手気ままな自由な時間とまた波風の立たない静寂な時を味わっていますが皆さんはどう思われますか、

何かご意見があればそれを書き込んでください。

(皆と一緒だから)「私は大丈夫」(信仰心から)「私は守られている」と思っているだけです。

2013年12月29日 | Weblog
自分さえ良ければでその良いとこ取りし合うご都合主義の人間関係を美化したがることからして、そこで愛情が言われ、絆が言われ、信頼が言われ、助け合い等が言われていますが、しかしその裏が隠れているその矛盾の事実を書いてきました。

しかしその裏の事実を知らなければ其れが正しいことになり、その行動をすることで私は正しい(潔癖症&正義感)にもなっています。
そしてそれらに反すると不平不満になり、それからして更に不安や怒りになり自殺や他殺の破壊意識やまた正義の戦争にも繋がっていることを書いています。

また(世間に目立つブログをちょこっと見ると)<完全>の意味も知らずに不完全&矛盾&不確かなことを如何にも完全事実に似せて書いていたり、また安心のアメと恐れのムチの両方を書いていたり、また私は正しい&正義の味方&錦の御旗にして人心を惑わしているブログが目に付きます。

然るにそれらを書く者も欲絡みであり、それらを読む者も何らかの欲からしてですから、結果的にはその矛盾不完全さに気付けないようです。
またこのブログで諸悪の根源が欲にあると書いていても、然るに表立った大きな欲のことばかりに気をとられて陰に潜んでいる小さな欲に気付けないのです。

ところが(このブログを含めて)それらも単なる知識で終わっているから、
然るに知っているだけ&言うだけですから、それが大勢であれ少数であれ、私的には(個人的には)「どうでもよく」然るに「どうしようもない」(関係ない)のです。

それよりも自分さえ良ければの皆の集合意識&闇意識に流されている、然るに赤信号を皆で渡っている方が問題なのです。

だからその集合意識&闇意識&真坂の有事に巻き込まれないために、然るに己の意識からして欲から抜け出し離れることが肝心なのです。
然るに己の欲に気付いて、その欲を出さないようにするしか、他に道はないのです。

然るにその欲を出さないでいると欲張る者から置いてきぼりにされますが、それさえ気にしなければ(見栄や世間体が無ければ)赤信号を渡ること無く穏やかな心で過ごせるのです。

そして欲張らなければ自力を多く使う事になりますからその自信も出てくるので(確かに生きていることを味わえるので)この先に起こる有事に(流されることなく)対応できる精神力も次第に身に付いてきます。

然るに欲張るその闇意識には安全安心は絶対に無いのです。
なのに(皆と一緒だから)「私は大丈夫」、または(信仰心から)「私は守られている」と思っているだけです。

然るに皆から(欲張る者から)離れたり、また他力依存(頼る&信じる&信仰心&期待感)から一旦離れると、
この世の不完全さやその人間関係の不完全さや己の力量不足に「気付き」ます。

然るに余計なことや無理なことや無駄なことをし無くなり(欲張り頑張り見栄張りしないで)然るに「楽に生きる」その深い味わいを知ることになります。