孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

何で執着するの?

2012年10月05日 | Weblog
私があまり拘り執着しない性格からして、今の精神世界を知る以前から何でそんなに執着するのよと思ったことが我家の家庭生活の中でもあったし、またマスコミ報道される中の多くが執着しすぎていると思ったものです。

その執着からして他の人を巻き込む事になったり、またマスコミ報道されることで関心が高まりその集合意識も高まりますから政情にも影響しています。

そして不満に執着し続けることからして仕返し報復・制裁成敗・破壊意識(自己破壊・他者破壊)が高まりそれが他にも害・影響を及ぼしながらどんどん泥沼にはまり込みそれが人殺しの戦争にもなっています。


その事例を何度も書いているので省略しますが、古今東西で起きている事件や事故や災害がある度に物議をかもし出していますが、その物議を交わしている人たちがそれを生業として収益やまた知名度や肩書きにもなっていますが、しかしそれでその形が少し変わるくらいで根本から解決することはありません。

そして時間と共に世間のほとぼりが冷めてくるといつの間にやら無かったも同然のように忘れられます。

しかし事が大きいことであれば時おり蒸し返されてまた物議をかもし出すことにもなっていますが、そうなると執着し続けている人がいたことになりますが、その人は此れまでどんな心持で過ごしていたのかと(私の経験からして判るだけに)気の毒にも思えます。


その執着の中に仇討ち仕返し報復復讐成敗の意識が込められているときがありますから、その当事者の心持は如何なることかと察して余るものがあります。

と言う私も牛乳販売当時の日付問題で製造工場に私が正しいとばかりに怒りが伴う執着からしてその仕返し的な抗議までしたことが思い起こされました。

それほどまでも執着しても、結果的には一文の得にもならなかったばかりかその間は無理があり無駄があり余計なことばかりしていた事実とその間は精神的に乱れていましたし、おまけに接触事故や追突事故もありました。

すなわち拘り執着することのその利よりも損が大きいのです。
しかも我を見失うほどの精神的な苦痛を味わい続けることにもなるのです。


とろこで執着ともいえないような「思い」を持ったことが原因からしてそれが現実事実になる仕組みがあるのも事実です。

だからテレパシーとかヒーリングとか念力と言われる現象があるのも事実です。

何故ならば、すべては意識が原因のその結果がこの世であることを学び知り気付くために、その仕組みが働いているのです。


だからそれら(個性役割)を得意げに見せびらかしたり宣伝して金儲けに結びつけたり知名度アップや肩書きにしていれば、その「良いとこ取り」のしっぺ返しに大きなものを呼び込みます。

それがこの世で起きなくてもあの世で数倍の苦となって現われるようです。

どうやら精神世界を食い物にしていた間違いのその帳消しの裏を味わう事になるようです。


また(私と縁があった霊能者が語ったことですが)過去のお役の者・宗教家・霊能者・超能力者の類があの世で「何でこの私が」としきりに悔やみごとを言っているそうです。

その「お役を果たす」どころか途中で邪な魂・動物霊になったその過ちに気付かせ修正する、そのお役をしているのが私と過去にご縁があった霊能者でした。