孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

潔癖・完璧・正義感の「分離意識」(VS)<すべては愛&すべてはひとつ>

2013年03月29日 | Weblog
精神世界の初心者である私が極悪人&サタンも愛の人になるという「すべては愛」の教えに違和感無く素直に理解できたのも、何かと忌み嫌う潔癖症や成否を気にする完璧主義的な性格を持っていなかったことがあります。

そして「天地創造」「十戒」などの映画でイエスがサタンを地の底へ落とし込むシーンや堕落した人で溢れている街を消滅させるシーンや神に従ったものは助かるが従わなければ苦しみ死ぬとか(神が善と悪を使い分ける)また(神に絶対服従する意味からして)我が子を生け贄に差し出すシーンやモーゼの海割れ現象で追っ手の兵隊を溺れさせるシーン&人殺しシーンを違和感と恐怖感と正義感などが入り混じって観ていただけに、
その潔癖完璧正義感やまた神に対する絶対服従や恐怖感を教え込む(サタンが如き振る舞い)その間違にも気付くことができました。

そのすべては愛を説くその霊能者が召喚した霊魂と語り合う内容を記した「お伝え」の中に、
いじめが原因からして胴体から切り離された生徒の首を校門の柵に吊り下げるというような身の毛もよだつような残忍な事件が起きたときに、その召喚された霊魂が語るには、その少年が犯罪を犯すに到る間やその所業の精神的に窮するその苦悩苦痛が如何ほどのものであったかを神の愛の心で語り、その少年がこの世に示したその行為「お役」を果たしたことを「誰もが出来ないような大変なお役目を果たしていただいてほんとうにご苦労さんでした」と(高次元霊界・天界において)そのお役を労っていると言う様な内容からして「すべては神の愛」を説いていました。

と言うことからして、このブログに来られる人の中に悪を排除したがる潔癖完璧正義感の強い人がいたならばその違和感や否定反発心からして離れていく人も多いと思っています。
そして正義感のイエスキリストを崇めることにもなるかもしれません。

だから「良い悪い」で分離判断する意識が強い人ほど潔癖・完璧・正義感が強くなります。 

しかし精神世界を深く熟知するほどに分離感が薄れていき更にすべては「ひとつ」につながっていることを悟ります。
ゆえに「すべては愛」であり「すべてはひとつ」なのです。

と言うような基本的な内容を多く書いているのがこのブログの初期にありますので参考にしてください。

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