孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

頑張らないグーたらが<心の平和>となり、欲が心の闇となります。

2019年06月13日 | Weblog
過疎地でもって孤独の自由を味わいながら到達したのがグーたらに生きることです。

過去のお偉いさんが…此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして自己拡大した過ちを知った私からすれば…食って寝て糞をしながら生きていること以外は…野生のライオンを見習って…食欲を満たした後は涼しい木陰でグーたらしていることに限ると言うことです。

ちなみにこれまで根掘り葉掘り書き続けてきましたから詳細は省きます。

観たいテレビを見ることで余計な思い感情が出てきて精神が影響されます。
特に映画ドラマとなるとハッピーエンドになるところに邪魔が繰り返し出てきて見ている視聴者までが描かれている思い感情になってしまいます。

また諸々のゲームをしていても同じです。
…自問自答すればわかるはずです。

スイッチポンの快適便利な生活をしていても満足納得できないで不満があるはずです。
…満足納得していれば逆に素朴謙虚になってグーたらになっているはずです。
…ファッションだのグルメだのと気にしていないはずです。

趣味嗜好娯楽に関わることでそれが喜怒哀楽のストレスになっているのは確かです。
…ストレスなんかあるはずもない、逆にストレスが解放されているとさえ思うならば、それは自惚れ慢心の自己満足で納得している偽善者になります。
だから人様に自慢したくなっているはずです。

恋愛も結婚もセックス関係が前提になっているからには人情愛情はあっても純愛ではありません。
…だから別離・別居・離婚・再婚・再再婚となっているでしょう。
…だから愛の結晶と言われる子供のことよりも御身が一番でしょう。

ちなみに恋愛円満・夫婦円満・セックス円満・家族円満・仕事円満なんてあるはずもなく見せかけです。

何たってこの世人間界が不満と欲と矛盾に満ちた人間関係でもって間違い狂っているのですから絶対にありません。

ちなみに〇〇円満を求めている人は、その○○が不満だからなのです。
…幸せ天国を求めることは、今が不幸で地獄が思いをしている、その不満があるからです。

ちなみに矛盾しているのが事実なのに、どんなに言い訳正当化しても矛盾を覆すことは天地がひっくり返っても絶対に無理なのです。

矛盾偽善から始まったことはその結果も矛盾偽善になるのが事実なのです。

そんなことを知らないでいると惑わされ被害者になるのです。
また逆に事を成して加害者の立場にもなったりするのです。

とにかく…グーたらに生きている中に…
善いも悪いもありません。
好き嫌いもありません。
優劣なんか関係ありません。
損得勘定することもありません。

上下左右の差のなない真ん中の普通でもって成り行き任せに生きていきます。

そして宇宙・神・愛の仕組みからして用意されている豊かな自然界の恵みである衣食住に満たされているだけで十分納得できるのです。

間違い狂っている人為人工的な文化文明芸術やら教育指導や伝統風習などの諸々が次第に必要無くなっていくのです。

それを欲で守ろうとするから否定反発排除や束縛制限支配やらで間違い狂い闘うことになるのです。

そして勝てば官軍負ければ賊軍となる矛盾の繰り返しが続くのです。

そして大勢の人を殺した結果を出した人がヒーロー英雄勇者になるのです。

然るに欲が心の闇なのです。

頑張らないグーたらが心の平和になるのです。

そして自由がなければ平和平等にもなりません。

となれば不満と欲と矛盾から始まる人殺し戦争がずーっと繰り返し続くだけです。

ちなみに私ごとですが…何かのきっかけでふと欲が出た時に…その欲が出たことに気付いて…あら、欲が出ちゃったのね~と何やら可笑しくなって、自分が自分を笑い飛ばしていることが時々あります。
然るに拘り執着しないで笑って終わるのです。

とにかく不満と満足の繰り返しとなる喜怒哀楽などのストレスのないグーたら生活を味わえば…
逃げるが勝ち、負けるが勝ち、捨てるが勝ち、
言うより易し、習うより慣れろ、住めば都となります。

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