孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

巷の精神世界を知って苦労&修行するのでは無く、真の精神世界を知って楽になるのが本来の精神世界です。

2014年01月25日 | Weblog
金銭物品に対しては個人の思いだけ(一方向)ですが、人間関係となると相手の精神感情が絡んで影響しますから、然るに何かと思いが嚙み合わずにすれ違い、然るにヘンテコな関係になるのです。

然るに金銭物品よりも人間関係をしっかり見極めるとその矛盾がはっきりと浮かび上がってきます。
そして人間関係だけは「どうしようもない」ことに気付きます。

ところが(このブログを読んでいても)(よく噛みしめないから)(真剣さが足らないから)大方の人が「何とかなる」と思ってそこで無理し余計なことをし無駄にしている事実に心からして気付いていません。

然るに骨と皮だけの有り様になるほど修行した釈迦がその弟子達に修行は無駄だと諭したのにその弟子達は修行をやめる事が出来なかったのと同じです。

然るにいくら精神世界を諭してもそれも無駄で無理で余計な事になるのです。

然るに人間はどうしようもないのです。

だから欲張らないことを書いても欲張って生きることにもなるわけです。

そして満足することよりも不満に思うことが多いのが人間性の中にあるからして、結局は苦労苦悩する事が多いわけです。
然るに生きていても満足できずに面白くないのです。

そこで満足を探し追い求めることにもなっているのです。

しかし欲張らずに生きていれば不満になることも少なくなり、然るに満足を求めることも少なくなり、その苦楽&喜怒哀楽で生きることが減り続けていき、然るに波風の無い穏やかな生き方になるとして書いているのです。

そこで何とか実践する気になっても自分独りでは心もとないから相棒仲間を探す事になり、然るに集りたがるのです。

然るに自信が無い、然るに勇気決断力も低く、然るに他力に頼りたがることにもなるのです。
そしてちょっとでも都合が悪くなると精神世界でもって生きる、その実践する気&実践意識が失せていくのです。

ちなみに大昔より生きることだけでも大変だったから、然るに誰しも楽に暮らしたいからとそれだけ頑張ってきたのですが、ところが近年になって何とか楽に生きられるようになったのに更に欲が出てきて、然るに楽して楽しく生きるためにまた頑張り続ける事になり、然るに上を目指し(修行が如くに)続ける事になっているのです。

然るに己の内なる精神世界で生きることよりも形ある衣食住のために頑張る事になり、それに伴う人間関係で苦労するその繰り返しの中で生き続けることになっているのです。

そこでもう既に楽にして生きて行ける状況になっていることに気付き、ここらで欲張ることを止めて(巷で修行することをやめて)楽チンにして生きていることの正味を味わえば、
然るに趣味嗜好娯楽の変化刺激で生きることの愚な精神にも気付き、またどうしようもない人間関係を気にすることも無くなり、
然るに精神的&感情的&肉体的にも呑気気楽なその楽チンの生き様を味わえることになるのです。

然るに巷の精神世界で苦労するのでは無く(修行するのではなく)精神世界を知って楽になるのが本来の精神世界なのです。

ちなみに欲を出す自己拡大を一度味わい、そこで今度はその欲を出さない自己縮小を味わい、そこで欲張らずに生きることの真価に気付きそれを味わうことで人間の役割使命がまっとう出来るのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。