孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

此れまでの矛盾した無駄な人生を「活かす」ことも、それを「終わらす」ことも出来るのが「完全真理」です。

2010年12月30日 | Weblog
様々に接し触れ合い味わう中にも「差」のある不完全なものがあります。
また自力を使って成すことが出来る自信の中にも「差」のある不完全なものがあります。
・・・それを文明社会の現代人と非文明社会の先住民族とで表すとしたら・・・

現代人は比較競争の差を味わい、その差を自信にしています。
だから勝った者は喜びますが、負けた者は悲しんだり悔しがります。
そして勝ったことを自信にしてプライドを持つことにもなりますが、負けた方は自信をなくしたりプライドが傷ついたりします。
だから自信が長続きしません。
だから比較競争で得た自信はいつ消えるかもしれませんから不完全なのです。

ところが先住民族が何か競い合うことがあっても、特別に練習・鍛錬したことではなくて日々の暮らしに密接した必要な事柄をしているだけですから、自分の能力・技術を披露しあっている感じで勝ち負けをあまり意識していないと思います。
だから勝った者も負けた者も競技をお祭りのように皆と一緒に楽しんだことになります。
それを現代人のスポーツ野球に例えると、先住民族は野球競技を楽しみますが、現代人は勝敗を楽しんでいます。

このことで思い出にあるのが・・・中学校の野球部の部活支援に生徒の親として数人が手伝っていたときのことですが・・・他校との練習試合に出向いて試合を静かに観戦していましたが、結果は生徒の技術不足で試合は負けたのですが、その相手チームの担当教諭が「試合には勝ったが、野球には負けた」と言って、(私方の部員はまず練習試合が出来る事を喜んでいますから)元気いっぱい楽しんでいる皆の気合とそのチームワークのよさとマナー・礼儀さを称えていたことが思い出されます。

人間として生きているからには楽しむことも必要です。
だから必然で多くの趣味嗜好娯楽があります。
そして上手下手に関係なく(差は無く)下手は下手なりに楽しめるのが本来の趣味嗜好娯楽です。
だから「差」を付けるために楽しんでいるのか、または自分に出来る事を楽しんでいるのかでその生き方が違ってきます。
(概ね)比較競争をして差を付けることを楽しむ形になっているのが現代人です。だから上手下手・勝ち負けを気にしています。特に勝敗に執着すると卑劣なことまでしかねません。
だから結果的には楽しんで終わるのではなくて、楽しむための形に苦楽がともなっていて、しかもそれがいつまでも続く(執着)残念無念の結果が付きまとっているのです。

だから良い悪いの比較競争のために生きてその自己満足と不平不満の繰り返しをしているのが現代人であって、生きる為だけに自然と共に生きているのが先住民族になります。
また生きる為に生きる中にも、宇宙の流れ・時の流れに逆らってまで生き延びようとするのが現代人であって、あるがままの自然に任す生き方が先住民族にあります。

そして宇宙の流れ・時の流れを川の流れの如くにして・・・その流れに逆らうこともなく、また必死になって岩にしがみ付いたり木の枝をつかまえようとすることもなく、ただ流れのままに我が身をゆだねていても安心しておれるのが★「自信」です。
だから喜怒哀楽で浮き沈みすることなく、見栄や世間体や生老病死を気にして止まる事無く、また多くを望まず簡素に生きて、自己満足や不平不満の繰り返しをしないためにも、無理なく自分に出来る事をやりながら、慌てず騒がずに確かな自信でもって平然と生きていけばいいのです。

だから捜し求めず、欲張って無理をせずに、事欠くことがあっても与えられ恵まれるまで待つ、そして分かち合う協調・調和でもって、宇宙の仕組みの必然ご縁の成り行き任せに生きることが「川の流れに身を任せて」生きる例えになりますが、確かな自信が無ければ出来ることでは有りません。

ところが比較競争から得た自信は不完全ですから本物には決してなりません。
だから日々の生活の中で不平不満・不安心配・恐れが出てきて「生きた心地」がしていないのです。
しかも何か事欠けば見境無く奪い合い(強奪・略奪・侵略)我先に欲しがるのが文明人です。

だから、始まりなき終わりなき川の流れに身を任せていたら楽ちんの人生になるものを(行くべき所に行けるのに)、そんなことでは先行きが不安だからと(邪魔な人を押しのけ排除してまで)流れに逆らったり、押し流されないように必死にしがみ付いてそこで止まったり、または上流にはもっと良いことがあるかもしれないと思って公害副作用のある文明の利器を使ってさかのぼったり、または結果を先取りしたくて我先に下流に急ぐようなことまでするように、そんな無理をして何とか克服し事を成したがるような、そんな「無駄な人生」で終える繰り返しを(この地球で)何度もしてきたのが我々人類です。

ところがその無駄な人生を「活かす」ことも、それを「終わらす」ことも出来るのが「完全真理」です。
すなわち苦楽の人生・無駄な人生だった事を完全真理の実践でしっかり悟ることで、その苦楽の無駄な人生を終わらすことが出来る英知になり、そして新たな進化・意識改革を成して、あるがままの宇宙意識の流れ(宇宙の進化)に沿った生き方になるのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。