孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

外面で楽しく生きる、苦楽の感情で生きる、内面の安心安全で生きる、死んで元々とは、

2013年03月23日 | Weblog
このブログの書き込みの中に<私は>から始まることが多いことに違和感を持っている人も多いと思います。
だから私は個人意識丸出しの人間ですと正直に書いています。

何たって自分さえ良ければの個人意識を持っているのが私たちだからです。
だから人様のためにしているとなればそれは偽善になります。

だからこのブログは(先ずは)暇で退屈している私のために書いていることであり、また書くことで私自身の学び気付きになっている事実があります。

また自分さえ良ければの自分のためにしていると自覚しているほうが正直・素直・謙虚にもなれるのです。
だから特別意識を持たないようにもなります。

そして家族のためにしていると思うのも裏返せば自分のためにしていることだと自らが自覚していれば不平不満や家庭不和にもなりません。
しかしそれとは違って特別意識の恩着せに思う人が(家族両親や仕事関係の中にも)いるからその人間関係&家族関係が不調和になるのです。

だから精神世界のことを説くことにもなるのです。
ところがその精神世界を説く者までが指導者先生ぶって(ありがたぶって)恩着せにするから(恩着せに思わすから)(思惑期待を持たすから)尚更にややっこしく矛盾することになるのです。

そんなことを書く私は人様から恩着せに言われることが嫌いなタイプだけに私から恩着せにいうことはありませんでした。
だから自分のために率先していることが(人生を楽しく生きることが)家族のためにもなっていれば(陰ながら役立っていれば)尚更都合がいいわけですから、それを家族やに恩着せに思うことにはなりません。

それどころか自分勝手に生きているからこそ妻や子供を束縛制限せずに自由にさせているし、
また私が先祖供養も親孝行もする事無く両親が他界したことが私には都合が良かったことからして、それと同じくして私に対する親孝行やその供養は不要と言付けていますし、
もちろん妻思いの夫でもなかっただけにその妻の夫思いも期待していませんし、それどころか妻から色々と小言を聴かされる(巻き込まれる)その心配からしてほっとかれる方を望んでいます。

だから何度も書いているように医科学の医術や薬剤に頼らないままに死ぬその自然死を望み、また老人介護や入院介護とならないままに人知れずに死ぬ無縁孤独死を望んでいるのです。

だから「死ぬ時が来たら」未練も後悔も執着も無くして「あっさりと死ねる」ほうを選ぶことになります。

巷の言葉に「死んで元々」がありますが、死んだら元に返る、すなわち生まれる以前の、得も損も無い差し引きゼロの「元の状態」に戻ることだったのですね。

そしてまたそのゼロから始まり死して終わりゼロに戻るその始まりと終わりの繰り返しをしてきたのですね。

そして「楽しく生きる」ことが、
外面の物質金銭に恵まれたその価値観(差)の自己満足や自惚れよりも、
また内面が外に出るその感情が波のようにゆり動かされるその苦楽よりも、
穏やかな安らぎの安心安全の心持(精神&意識)で生きることに価値(真価)があったのですね。

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