孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全真理を実践していても、自らを束縛制限して不自由・不平等な生き方をしている場合も多い・・・

2010年05月10日 | Weblog
プライドが高い人ほどこと細かく選り好みすることが多いので・・・その分だけ自らを束縛制限します。
就学・就活などで・・・ブランド志向、規模や内容や収入の比較、立地条件や快適便利な条件などと選択を狭めます。
婚活にしても、生活の場にしても、その選り好みがすぎたり、食品物質も同じく、大差が無くても選択を厳しくしてこだわり執着します。

また・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、怖がる・・・すなわち否定反発・排除したがる敵対意識や不信感を持っていることでその不安心配・恐怖心から自らを束縛制限していることに気付いていません。
しかもその否定反発・排除したがることが真理で言う・・・敵対意識・守り闘う意識や不信感であることに気付かない人もいます。

そして独りでいると寂しいから怖い・・・薄暗い場所は怖い・・・不潔な場所は怖い・・・ またウイルス・ばい菌は怖い・・・その病気が怖い・・・などと怖がる中に不信感を自他共に持っています。 すなわち・・・自分に自力・自信が無いから「自己不信」で自らを不安・怖がり」また「他を信用できないで怖がる」ことからも・・・恐怖心が多くなるのです。

不衛生不潔を嫌う人は・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
家畜や動物を怖がったり毛嫌いする人は・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
飛行機や船に乗るのが怖ければ・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
高所恐怖や閉所恐怖があれば・・・それらに接し触れ合うことを制限します。

危険な場所を怖がれば・・・それらに接し触れ合うことを制限します。
寂しがりやの人がお一人様生活を選択することはまずありません。
ヘビやムカデや毛虫やクモなどが怖ければ荒れ果てた場所や茂みや藪の中に分け入ることをためらいます。
薄暗く陰気て気味悪いと思う家屋で生活することはまずありません。
快適便利な生活を望む人が何かと不便な場所で生活することはまずありません。

だからその分だけ自らを束縛し制限していますから・・・生きていく過程での様々な状況での選択肢が少なくなります。
そして好き嫌いで選り好みするから・・・その分だけ不自由することも多くなります。
だから・・・就職難・就職氷河期だと(有事だと)世間で騒がれています。
また・・・生活苦・貧困格差・無縁社会などと(有事だと)騒がれています。
また・・・リストラ・過重労働・過労死・ストレス・うつ病・精神疾患・自殺など(有事が)騒がれています。
また一方では(失業者が多いのに)・・・人員・人手不足でやむなく事業縮小や廃業に(有事に)追い込まれている中小企業や地場産業も多い・・・矛盾があります。

そこで・・・プライドが無く、比較差別が無く、思惑目的理想が無く、その選り好みをしなければ・・・必然・ご縁で恵まれ与えられたものを素直に受け入れ接し触れ合い味わっていれば・・・いつの間にかそれらの(知らなかった)真実が見えてきます。
だから(私の場合は)・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、怖がるなど、否定反発・排除したがる敵対意識や不信感・不安心配・恐怖心が少ないことから、一般的ではない居場所・環境・状況の中でも平然と(成り行き任せで)自分らしく生きています。
・・・此れまで草刈・伐採・畑仕事・溝ざらえなどを手伝ったりして、その面白さ楽しさを実際に味わい知りました。
また・・・熱かろうが寒かろうが、汚くて臭かろうが・・・その下水・排水の土木作業や牛飼いの餌やりの下手間・単純作業のバイトに携わったことで・・・此れまで知らなかったことを(精神的・技術的なことを含め)多く学び知りそれが自力になり、またその楽しさを味わいながらも収入になるという喜びを・・・はじめて知りました。

ところが・・・私の生活ぶりをかいま見たり、通りがかりに見たりして、その見た目だけで判断している人であれば・・・何でそんな所でそんな生活・仕事をしているのと・・・貧乏哀れ惨め気の毒に思ったり、無能な非生産性に見えたり、無縁孤独の非人間性やその老後生活が非社会性に見えたりして・・・私の生き様を否定反発しているかもしれません。
そんなことから・・・臭い、汚い、気味悪がる、毛嫌いする、むやみに怖がるなどの否定反発排除意識を過剰に持っていると・・・(たとえ完全真理を実践していても)片手落ち偏見になり、まだ知らない真実・事実・本物を学び知ることにはなりません。 

その逆に選り好みをせずに、全てを必然と思い、素直に接し味わってみることによって(結果はどうであれ)そこで始めて今まで知らなかったその真実が見えてきたりして・・・すべてが「ひとつ」ですから(あらゆる全てが一つの真実につながりますから)・・・その「ひとつ」の完全な「宇宙・神・愛・命・意識」の真実を学び知ることにもつながるのです。

しかし良いとこ取りの選り好みやその先入観に囚われていたら(完全を知ることも出来ずに)自らを束縛制限していますから・・・その分だけ自力・自信が乏しくなり・・・(この先々で)この世に起きている様々な有事に遭遇したり、その有事の火の粉が我が身に降りかかってきたときに混乱・動揺して(予期せぬ結果に)上手く順応・対応できないまま・・・その未練・後悔・執着に囚われてしまって・・・いつまでも思い悩み苦悩する生き方が続くことにもなるのです。

だから・・・自分の都合が良いことを取り、悪いことを否定排除したがる(臭い・汚い・気味悪がる・毛嫌いする)(不信感で怖がる)その分離意識(差別・特別意識)を無くしていくことになる・・・「自己縮小」が言われているのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。