孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「守る」は「戦う意識」

2008年02月06日 | Weblog
これまでに無かった新たな完全真理が現れた事で旧来の差のある真理を信じていた人達が何かと反発拒否したがる傾向にありますが、反発拒否すると言うことは「守り」になります。 すなわち「守り」に入ることは・・・もう片方に攻めて来る敵がいるから、その敵から自分を守るために反発拒否して相手に攻めに入ることになります。 正当防衛や正義感で戦って相手を打ち負かす、倒す、殺す、戦う意識を持った偽善者になります。

そして「守り」と「責め」の両方を一緒に持ったことになり、両面・二面・裏表に分離して良い悪い・善悪優劣損得の「差」を持ったことになります。 すなわち「差」を生み出す形の中に平等・自由はありません。 すなわち自由平等より差をつけた生き方を選んでいる人になります。 すなわち自由平等よりも先ずは自分が大事な偽善者になります。 どちらが良いか悪いか・優れているか劣っているか・損か得かを比較競争して決着をつけようとして競い合い戦うことになり、それが過ぎると破壊し合う・奪い合う争い戦争になります。 すなわち競い合う戦争意識・差別意識を持った偽善者が言う真理・宗教になります。
そんな差別意識・競争意識の有る真理・宗教を自信持って(信じきって)宣伝広報活動している姿形は世の為人の為にあらず、自分の足跡に偽善のタネを撒いて歩いている偽善者なのです。

神や真理を信じて実践していれば守る必要はまったくありません。
すべての人のための神・信仰・真理であれば、他の誰からも守る必要がないから決して守ろうとはしません。 たとえ神・信仰・真理が純粋であっても、何かから守る「守り」になれば、それは私を守る神・私にとって大事な信仰・真理になり、個人や限られた人を守る個人的な神・信仰・真理になり、純粋・完全な神・信仰・真理にはなりません。
すべての人の神・信仰・真理であれば誰とも競い合ったり反発拒否拒絶することもありません、だから守る事も耐える事も戦う事もしません、そのまま・あるがままにしておきます。

この世は裏表・二極性の世界ですから、「守る」ことが過ぎれば戦争・破壊につながるのです。 家庭でも社会でも国家でも同じです。 たとえ守るのが当然であっても執着すれば守りが戦い破壊になるのです。
自然環境を守る意識も同じです。過ぎた守り意識になると必ず裏側の反体制の敵を必然としますから、環境を破壊汚染する人は悪い人・悪い国だと怒り憎しむことになり、その憎しみ怒りが戦争侵略の道具に巧く使われる事もあるのです。
自然を守る意識ではなくて・・・自然はお蔭様のアリガタイものと感謝の心になれば、指図強制しなくても、自らが進んで自然を大切にする心掛けになっていくのです。 
省エネ・無駄を無くするという「結果を求める」のではなくて、自然はアリガタイものというお蔭様の意識になるようにもっていけば、自ずと省エネ・無駄を無くする取り組みが当たり前に実践できるようになるのです。 
感謝が無いから見せ掛けで守ろうとするのです。そして都合が悪くなれば言い訳正当化して自然環境を汚染したり破壊することも平気でやるのです。 すなわち自然が大切ではなくて自分が大事なのです。自然を守ることより先に自分を守りたがるのが過ぎた個人意識・特別意識を持った英雄・ヒーロー・リーダー・支配者たちなのです。 だから環境改善どころか環境の悪化が止めなく続くのです。
言い訳・正当化・自己満足・自己主張・顕示する個人意識・差別意識・特別意識を無くしていく自己縮小を実践していけば、(捜し求めなくても)自ずと真実の神・愛・人が見えてくるのです。

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