孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「様々な価値観の違いが恋人・夫婦・家庭関係に影響している」

2021年01月01日 | Weblog
我々人間は自分さえ良かったらの個人意識を持っています。
その個人意識の中には良い悪いで判断する差別意識があります。
そして自己保身の守り意識を持っています。

個人意識には良いと悪いの表裏を持っていますから、幸せがあれば不幸があります。
それでは「幸せ」とは何でしょう・・・ 不幸でなければ幸せでしょうか、そして幸せでなければ不幸でしょうか、幸不幸の境目線引きは何処にあるのでしょうか・・・ それは人それぞれの価値観の違いで決まる「己」の思い、己個人の意識にあります。
100円の価値は100円ですが、100円の価値観は10円だったり1000円だったりして、それぞれによって価値観が変わりますから不動ではありません、すなわち価値観は己の思いだから非実在で不完全なのです。 不完全であれば実在できませんから幸不幸は非実在で無いのです。 無いのに勝手に有るように思っている思い込みや思惑の中に有るものです。
すなわち自分だけの思い込み思惑で生きているのが個人意識の私たちですから、全ての人にそれぞれの思い込みや思惑が違ってあります。 すなわち価値観が違う者同士が寄り集まっている国家・社会・地域・家庭なのです。

人を好きになる恋愛も思い込み思惑で好きになっているだけだと、思い込みや思惑が違ってくると嫌いになっていきます。
そんな者同士がめでたく結婚しても互いの価値観の違いで擦り違い行き違いの摩擦や衝突が有って当たり前になります。 そして幸福に思ったり不幸に思ったりしながら互いの関係を保とうと努力します。 でもいくら努力しても互いの溝は埋まりません、何故なら自分さえ良かったらの個人意識とその価値観の違いがある限りどうしょうもありません。
それが私たち人間社会です。 その社会や家庭を幾ら闘い守っても互いに自己満足するか、不平不満に思うか、それとも裏切って切り捨てるか、だけです。

何千人の友達がいても、真の友達は一人もいません。
何千人の先生や先輩後輩がいても、誰一人本心から信頼していません。
自分と言う「私」が先にある限り、言うだけ聞くだけ思うだけの関係になります。
すなわち相手の性ではなく、自分の意識に問題があるのです。
だから孤独に生きることにもなっています。
その孤独を不平不満に思えば孤独感に変わります。
幾ら衣食住・財が有って、そこに大勢が寄り集まっていても、孤独感が出て来ます。
恋人や夫婦が肩を寄せ合っている中にも不信感があります。 その不信感が孤独感にもなります。 それは心が通じ合っていないからです。

互いの心に通じ合う、響き合う、心に届き満たし合える、真の心の友が一人でもいれば、その人を何よりも(衣食住・名・権・財よりも)大切に思う感謝に満ち溢れた絆で結ばれますが、それには先ず先に己が優しさ思いやり感謝の愛の人にならない限り、不完全が完全と絆を結ぶことは無理なのです。

だからせめて未熟同士でもいいから、(心が通じ合わなくても)一人でも多くの人と共に分かり合える仲間として接し触れ合うことにでもなれば、今を生きていることに花を添えられたような思いとそれが自信となって、今以上に自己縮小の実践が楽しくなっていくでしょう・・・と、・・・このような「思惑」を持つことが自己拡大にもつながることを知っていますから、今は思惑・期待を持たない「あるがまま」の実践を意識しているところですが、それこそなかなか思い通りには行きません・・・たぶん自力では無理でしょう・・・
それでも諦めずに実践意識を持ち続けることが大切なことを知っていますから、その点なら大丈夫でしょう・・・ これが自己満足であり主張顕示となります。 もうどうしょうもないですね・・・m(__)m だから・・・よい子は真似しないでね・・・

私が初心者の頃に(2008/12/26)に書いただけに文作は未熟ですが…その分だけ基本を詳細に書いていましたので再投稿になります。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。