孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私は自分さえ良ければの個人意識丸出しで生きていますがそれを恥じてはいません。

2013年05月19日 | Weblog
私は自分さえ良ければの個人意識丸出しで生きていますがそれを恥じてはいません。
何たって天が意図して(原因からして)個人意識の人間を創造誕生させたのだから、その天に恥じなくても大丈夫です。
だから精一杯自分のために生きています。

ところが巷の精神世界では世のため人のために生きなさいとか説く輩がいますが、その輩自らが個人意識丸出しで生きていることを隠して聖人君子が如くに、神の遣いが如くに、神意識&宇宙意識が如くにして説教指導しています。

しかし私は先ず自分があります。
だから自分が楽しく生きる事にしていました。
しかしその為には(自分の為にも)係わる身近な人も楽しくさせる必然がありました。だから潜在的にくたびれていました。

それを60歳近くまで続けていましたが(結果的には)現在は人様のことはほっとくしかないと悟った気分でいます。だから楽チンになりました。

とにかく自分の事さえもままならない未熟者が何で人様の事情に係わることが出来るでしょうか、
すなわち未熟者が助け舟を出したり出来るでしょうか、
だからミイラ取りがミイラになるのと同じくして救助船が救助を求める結果にもなります。

また自分の船を抱え持っているのに(余裕が無いのに)何で人の抱え持つ船の中に乗り込んでまで操船操作することが出来るでしょうか、
何たって不完全意識の者が何を成そうともその結果も同じ不完全だからです。
ちなみにその結果として迷惑で余計なことを無理にして無駄なことになっているその事実があります。


と言っても(この世では)確かに他力も必要ですが、ところがその他力があるとそれに頼りたがるのが人間の癖にあります。
だから信じて頼る信頼という言葉が好きなようです。
だからその他力に依存する他力依存もどうやら都合がいいようです。
すなわち自力を使うよりも他力を使って自分の都合がいいようにしたいのです。
だからそれを人情や愛情の言葉にして大切に守ろうとします。

しかしその裏には不信感があり、しかも思い通りにならなくなると裏切りが言われ、結局は此れまでの経緯が水の泡の如くに消えて無かった事になるどころか恨み辛み妬みまで根強く残る場合があります。それが事実です。

ちなみに自力でもって自分の船を動かすのが役割であり使命です。
だから先ずは自分の船を上手に操船することが先決です。

そして必然のご縁からして助け舟を出す事になっても(共倒れにならないためにも)自分の自力を超えたことをしません。
だから世間を気にしてカッコつけずに、自分に正直に生きながらにして、しかも無理も無駄も無い気楽&楽チンにして余計な事に手出ししません。

だから個人意識丸出しでもって先ずは自分が生き残る道筋を探しながら(自問自答しながら)(学び知り気付きながら)ゆっくりと歩きます。
だから特別なものが無くても何とか生きていれば、それも何とかなっていくでしょう。それには自信ありです。

ところが(一般的には)それ以上を望む(欲張る)ことからして自らが泥沼に入り込みおかしなことになっているのです。
だから苦労することにもなり、この先々で自分の首を自分が絞める結果&有事にもなるのです。

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