孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分が作り出したガンやウイルスと闘うのも、自分が作った敵と戦争するのも同じ意識

2009年03月14日 | Weblog
すべてはひとつの原因体から生まれた宇宙万物の全てに意識があります。
その意識を見える形にしたのが意識体・姿形ですが、そのすべての意識を「一神にして多神、多神にして一神」で言い表していますが・・・それをパソコンに例えれば・・・人間である個の意識がメインになって自由に働ける一方で、全意識・全体システムの端末の役目役割も果たしているのです。
すなわち、個・意識のパソコンが数え切れない膨大な個数で実在していて、その全てが意識でネットワークされていて一つにまとまっている状態を言います。
そのネットワークが宇宙であれば、人間は宇宙の中の端末の役割になります、
だから万物全てがメインであり端末だから皆が同じで差はまったく無くて全員がオールワンになります。
すなわち宇宙に特別はいっさい無いのです。
だから、宇宙の一員として端末の個性役割を果たしていればそれだけでいいのです。
しかも、誰一人として同じ個性役割を持ってはいません。
それを勘違いしてオンリーワンと思う人がいたり、ずば抜けた力を持っている人がナンバーワンに思うことがあるのです。 
その「思う」は私・個だけの思いだから、それが個人意識だと言われているのです。

その思う意識がネットワークに流れて必然・巡り合わせ・ご縁が起きています。
それを昔から「赤い糸」「絆」で言い表しています。
だからこの世に偶然はいっさいありません。

その意識が原因ですから、金儲けを意識していれば金儲けに走りますし、仕事を意識していれば仕事に集中しますが、金儲けや仕事中に遊びのことを意識すればその分だけ金儲けや仕事がおろそかになります。
また、完全真理を意識していれば学び知ることが出来るし、同じ仲間も集まります。
すなわち、意識したことが原因となってその結果が出ているだけです。
そして結果ばかり見ているが、その原因である意識を意識しないのが現代人です。

しかも、宇宙万物すべては意識を持った意識体ですから、あの有名な大腸菌もエイズやインフルエンザウイルスや癌細胞にも意識・命があります。
だから、菌やウイルスや癌細胞を殺し破壊して姿形が消えても、その意識・命は見えないところで実在することになります。 だから転移再発・感染されるのです。
※原因を研究追求するほど謎が広がり深まり、今では医学会でも言われ始めました。
だから、体内にガン細胞が見つかって殺すより、正常だった細胞を癌細胞に変異させた原因が「自分の意識」にあると自覚反省して、自分が作り出したガンを素直に認めて闘わなければ癌細胞も安心して悪さ(拡大進行)をしなくなります。
尚、インフルエンザやエイズなどのウイルスも意識体ですから、人間の集合意識が原因でウイルス菌が変異したものです。 すなわち人間自らが作った人為によるものです。
同じく、戦争になる原因も相手を悪者に思って闘うことから始まっています。
その悪者・敵国を作ったのは自分・自国が作ったのです。
すなわち、自分が作った悪者と戦う戦争も、自分が作ったガンやウイルスと戦うのと同じであり、戦えば戦うほど被害が拡大するのです。
だから、相手を悪者に思わなければ戦わずに済むから被害が拡大することはありません。
そして、(相手を悪者に思う意識)ガンや戦争になる原因(比較競争差別意識)を持たなくすればいいのです。
それには、良い悪いで比較差別判断しない完全真理を学び知り、その完全意識になる事を実践意識して日々のあたり前の生活をしていればいいのです。

その完全意識に至らない未熟な不完全な意識が僅か1㌫であっても、または99㌫不完全であっても、その不完全であることは同じです。 すなわち、パーセントの数字に違いがあっても差はないのです。 皆が不完全な意識を持っていることに変わりはありません。
また、完全意識に到達しない限り不完全は不完全ですから、幾らパーセント数字が高くても不動のものではありませんから、有事などで一夜にして変動することもあります。

それを勝手に勘違いして、じゃ努力しないままに1㌫でもあるがままでいいじゃないかと思っている人もいるかも知れませんが、99と1とは違いがあるように、当然ながら理解力・意識力・自力に違いがあり、その分だけ生活にも影響してきます。
だから、同じ様な悩みや不安や怒ることであっても、それらの質や量的な受け止め方に個々の意識の違いが正直に出てきます。
すなわち、真坂の有事で動揺することが違ってきますから、常日頃の不平不満・うっぷん・苛立ちや焦り、不安心配や怒りなどにも質的量的に違いが出てきて当然です。
ゆえに、喜怒哀楽や生老病死が主体になるのか、それとも神や愛を意識した生活が主体になるかの違いがあるのです。

日々穏やかな笑顔を浮かべているか、不機嫌な顔でいるのか、その違いも出てきます。
自分に感謝されることを望んでいるのか、自分が感謝出来る感謝の心を持とうとしているのか、その違いも出てきます。
ゆえに、愛を受けっぱなしで自己満足しているのか、愛を出している存在になっているかの違いも出てきますから、同じ不完全であっても日々の生活内容の質や量に違いがあって当然です。
そして皆が自分さえよければの個人意識を持っていますから(不完全意識)、食って寝て糞をしているあたり前の生活以外は、私・個の見栄や自惚れの自己満足であり、私は正しいの自己主張や、他との差を示す自己顕示で生きていることになります。
ゆえに「生活優先」よりも、良い悪いを持たない(敵を作らない)「心の安定」を優先する実践・生き方のほうが人間本来の愛の生き方になります。

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