孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全を知らずして、不完全を知りたがる人

2008年11月08日 | Weblog
私の成長期の頃はテレビが普及し始めた頃ですが、マンガ本では(あまり記憶がないが)正義の味方「黄金バット」を知っていました、テレビでは白黒画面だったと思うが正義の味方「月光仮面」が登場し、悪い奴をやっつけて弱い者を助ける「鉄腕アトム」も大好きでした。 
だから成人してからも、大時代劇や大戦争ものや大歴史ものの大活劇シーンで悪を滅ぼしてくれる正義は、つい最近までカッコいい存在でした。
ところが、およそ15年前に霊魂の世界・想念の世界を知った時に正義感の過ちをイエスや釈迦の事例(言霊が語るメッセージ)を読んでから始めて気付きました。

そして耕栄さんの完全真理では正義感の過ちを超えた完全な教えとなる、「良い悪い」で分離判断して比較差別する個人意識がすべての原因であり、その結果が正直に出ていることを始めて「知り」ました。 そして、良い悪いで判断するとどうしても矛盾することになることをハッキリと自覚できたという事です。

見聞知識を広げるために国内外へ旅に出掛けるのも、ニュースマスコミ報道で世情を知るのも、映像で貧困やゴージャスセレブを知るのも、思想哲学・主義主張・宗教や神を知るのも、他国の歴史や文化文明を知るのも・・・すべて、良い時もあるが悪い事にもなるという矛盾が必ずあるのです。
悪をやっつけてくれる正義が善いことばかりだったら問題なかったのに、その正義が人を殺し合うことになる戦争やテロの言い訳正当化に使われるから世界中に問題が起きているのです。

新聞やテレビの無い大草原やジャングルの中で暮らしていれば身近な情報しかありません、知らなければそれでも十分だったのに、しかし情報で都会を知れば都会に憧れる人が必ず出て来て、その都会の情報を自慢して広げ伝えます。 すなわち(いちいち事例を書きませんが)別格な世界が有ることを知ったことで良い事もあるが都合の悪い事にもなっている事実が世界中にあります。
今まで知らないことでそれまでがあたり前に思っていたのが、新たに知ったことで今までがあたり前ではなくなり、新たに知ったことを自分のものにしたがる欲が出て来て、その欲がいろんな問題を起こすことになっています。
それが物質であれば万引き泥棒の窃盗や詐欺や搾取略奪侵略にもなります。 
それが名誉権利権力であれば裏切り偽善になり、人を策略謀議で落としいれたり地位を比較競争剥奪防御しあったりしていることから、それらが時として心身が傷ついたり殺される場合もあります。 それが過ぎればもっと大勢の人が傷つけ合い殺し合う醜い闘い戦争にもなります。

無ければ無かったで平穏に暮らしていたのに、見聞知識や情報で知ったことで欲が出て波乱混乱を巻き起こすだけではなく、更に欲が出て進化拡大し続けるのが人間の欲です。 一度知った欲はなかなか消えません、だから何度も死にそうになっても、心身が壊れかけていても、生きている限りあきらめ切れない人も大勢います。 
それくらいの精神力が必要だとか言ったり、人間の進化発展に我慢も辛抱も忍耐も必要だと皆が思っています。 だから試練に耐える我慢も修行も必要と思っています。

これら原因は新たな事を「知った」事から始まるのです。 知らなければ「そのまま、このまま、あるがまま」だったのに、知ったお陰で方向性が変になっていくのです。
すなわち、知ったことを良い悪いで比較判断して善悪・優劣損得で自分勝手に評価しているのが原因にあるのです。 そして良いと思う(優や得になる)ものを欲しがる欲から間違った表現行動をとるようになるのです。
(結果と原因は同じで離れていませんから)その知った事が矛盾のある「不完全」であれば、その不完全を知ったことが原因で結果も必ず不完全になるのです。

だから先ず最初に「完全」を知れば、二度と不完全にはなりません。 
たとえまだ未熟であっても、完全を知れば不完全に気付く事が出来ますから大事に至る原因になったり、それ以上に拡大発展することはまずありません。
だから「知る」ことは人間にとって大切ですが、「完全」を知らない限り不完全を正しいと思い込み追い求めることになります。 そして「私は正しい」と自己満足・主張・顕示したがります。 その結果が今の世に現れ出ていますが・・・それでも「私は正しい」と言い訳正当化しますか・・・ 


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