孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自己満足であっても、小さなことに満足できるようになれば大きな満足が必要なくなるのは確かです。

2009年08月08日 | Weblog
自己満足すると・・・もっと欲しい、もっとハード・レベルの高いもの、もっと希少・価値の高いもの、もっと別な新たなことを求め欲しがるが・・・
満足を味わうと・・・それだけで十分だから、それ以外のものを多く捜し求め望まないようになります。

例えば・・・大衆的なサンマやサバを美味しく頂いているとそれで十分ですからあまり高級魚を求め欲しがりません。
それでも此れまで味わったことがない食材や調理例があれば一度は味わってみたいものです。
そしてその食べたときの記憶をよみがえらせば、その時の味覚や視覚聴覚・状況を思い出すだけでも・・・(人間は意識で生きている意識体ですから)食べた「気」にはなれます。 それを言い換えると・・・不味い思いをしたものは欲しがりません、恥をかきそうになったことを思い出せば止まることも出来ます、パチンコで勝った時の事を思うと行きたくなるが、負けた時のことを思えば行かずにすみます・・・
すなわち、知っていることを意識すればそれで確かめられるから、(欲さえ出なければ)実際に行為行動しなくても意識で納得していれるのです・・・ すなわち一度「至福・満足」を味わい知れば、いつでも至福・満足が蘇ってそれを意識で味わえるのです。 

だから、また食べたいと無理をしたり、未練がましく我慢したり、とにかく拘り執着しませんから、またチャンスがあればそれで十分ですし、二度とチャンスがなくてもそれで十分なのです。
ただ空腹だけは我慢できませんが、その空腹が何でも美味しい味にしてくれます・・・だから食べ飽きることはありません・・・だから食材の選択に迷いすぎたり食べ飽きることは贅沢の内に入ります。
ただ多様性の世界ですから、欲の無い・無理のない必然から新たに知ることは幾らあってもかまいません。

また「車」でもそうです・・・A点からB点までの運行に支障がなければ車の役割を果たしてくれるからそれで十分です。
だから以前とは違って最新型や新車に拘ることはありません。 また車体の傷や凹みも気にならないからおんぼろな中古車で十分です、だから街中を走る車としての見栄えは最低の最低です。 だから相手の一方的な不注意で接触して傷が付いても修理代を請求することにはなりません。 それより相手の綺麗な車が気の毒に思います。

また立派な家具調度品や快適便利な設備品に溢れた街中の家屋を離れて今は過疎地の廃屋を修繕して暮らしていますが、今は最低限の家財道具設備もその機能を果たしてくれるだけのリサイクル品で十分です。
また過去の贅沢三昧していた頃の着衣も相当ありますが、街中に出かけるときでも機能性十分な質素ななりで十分です。

と言うように・・・過去の私は趣味嗜好娯楽を言うに及ばず見栄や世間体やで、出来る限りの贅沢三昧をあれこれとやって自己満足していただけに・・・その自己満足と「満足」との違いを身をもって知ったのです。
そして同じ自己満足であっても・・・小さなことに満足できるようになれば大きな満足が必要なくなるのです。
・・・だから以前のような大きな自己満足の生活・生き方・人生観に二度と戻ることはないのです。
すなわち、大きな自己満足を求めないから質素倹約で十分な生活ができるのです

また、あらゆるしがらみを意識しなくなったし、最低限に近い生活ぶりで満足しているから過去の未練や執着がありません。
また、(大したものを持っていないから)他から守り闘う拘り執着もありませんから、性格的にはわりとあっさりしたものになりました。
だから癌などの死につながる重病も平気ですから・・・健康診断はもとより早期発見の検診を受ることもなく、この先特別な薬剤や医術で病気や死から守り闘うこともしないでしょう・・・

とにかく真理に沿った実践とファバラエネルギーのお陰様で健康一番で生きながらえ、要介護の病気や寝たきりの老後にならないような生き様を意識してそれを実践していきます。
それにはまず不平不満を持たないことです・・・すなわち良い悪いで判断して<差>を付けたがる「欲」を持たないことでもあります。
そうすれば思い悩み迷うことも、不安心配・恐れ恐怖・怒り・嫉妬復讐心を持つことにもならないから、それらの苦悩に対して浪費する意識エネルギー・生命エネルギーの無駄使いがなくなり、精神・肉体共に元気な生き方が出来るものと信じております。

そして死ぬ時、その時が来たら・・・人生色々とあったがそれでも楽しかった、未練も執着もない、人間に生まれて良かったと感謝の気持ちで人間を終えれば、それが最高の生き方になるのでは・・・ないの・・・
それとも・・・こんなはずではなかったのに・・・なんで私が・・・と悔しがることになるのか・・・ あの世へ行かない限り分かりません。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。