孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「第二部」生きていくために必要ない<思い感情>を何故に人間が持ったのかその原因は???

2021年11月16日 | Weblog
人間が生きていくのに文化文明は必要ありません~なのに精神未熟なものがいつまでも拘り執着したことからして~間違い狂った現代となったのは事実です。

ちなみに豊かな自然界の恵みの衣食住でもって生きていることで十分だったのに~
此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして様々な人為人工的な形が出てきましたが~それら諸々の文化文明は元からして必要なかったのは事実です。

ちなみに縄文時代が歴史で一番長く続いたのも自然界の恵みでもって生きているだけで十分だったからです。
ところが闘う武器を持った弥生人が侵略してきたことからして戦うことを知らなかった平和な縄文時代が終わり戦乱の時代が始まり勝てば官軍負ければ賊軍からして勝者が支配する時代が現在まで続いています。

また戦う武器からして生活が便利になったり、その逆に生活に便利な道具が人殺し戦争に役立つ道具や武器になるという矛盾がこの世にあります。
~食うに食えない文明でもって~人殺し戦争が続いている事実があるのです。
また~食うに食えない文化でもって文化人となるも~その分だけ様々な差別意識が高まり広がりました。

その文化文明でもって喜怒哀楽の思いを味わいそれがストレスとなり万病の元になっている事実があります。

然るに生きているだけでは物足りずに人為人工的な諸々に手だし足出したことからして余計な・食うに食えない思い感情までも出てきて~尚更にストレスが蓄積されることになっているのです。
またそれが年負うごとに心身にダメージが如くに影響してくるのですが~多くの人は気づいていません。

ところがこの世人間界が不満と欲と矛盾とその差別とその偽善でもって間違い狂っていることに気付いた人が~素朴謙虚に生きて・食って寝て糞をしながら生きているだけで満足納得となれば~
自然界の縄文杉が如くに~ただ生きているだけでも~
人間として生きていることの価値を見極め見定めることになれば~
此れまでの欲張り頑張り無理し見栄張りしていたことの愚かさ過ちに気付くと共に自然界の恵みでもって生きていることが有り難いことになります。

然るに人間が元からして縄文杉が如くに(思い感情を持たずに)生きていればまったく気付かずにいた~
その自然界の中で生きていることの有難さに「気付いた&認識した」ことになるのです。
ちなみにその自然界の愛に気付いたことからして己の内なる精神が修正改革されることで新たな人生が始まり、人間の三次元意識から卒業してアセンションの道が開かれるのです。

と言うことを裏返せば~不満と欲と矛盾とその差別とその偽善でもって生きていたことが(裏で)功を成したことにもなるのです~悪かったことが良かったことにもなるのです~毒がクスリにもなるのです。
となれば此れまでの人生が無駄にならずに役立ったことになるのです。
然るに一石二鳥どころか三鳥にもなります。
だからブログでは人為人工的な諸々を否定はしていません~その矛盾の事実に気付きなさいとばかりに書いているのです。

そして思い感情で生きるよりも己の内なる精神でもって自問自答しながら生きていくことを書いているのです。
然るに~常識離れした逆は真なりの矛盾も偽善もない事実を書いた~この世に稀なるブログなのです。


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