孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「至福」とは、特別な意味での天国ではありません。

2009年02月10日 | Weblog
万物全て意識体であり、その形は表現体です。
すなわち原因は意識であり、結果が形です。
だから原因である意識に力があり、その原因から出た結果には力がありません。
ガラスコップで言えば、ガラスが意識・原因であり形・結果がコップなのです。
だからコップの形に力があるのではなく、ガラスという原因に力があったからガラスコップと名付けた形を成すことが出来たのです。
だからガラス・原因とコップ・結果は離れていません。 だから海と波は別々に見えるが、海・原因と波・結果は離れていません。 同じく砂浜と砂粒は離れていません。 氷(固体)の中に水(液体)も空気(気体)も有るから、氷も水も空気も離れていません。 すなわち、宇宙も地球も人間も万物も形は違っていても元は同じ原因ですから離れていません。 
すなわち全てはひとつの原因・意識でつながっていて、その結果・形に違いがあるだけでいっさいの差はありません。
すなわち「そのまま、このまま、あるがまま」に実在しているだけです。

ところがいつしか人間だけが「良い悪い」で判断するようになって、良いと悪いに差を付けることが正しいと思うようになったのです。
だから良いと悪いで比較するようになり、それが比較競争し合って差を付け合うことがあたり前になったのが原因で、その差別のある格差不平等と、その差を力にした束縛支配の不自由と、差を力にするための比較競争が奪い合う略奪や侵略が戦争にもなり、その仕返し報復がテロや制裁になっているのです。
すなわち、全ての原因が「良いと悪い」で分離判断する差・差別意識にあるのです。
そして差を付け合うために優劣や損得で計算するようになり、自分に都合が良い所だけを取って悪い所は要らないとして、その自分に都合が良いようになる思い思惑を持った行動表現をしたり、自分勝手な善悪の分離判断で考えて行動表現するような個人意識がどんどん高まってきたのが現代です。

職人のにぎり寿司とお母さんのおにぎりに違いが有っても<差>は有りません。
すなわち、食の味覚や形や価値が違っても「美味しさ」に差は有りません。
その美味しさを形や味覚や価値で差別するのは、差を持たせた自己満足の美味しさになり、その自分だけの差を他に自慢したくて主張顕示したがります。
同じ様に、喜び感謝の大きい小さいの違いが有っても「ありがたい」に差はありません。
その喜び感謝の違いを差に思えば、それは自己満足の喜び感謝になります。
すなわち「差」を付けると自己満足になり、それが自己主張や自己顕示や自己欺まんのある特別な差別意識を持つようになり、その特別な差の力で他を思い通りに束縛支配しょうとするから自由平等平和が無くなっていきます。

だから、その比較競争の特別意識や差別意識に有るのは自分さえ良ければの「裏切り」関係であり、その為に必要な「使い捨て」人間を作る実行共犯者でありながら、その被害者にも加害者にもなるという矛盾した結果の裏表で生きることになります。

差を意識するから不平等・差別や不自由で悩み苦しみ混乱しますが、皆が同じ様に似た環境や状況で暮らしていれば差を意識しなくなります。 皆が差を意識しなければ皆が幸せに思って暮らせるのです。
差の無い皆と一緒に暮らしていることが「ありがたい」ことであり楽しいのです。
過去未来を思わずに、今日一日の食べ物があれば喜び感謝で「ありがたい」のです。
だから今を生きて暮らしていることが幸せの至福になるのです。
※「至福」とは特別な意味での天国ではありません、その特別な差が無くてありがたい感謝の心を感じ合えるのが至福なのです。 居場所や環境状況には関係ないものです。

すなわち、幸せの至福に思えるのは「ありがたい」に差が無いからです。
美味しさに差が無ければ食べるものは全て「ありがたい」ものです。
生きることが出来る空気・気体液体固体・万物は「ありがたい」ものです。
だから、すべては「ありがたい」ものです。
すなわち、差の無い「ありがたい」意識の中に神や愛が実在していますから、それ以外の差の中には神や愛は実在できません。
だから、全ては「ありがたい」神であり愛であり、その「ありがたい」が実在する神であり愛であり命になります。

その原因である命・意識に神や愛の力を持っていますが、その原因の表現体・形や現れた結果には愛も神も実在できません、だから見える形や現れた結果には力が無いのです。 
しかも結果は過去ですから既に実在しませんから非実在となります。 その結果の過去を思い考えて想像を巡らせ、その非実在の非成る神や愛をでっちあげ奉られ、ただ言うだけや聞くだけの実在しない神や愛が世間にはびこっているのが現状にあります。
だから不平等差別で悩み苦しみ、差を付ける比較競争で自由を失い束縛支配され、自分に無いものを欲しがる「過ぎた欲」から奪い合う略奪や侵略や戦争が続くのです。

「ありがたい」を忘れた、良い悪いで判断する差別意識に問題の原因があるのです。
だから「ありがたい」を知る自己縮小の実践が求められているのです。
そして、此れまで通りの意識では実践に無理が多いから、今まで拘り執着して持っていたものを手離して、その自分を守る「守り意識」に入らなければ、それで「ありがたい」が自覚できる実践の生き方に変化することが出来のです。
実践とは、此れまで手にして積み上げてきた結果を手離し、色々と現れ出る結果にも執着せずに「そのまま、このまま、あるがまま」にほっといて、その現れた結果の原因である「自分さえ良かったら」の差のある個人意識を捨てることなのです。

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