孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私が思い描き理想とする「死に様」ストーリーの紹介です。

2015年11月28日 | Weblog
人間として生まれたからには当然ながら死にます。

そこで私の理想とする「死に様」ストーリーを紹介すると、
庭先のウッドデッキにトタン屋根をつけたその中に年中蚊帳を張りっぱなしにしているその蚊帳の中でボケーッとしているときに、たまたま遊びに来ている孫たちのその明るい声を聞きながらにして「ぽっくり」と死んで、
その内に孫たちが私が死んでいることに気付き、当たり前が如くに「爺ちゃんが死んでいるよ」と親に告げて、その親も慌てず騒がずに「じゃ~献体登録している大学病院に電話をして遺体を引き取ってもらいましょう」とあっさり一件落着して終わり、
後は大学病院で切り刻まれ、またそれを縫い合わせて元に復元してそして永代供養されながら棺桶と共に焼却されて灰となり、その遺灰を我が庭先の巨大なニョロの木の下に振りまけばそれで一巻の終わりです。

然るにそれ以後は供養することも無いから仏壇もお墓も遺灰も遺影写真も必要ありません。
きれいさっぱりと私のことは忘れてもらいます。

その死に様が思うように行かなくて山の中で遺体で発見されようが、我が家の中や庭先で死んでいようが、また木から転落したり崖下に転がっていようがお構い無しで、先ほどの手順で一巻の終わりになればそれでいいのです。

それと面白半分に言っているのが=私の死体を発見する「一発見者」となる人が=私とご縁が続いている誰になるのかと(此れまで訪れている人に)冗談半分に言っていますが、その「最後のご縁」が誰に仕組まれるのか、それを高みの見物にしたいと本気で思っているのも私です。

然るに死なんかどうでもいいのです。

だから死ぬ時が来たらあっさり死ねば一巻の終わりです。

ただ死に様がどうなるか、それを面白半分・冗談半分・真面目半分に思い描いているのが私です。

しかしそれも思い通りに行かないのが当たり前でもあります。

だからこそ謙虚なままにいて、見栄を張らない、そして死を恐れない、然るに死と闘わない、あとは成り行きに任せる、それが現在の私です。

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