考古学者が言うには(ムー大陸があったといわれる)縄文時代は集落が無くて独自独歩の自給自足でもって孤立した住居が点在していて、神事・祀りごとの時に祭壇がある個所に民族が集まるだけだったと言われています。
ところが他民族が侵略したきたが如くにいきなり縄文時代が終わり、次の弥生時代が始まり急速に集合化・合理化・近代化が始まったと言われています。
そのことに似通ったことを(私と宇宙エネルギーの水が縁でつながった)(否定反発・束縛制限のない愛を説いた)(過去性がムー大陸の姫だったという)霊能者が言うには、
ムー大陸の頃は「月信仰」で龍神を祀る=水を祀る=習わしだったそうです。
ところが太陽信仰の民族がムー民族を侵略したことからして、それ以来現在まで太陽信仰が続いているが、
宇宙の流れからして次の時代は「月信仰」に戻り「水」を大切にする習わしの時代に変わると、宇宙からの「お伝え」で言われていました。
と言うことは孤独静寂な月信仰を終わらせた太陽信仰の燃え盛る特別意識でもって集合化・合理化・近代化・巨大化してきたことになり、そしてその巨大化が災いして太陽信仰民族が滅び、再び月信仰の孤独の自由と水=自然=を愛する時代になるのです。
すなわち太陽意識が特別意識であり、月意識が普通意識になります。
そして特別が終わり普通の時代になるのです。
それも既に水面下で前兆的に始まっているし、その流れが速まっているようです。
ちなみに伊勢白山道なる者が太陽信仰からして、その太陽を善とし、月を悪にして説いているのも、何やら訳ありだったのです。
私からすれば伊勢白山道なる者が説く太陽を善として月を悪にするなんて馬鹿げたことを説いていると思っているのに、何で大勢の人に人気があるのか…
それは特別意識の特別大好き人間で他力依存の強い人たちが寄り集まっているからです。
とにかく何度も書いているように人が集まるところには欲が渦巻いているのです。
そして特別をエサにして他力依存の特別大好き人間をまやかし集めて世間に目立ちたがる者や飯の種にしている輩がいるのです。
然るに月意識&水意識の流れに沿っている私が書いているこのブログには特別意識・他力依存はありません。
まして人が集まる必要もありません。
しかも東西南北の老弱男女の誰もが公平にして実践できることを書いています。
然るに孤独の自由にして独自独歩の自力自信の精神力でもって素朴謙虚にして生きることを書いているだけです。
ところが他民族が侵略したきたが如くにいきなり縄文時代が終わり、次の弥生時代が始まり急速に集合化・合理化・近代化が始まったと言われています。
そのことに似通ったことを(私と宇宙エネルギーの水が縁でつながった)(否定反発・束縛制限のない愛を説いた)(過去性がムー大陸の姫だったという)霊能者が言うには、
ムー大陸の頃は「月信仰」で龍神を祀る=水を祀る=習わしだったそうです。
ところが太陽信仰の民族がムー民族を侵略したことからして、それ以来現在まで太陽信仰が続いているが、
宇宙の流れからして次の時代は「月信仰」に戻り「水」を大切にする習わしの時代に変わると、宇宙からの「お伝え」で言われていました。
と言うことは孤独静寂な月信仰を終わらせた太陽信仰の燃え盛る特別意識でもって集合化・合理化・近代化・巨大化してきたことになり、そしてその巨大化が災いして太陽信仰民族が滅び、再び月信仰の孤独の自由と水=自然=を愛する時代になるのです。
すなわち太陽意識が特別意識であり、月意識が普通意識になります。
そして特別が終わり普通の時代になるのです。
それも既に水面下で前兆的に始まっているし、その流れが速まっているようです。
ちなみに伊勢白山道なる者が太陽信仰からして、その太陽を善とし、月を悪にして説いているのも、何やら訳ありだったのです。
私からすれば伊勢白山道なる者が説く太陽を善として月を悪にするなんて馬鹿げたことを説いていると思っているのに、何で大勢の人に人気があるのか…
それは特別意識の特別大好き人間で他力依存の強い人たちが寄り集まっているからです。
とにかく何度も書いているように人が集まるところには欲が渦巻いているのです。
そして特別をエサにして他力依存の特別大好き人間をまやかし集めて世間に目立ちたがる者や飯の種にしている輩がいるのです。
然るに月意識&水意識の流れに沿っている私が書いているこのブログには特別意識・他力依存はありません。
まして人が集まる必要もありません。
しかも東西南北の老弱男女の誰もが公平にして実践できることを書いています。
然るに孤独の自由にして独自独歩の自力自信の精神力でもって素朴謙虚にして生きることを書いているだけです。