孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間には攻撃本能と防御本能、善と悪の意識、その矛盾する意識を持って生きています。

2010年02月04日 | Weblog
人間には本能があり、人間として生き続けるための食欲・性欲の弱肉強食や独占支配欲といった攻撃本能と、それらから守る防御本能・守り意識も併せて持って生きていますから、どうしても矛盾することになります。
その使い分けをするのが・・・自分に都合が良いか悪いかの個人判断の都合次第で決っています。

だから太古の昔から・・・欲しいものを奪うことをしてきました。
それだけに相反する・・・防御意識も強いものがあります。
そして・・・攻撃こそ最大の防御と言われるように・・・守り意識には相反する闘う意識があります。
だから・・・どんなに進化しても人間同士のいさかい・・・喧嘩や争い戦いが終わることにはなりません。
そこで色んな国際条約やら憲法・法律から・・・常識・道徳・伝統風習まで作られましたが・・・焼け石に水です。

その自分を守るなかに自分の立場を良くしたい思いがありますから、その思いに反する事になれば不平不満になり、そして不安心配になったり、腹を立て怒るのも、嫉妬・ジェラシーになるのも、やけくその破壊意識(殺人・自殺)になるのも・・・元はと言えば「守り」意識から出たことなのです。
だからその守り意識が強いと自分を守るために人を殺すように・・・自分が守っていた肉親家族に限らず地域社会に向けた無差別殺人や抗争テロ・自爆テロにまで及ぶことがあります。

おぼれる者わらをもつかむで・・・救助に来た人を巻き添えにもします。
だから自分の生命が助かるためなら、人様の臓器でも欲しがります。

人様の役に立つこともしていれば反対に迷惑をかけることもしています。
自分を認めて欲しいのに、人様には不信感を持っています。
優しい心もあれば憎しみの心もあります。
与えることもあれば奪うこともあります。

良いこともあれば悪いこともあります。
損するときも得をするときもあります。
優越感も劣等感も持っています。
だから感情を波立たせる喜怒哀楽があります。

責任感もあれば無責任にもなれます。
人情もあれば薄情にもなれます。
尊敬することも卑下することも出来ます。
人の不幸が自分の幸せにも思えます。

それら全てが・・・自分の意識の中にあることです。
だから人間は「意識で生きている」と言われるわけです。
だから・・・金銭物質や肉体を意識することではなくて、元からある「命・意識」を大切に思うことが言われているのです。

その命・意識によって良いと悪いの矛盾することを色々とやってきたことを踏まえて・・・そこで悪いことを取り除いた「良い」ことだけを取り入れるように教えたのが、此れまでの学者先生や教祖・宗教家でした。
すなわち・・・良いことばかりの天国を作るために、その良いことをして悪いことをしない教え教育で善一元の人間界にすることでしたが・・・しかし「良い」を知るためにはやはり「悪い」を知る必要があるし、また良かれと思ったことが悪い事になったりして、その矛盾やその見極めにどうしても迷い混乱がついてまわり、結局は一元化に失敗したままに続いているのが今の不完全なこの世です。

そこで・・・最初で最後となる・・・「良い悪い」(善悪・優劣・損得)を持たない、裏も表も無い、矛盾の無い、一切の妥協も無い「完全」を言う真理が説かれているのも・・・この世です。
それが・・・良い悪いを持たない完全意識の人間になるための完全真理です。
そして・・・完全だけに・・・成るものは必ず成るのです。
しかし・・・他力だけでは成し得ることは出来ません・・・だから自力が伴わなければなりません。

だから・・・完全真理を学び知りその実践意識を持ち続けているものだけにその必然が起こります。
しかし・・・中途半端なままに実践意識が失われていたら、その不完全意識の命のままが永遠に続きます。

その・・・「白と黒」の選択が迫っているのが現在であり、今回を見逃せば永遠に選択のチャンスは訪れません。

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