孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「第一部」生きていくために必要としない<思い感情>からして人間関係がヘンテコになっているのです。

2021年11月15日 | Weblog
私たち人間は~宇宙&自然界の仕組みの中で~そのまま・このまま・あるがままの自然体の神意識&愛意識でもって~食って寝て糞をしながらの事実でもって生きていくのが定めにして生まれてきました。
ちなみに人間には生きていくための肉体と、思い考え想像する感情体と、先に書いた神意識愛意識の精神体でもって概ね成り立っています。
ところが問題なのは感情体なのです。
何たって好き嫌いの矛盾感情からして、自分に都合が良いところだけを「選り好み」しているから、それが差別にもなっていることです。

然るにそれが良いと悪いの善悪優劣損得の矛盾でもって判断し比較競争し差別し合うことからしてこの世人間界がヘンテコになるのは当然です。
と言うことは~生きていくために必要としない思い感情からして人間関係がヘンテコになっているのです。

だからその思い感情を捨てることが出来れば~肉体でもって食って寝て糞をしながら生きているだけで十分となり~
生きるためにしたい事をして、生きていくために必要ないことはほっといて、また面倒なことをしたくない事はせずに自由にして~あとは成り行きの自然体の愛&神意識の愛となる己の内なる精神でもって生きていけばいいのです。
それを簡単に言えば~思い感情を捨てて自然体の愛で生きていけるようになればいいのです。

ちなみに成り行きに任せて~前もって思い考えずに・欲張らずに~宇宙・神・愛の仕組みの必然のご縁に任せて生きていけば何とかなりながらも生きていけます。
~思い思惑の先付で~欲張り頑張り見栄張りし続けるからして当然ながら生き辛いのです~
ちなみに私は成り行き任せでしたが~振り返れば~必然ご縁の「後付けで」小さな奇跡・小さな喜びを数多くいただいています。
ちなみに後付けの(思いもよらない)小さな喜びだけにその裏の不満が出てくることはありません。
しかしそれが欲の先付であれば小さな喜びは期待外れで不満になります。

何はともあれ~私は正しいとして世間に特別に目立っている精神未熟な輩が~人間感情の優しさ思いやりの人情愛情があってこその人間だとばかりに思いあがり自惚れ慢心して~その感情表現をすることが生き甲斐だの文化芸術だのとなっていったのです。
ちなみにそれも庶民から始まった事ではなくて差別意識の強い特権階級から始まった事が世間に下り徐々に広がっていったものです。
~言い換えれば~凡人が踊らされているとも言えるのです~

何度も書いていることからして省略しますが~賢い人なら自問自答すれば理解できるはずです。

だから現在でも感情表現することに長けたものが巷の人気者やプロや特別な芸術家になっています。

然るに生きるために必要のない・生きるために食うことも出来ない・食うに食えない人間感情を捨てる時が来ていますとブログに書いたのです。
そして私の力量からして人様を何とかすることは出来ないから~私の実際の生き様を紹介したり日々の気付きを暇つぶしに書いているのです。

そして不完全意識ながらも内なる精神体でもって生きていることで~人間の元である~宇宙生命体の宇宙意識・神意識・愛意識に戻る時が来ると自覚し確信しているのです。