孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「第一部」食うに食えない人間感情を<捨てる時>が来ています。

2021年11月10日 | Weblog
人間には思い感情があります。
ちなみに人情愛情からして優しさ思いやりがありますから感動感激したり共感や同情したり哀れ気の毒に思ったり、時にはそれらが裏返って不安心配や腹立ち怒り妬み嫉妬や憎悪になることもあります。
しかし感情は個人の思いになりますから、感情に浸っていれば「思いの世界」で居ることになります。
しかも個人的な思いですから事実ではなくなり不確かな非実在になり、しかも良い悪いや好き嫌いの善悪優劣損得の矛盾で判断しての思いですから、貴方様の気分次第でコロコロと思い感情が様変わりする不確かなところがあります。
だから今は良くても先々で悪くもなる矛盾があるのです。
また今は嫌いなのに先で好きにもなるのです。
だから感情には不確かな矛盾があるのです。
またその矛盾意識が差別意識にもなっている事実に気付いていない人もいます。
だから常日頃から良い悪いや好きや嫌いに思うのは常識が如くの当たり前になっています。
となれば~不完全で矛盾する非実在の思いの世界の中で差別の思いを持って生きていることになるのです~だから事実では生きていないことになるのです。
だから思い感情の中に人情愛情があっても愛(自由平等調和)はありません。
愛は自然体の精神の中にあるのです~だから自然体で生きることが言われているのです。

何はともあれ~何とか事実の世界で生きていると言えるのが~食って寝て糞をしながら生きている事実だけになるのです。
それ以外の殆どが先ほど書いた~良い悪いや好き嫌いの思い・善悪優劣損得で判断した<思いの世界><思い感情>でもって生きていることになるのです。
そして比較競争し差別したりしています。
だから思い感情には愛はありません。

しかも人間は~此れではダメだの不満の思いと何とかしなければの欲の思いからして動いていますから~不満と欲からして思い考えながら生きていることにもなるのです。
だから思い考え創意工夫したことや新たな発明をした事の始まりの不満と欲と矛盾とその差別とその偽善などの思いが込められていることになります。
然るに原因と結果が一体だけに~事の始まりの不満と欲と矛盾と差別の思いがこもった結果となります。

早い話が不完全な人間が何を成しても同じ不完全な結果となる事実です。
然るにエジソンの発明が良いことにも悪いことにも使われている事実があります。
また諸々の天才や秀才が創作した見事な作品や豪華賢覧なる作品が上下差別意識を高めている事実があります。
然るに薬が毒になったり毒がクスリにもなる矛盾からして分かるように~不完全意識の人間が何を成しても同じ不完全な矛盾のある結果になるのです。
なのにその事実を知らずにして不満と欲からして次々と事を成し続けて文化文明が進化発展するも自然界が破壊され汚染され続けているし近代的な武器でもって人殺しやテロや維新革命や聖戦戦争になって大勢の人が死んでいます。

然るに~いい加減にして~思い考え想像する「思いの世界」<白昼夢>が如く生き様から目覚める時が来ているのです。

ちなみにブログの中に私の思い感情などは書いていません、納得確信となったことや矛盾も偽善もない事実だけを書いています。

何はともあれ~素朴謙虚にして食って寝て糞をしながらの事実でもって生きているだけで満足納得となる精神意識となればいいのです~他に道はありません。
だから私が諸々の人間関係から離れて自然豊かな過疎地でもって孤独の自由にして生きることになったのです。

~そして付け加えるならば~
自然体の成り行きからして必然ご縁があった人と接し触れ合うことにもなるのですがその先行きも自然体の成り行きに任せているのです。
そんな中で牛舎のオーナーとは15年くらい続いていますし私が元気な内はずーっと続くと確信しています。
だから孤独であっても~必然ご縁でもっての数少ない人間関係があるから~世捨て人が如くの環境ではありません。
また私は薄情なくらい感情的になりませんから自他共に心穏やかに接していますし、相手が感情的になればご縁が離れたり終わることになります。

だから家族関係を含めて己の思い感情を捨てるほど~その人間関係が穏やかになるのです。