孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

青春が「花」なら老後は「実」ですが、それが孤独の自由=心・精神=命・魂の開放を味わうことになります

2016年05月30日 | Weblog
青春&活動期が「花」ならば、老いていく老後は結果の「実」になりますから、その実を十分に味わうことになります。

しかし中には二度花を咲かせようとする人、無駄花を咲かせる人もいますが、結果的にはその苦楽を味わいながら老後を過ごすことになりますから、納得人生で終わる筈もありません。

何はともあれ花の活動期に喜怒哀楽の矛盾を精一杯味わいますが、その苦楽はこの世人間関係の矛盾偽善を学び知る人生勉強でもあります。

然るに私は60にして自己縮小となる頑張らない・欲張らない・見栄張らないで余計なことして無駄にならない、素朴で謙虚な生き様に変わり、孤独の自由にして、心意識・精神の穏やかな老後を精一杯味わっているところです。

ところが自分の事さえもままならないのを知りながらも、
それでもちょっと油断していたら、どうにもならない人様のことに(仏に任して=宇宙・神・愛の仕組みに任せて=ほっとけばいいのに)口出し手出しして余計な苦労を買うことにもなっています。

とにかく口出し手出しするからには相手にとって良かれと思ってすることですから、それがうまい具合にならないのは何だか虚しくもなります。

然るに過去を省みれば仕事や家庭で思うがままにならないことを嫌と言うほど味わってそれが苛立ち虚しさ孤独感にもなっていたのですが、
その原因が人間の不完全意識・矛盾偽善にあることを悟ったが如くになっている現在でも、
つい気付かないうちにちょっとしたことに関わることにもなり、あとで気付き後悔反省することにもなっています。

然るにそれが成果につながらなければ余計なことを無駄にした結果になるし、運よく成果が出てもそれは一時のことですから、しばらくするとぶり返したり、または新たな問題が出てきたりもするのです。

だから人間だけは(原因となる精神・意識に問題があるから)どうしようもないのです。
だから宇宙・神・愛の仕組みに任せてほっとくしかないのです。
それが不完全意識の矛盾偽善からして当然なことで事実なのです。

だから今思えば自己縮小の言葉もまったく知らなかった私が(いつの間にやら仕組まれて)60にして自己縮小の形になったことはグットタイミングだったのかもしれません。

そして「実」となる孤独の自由(心・精神=生命・魂の開放)を十分に味わいながら、それでもいつしか枯れ果てる時がきますが、
しかし納得して人間を終わるのですから、その死を恐れることも無くなり、
そして特別な形や物を持っていないだけに、
また思い思惑期待願望や理想目的を持っているわけでもないから、
この世でいつ死んでも惜しげも無くOKですから、
然るにこの世人間関係に何の拘り未練執着も無いままに心安らかにあの世へ旅立てます。

ちなみに宇宙・神・愛の<次元上昇の仕組み>を「氷」→「水」→「空気」に例えれば、此れまでのガチガチの「氷意識=肉体=三次元意識」と4次元の霊界との往来を卒業して、水が如くに姿形が有るようで無い「水意識」=5次元意識の世界=の生命体・霊魂・人間として生まれ変われる…と言われていますが定かではありません。