孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

宇宙意識&神意識に至らなくても、個人意識丸出しでもって生きていることに納得できるようになる。

2016年05月08日 | Weblog
皆さんはグータラ出来る暇な時間は欲しいが、しかし退屈したくないはずです。
然るに暇な時間は都合がいいが、それが退屈になると不都合になるのです。
だから矛盾・苦楽の生き方からは卒業できないのです。

ちなみに暑い盛り野良仕事をしている人を見てご苦労なことだと思いながらも自分は涼しい木陰で過ごしていますから、然るに暇な時間が都合がいいのです。

ところが暇な時間が長く続くと退屈になり、そこで何か事を成したのだが、しかし何もすることが無くて、そこで田畑でもあれば退屈せずに済むのにと、田畑で仕事をしている人が羨ましくもなります。

然るに自己縮小をし尽したとも言える私の場合では大きな矛盾・苦楽はないが、しかし小さな矛盾・苦楽を味わっているのです。
然るに矛盾で生きることからは絶対的に卒業できないのです。

それだけに暇な時間を暇なままに過ごすことが出来れば地上の天国にもなるのですが…
しかし生きているからには楽しくなければと、何か事を成して自己満足するもその裏にはそれだけの苦労が伴っていますから、然るに天国も味わえるが裏の地獄も味わっていることになります。

ちなみに神仏霊魂・信仰宗教・超能力・霊力・念力、手かざし・チャネリング・ヒーリング・セラピー・カウンセラーなる形を施し成している人・関わっている人は大きな矛盾・苦楽・偽善になりますから、然るに私から見えれば大変ですね!ご苦労さんとなるのです。

とにかく良い悪いで判断する矛盾意識からして絶対に完全意識・宇宙意識・神意識になれないからには、
その矛盾・偽善の無い生き方にするしか他に道が無いことを自覚認識することが重要になるのです。

そして自己拡大で生きるよりも自己縮小でもって小さく生きることでその矛盾・偽善・苦楽の繰り返しも小さくなるのです。

然るに心安らかに過ごせる暇な時間が多くなり、その自己満足と不平不満の苦楽の無い精神の安定からして地上の天国にも思えるようになり、
然るに完全なる宇宙意識&神意識に至らなくても、今のままに個人意識丸出しでもって人間として生きていることに納得できるようにもなるのです。

老後と認知症=楽しく生きるのか、楽に生きるのか、その選択が決め手になる

2016年05月08日 | Weblog
わずかな国民年金の受給を辞退してもよいとまでに自己拡大して稼いでいた私が、その国民年金を前倒しで受給して、その月5万円で単身過疎地暮らしをすることになりましたので、然るに想定外のことでしたが…
しかし本格的にやり始める頃には…もしかするとこれが先駆け先取りになるかもしれないと内心では確信めいたものがありました。
と言うのも時代の流れを先駆け先取りした新規事業や新たな趣味嗜好娯楽の数々を自分の物として本物にしてきた経緯経験が事実にしてあるからです。

然るに山田耕栄さんの完全真理の講演会で自己縮小の実践が必要と言われる以前から食って寝て糞をするだけのような生活・自己縮小の生き様を先駆けて始めていましたから、然るに思惑・予測・想定通りになったとも言えます。

だから仕事らしい仕事もせずに、また自己満足となる諸々の趣味嗜好娯楽からも卒業し、その暇な時間を自然相手にして時間つぶしをしていますから、
然るに若者のBライフ・サイレントテロなる形には及ばないが、高齢者の山奥ニートとも言えるような生活ぶりになっています。

だからテレビを観る時間も無く、来客が来ることもなく、家族から電話がかかってくることも無く、郵便物も役場関係だけですし、対外向けにこのブログがあるだけです。

だから予定らしい予定もまったく無く、日曜祭日も関係なく毎日休日ですから、如何にして暇な時間を潰すかが日々の日課&生活となっています。

然るに時間的に急ぐ必要も無いから、日々の雑多的な野良仕事にたっぷり時間をかけています。
だから重たいもの数多く扱うときも、その回数を増やして重量を軽減していますし、同じことの連続が長く続くときは迅速にやる事よりも(急ぐほど大切なことでもないから)疲れないように時間をかけてゆっくりやっています。
しかも途中で飽きてきたり疲れが出ると作業を途中でやめても文句を言う人は誰もいませんから、然るに迅速とか効率には関係ありませんでマイペースです。

然るに特別な良いことも悪いことも無く、然るに苦楽も悩み不安心配も無い平穏な普通の日々がずーっと続くだけですから、それで十分に納得できる生き様になっています。

ところで運転免許更新で後期高齢者講習を受講しますが、その時に認知症の簡単なテストがあります。
然るに今日は何年何月何日何曜日か、今は何時ごろか、生年月日や住所や電話番号などを書き込むテスト、また様々なイラストを数々見せられてそれを記憶するテストもあります。
ところが私はそれらに無縁の生活をしていますから、少し戸惑いましたがおよそ80点くらいの成績だったと思います。

そこで私が思うに脳機能の損傷・障害・低下と言うよりも、認知症はウツ・ノイローゼが進化した重度の精神的疾患と思いますから、然るに精神や感情の人間意識&原因意識を修復修正するしかありません。

然るに成人病や癌や国際的な流行り病に感染するよりも厄介だと思いませんか…

然るに10年後には高齢者の5人に一人が認知症になると統計的に予測されていますから、すると認知症の人が認知症の人を見守り介護すると言う国家社会家族の非常事態にもなり兼ねませんが、然るに皆さんは大丈夫ですか…

とにかく病気や事故は自己責任ですから己が苦痛苦悩になるも仕方がないとしても、
しかし認知症となると家族を厄介なことに巻き込むことになるし、重度の認知症になると大きな大人を相手にして小さな赤子を扱う如くになります。

然るに大方が病院のベット送りになりますが、それだけの受け入れ態勢が整うでしょうか、心配になります。

とにかくすべての原因は意識にありですから、その精神のストレス&繰り返しダメージにならないように今の内に自己縮小を実践して、どうでもいいような(生きるに差支えが無い)雑多が如き苦楽・喜怒哀楽から早く卒業することが肝要かと思います。

然るに生きて行く為の仕事を終わった後の余暇時間を特別にして楽しく過ごしたいのか、それとも苦楽・偽善の無い普通=頑張らない・欲張らない・見栄張らないで<楽に>過ごすのか、その選択が前期老齢・老後・後期高齢の生き様から死に様までも左右するのは間違いありません。