孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

必然ご縁の仕組みは宇宙・神・愛の仕組みです。

2016年05月19日 | Weblog
全知全能の完全なる宇宙・神・愛の仕組みの中に地震や台風などがありますが、例えば地震で家屋が倒壊して災難に遭う人と家屋が倒壊したものの留守にしていて難を逃れたりする場合がありますが、良かれ悪しかれそんな場合はその人の日々の暮らし思い想念・心意識の有様が原因だと言われています。

また病気になるのも日ごろの生活の積み重ねの中の精神状態&ストレスに原因があってのことであり、しかも深刻な症状にならないようにと早め早めに何度か仕組まれ知らせてくれるのも、その精神状態に早く気付きなさいと仕組まれていることかもしれません。

また交通事故に遭遇するのも紙一重であって僅か一秒や二秒の違いですが、それを左右するのもその時の精神状態&執着で仕組まれることです。

またショッピングを楽しんでいるときに飛び込んだ店に望む物がバーゲンされていたりするのも、また旅先で困っているときに親切にされたりするのも、成り行きからしての必然のご縁の仕組みです。

然るに前もって予見予知できることではありません。

ちなみに私が過疎地で単身生活しているのも必然のご縁からして仕組まれた結果ですが、同じく皆さんの現在も(あなたの意識が原因からして仕組まれた)必然ご縁のお仕組みの結果です。

然るにすべては己の意識が原因で招いた自己結果であり、それが良かれ悪しかれ自己責任になります。
それを他に責任転換する人は見栄や自惚れ慢心・私は正しいの特別意識・差別意識・矛盾偽善が強い人になります。

また成り行きからして仕組まれることですから、そのお仕組みを前もって感知することはもちろん、仕組まれた結果の先行きがどうなるかを「明確に」感知予知することは絶対にできません。

もしも過去の釈迦やイエスらの超能力からして自らに起こる仕組まれを予知したり、その結果を先読みして「的中」するだけの優れた能力があったのなら、
巷の貧困飢餓や差別を何とかしなければと欲を出すこともなく、自他共に自然体にして、宇宙・神・愛の仕組みに任せにしていたはずです。

それを言い返せば釈迦やイエスらは宇宙・神・愛の仕組みを知らずにして、その宇宙・神・愛の仕組みを超える所業を自力で成そうと見栄・自惚れ慢心・私は正しいの特別意識・差別意識・矛盾偽善からして行っていたことになります。

何はともあれ仕組まれたことに素直に従う場合と、その縁を選ばずにして従来通りを選ぶ場合の、その選択が伴う場合があります。

然るに私の場合は必然ご縁が仕組まれたときに、この先どうなる事かわからないが、それでも目新しいこと大好き人間でしたし、またその仕組まれに従いその成り行きに任せるだけの自信自力がありましたから、然るに仕組まれた新たな方向を選択してきました。

然るに趣味嗜好娯楽を含め過去を捨て新たな方向性を選んできた繰り返しからして現在があります。

またご縁がある先輩指導者同士が対立して、さてどっちの先輩指導者を選んで一緒についていけばいいのか、そんな二者選択になる場合もありました。
然るに私は欲の無い心根の優しい先輩指導者・霊能者を選んだ結果、私のこれまでの実績積み重ね・欲を捨てることになりましたが、お蔭で現在につながっています。

ちなみに欲が絡めば、その欲絡みの仕組まれが続きますから、到底ながら現在の私ではなくなります。

と言うことからして根本的に言えば、欲が絡んでいるのか、それとも自然体・成り行きに任せているのか、その意識次第で仕組まれることが違ってくるのです。
また仕組まれたその選択方向性も違ってくるのです。

だから自然体・成り行き任せにすることが出来ることはその分だけ欲が無いと言うことになります。

然るに(私から言わせれば)欲張る人が幸せになれることは天地がひっくり返っても絶対にありません。

然るにそれを学ぶために人間は生きているとも言えるのです。

ちなみに地球万物の中で欲張って生きているのは人間だけです。