宇宙万物すべての意識は「ひとつ」につながっていますから・・・人間の場合は・・・昔から言うように「似たもの同士」が集まります。
しかも「あの世」でも、それぞれに「似たもの同志」があちこちで寄り集まる意識次元があるようです。
それが「意識」に関係していることから「必然」で起こることですが、それがどうやら人が「かもし出す」周波数・波長・波動・・・昔で言えば「赤い糸」のようなものがあるようですから・・・昔から「波長が合う」「気が合う」と言われているように、互いの意識が引き合ったりまた反発したりしているようです。
とは言っても・・・いつも必ず同じ波長を出しているわけではありませんから、時として表が出たり裏が出たりもします。
だから・・・昔から「寝返った」「裏切った」という言葉が使われています。
また人を見たときに先入観で見る癖を持っていますから、人の容姿・身なり格好でまず先入観を持ち、そして気が合いそうだ、気が合いそうにも無いと判断したり、その判断に加えて、自分と比較して優劣・損得計算で判断して対応することにもなりますから、どうしても「似たもの同士」が集まることにもなるのです。
それらを代表するのが「組織」の集まりの中にあります。
そして必ず多数派と少数派に分かれていて、そこには必ず競争があります。
そして多数派が正統派になり、少数派が否定派・抵抗組織に見られがちです。
・・・そんな世の中・人間が自由平等平和になることは絶対にありません・・・
そして一般世間も同じですから・・・気が合うもの同士が引っ付き合い・くっ付き合ってはいますが、自分の都合で時として寝返り裏切りる関係になっています。
と言うことは・・・元々から「定まった意識」を持っていないもの同士が「寄り合い世帯」で集まり結び合いしているのだから・・・結果的には互いの思い・意識を束縛制限し合っている関係になっていなければ、その関係を維持安定拡大・守り闘うことが出来ないのです。
だからその関係を乱すものがいると困ることから常識・伝統風習・道徳で縛り付けているのです。
その事に気付かないでいて・・・私には自由が無いとぼやいたりしているのです・・・
しかしそれでも・・・誰しも自分が「損」(悪・劣・損)したくないと必ず思っていますから、その裏を返せば、いつも自分が「得」(善・優・得)する位置で居たがっているのですから、当然ながら自分が「得」をすることになるのならいつでも寝返り裏切ることも出来るのです。
それが善悪・優劣・損得計算の「欲」から出た結果なのです。
しかもそれを言い訳正当化しなければ安心していられないことから・・・「私は正しい」・・・ことをしたと主張して世間に認めてもらいたがるのです・・・それが自己主張であり自己顕示・誇示になっているのです。
すなわち・・・損得計算の判断が加わっていなければ「あるがまま」の事実だけですから・・・言い訳正当化する必要はまったくありません・・・ところが裏心があったから、それを隠すために言い訳正当化して主張しているのです。
純真無垢の裏心の無い人が自分を「正しい」と主張することは絶対にありませんから・・・邪心・欲を隠した裏心があるからこそ自己主張していることになるのです。
だから「欲」の多い人は欲の多い人の中に入って切磋琢磨して頑張ればその分だけ大きな欲が手に入ります。
だから欲の多い団体組織や欲の多い資産家や欲の多い家庭環境が出来上がるのです。
また、それなりの団体組織や金持ちやそれなりの家庭があるのも・・・その波長が合うもの同士が集まっているのです。
しかしそれに相応しい分だけの維持・安泰・擁護のためにそれ相応の努力や苦悩がつき物になって逃れられません。
そして欲の強い人が一般的な「欲」が少ない人の中に分け入っても大したことにはなりません。
そこで欲のある人が考えたのが・・・欲の少ない人に欲を出せるシステムや商法や欲で釣る詐欺的商法や詐欺商法などです。
その中には安心安全で大儲けが出来る話を持ちかけたりするシステムや詐欺的や詐欺商法があったり、人の不安心配をあおり金を出させる方法、親切ごまかしでお金を巻き上げる方法などがあります。
それを言い換えれば・・・欲が少ないと言いながらも出費できるお金を溜め込んでいることは・・・その分だけ欲を出していたのですから、(似たもの同士の間柄・関係から)それに相応しいだけの金額を騙し取られる結果になっても不思議ではありません。
・・・また生活にあまり必要ない余計な事(贅沢三昧)に出費することになるのも、それだけの金銭的余裕があるから(欲の産物のお金持ちとしての余裕から)出費することが出来るのです。
ところが・・・たとえ欲があっても・・・生活以外の余分に出せるお金がなければ無難に済みますが・・・ところがその欲のためにお金を出すことになれば必ず(借金をしてまでも)無理をします。
すなわち「無理」することは・・・すぎた「欲」を原因に持ったからです・・・
だから・・・無理するのは過ぎた欲の表れなのです。
ゆえに頑張っているや苦労・鍛錬・修行しているのは己の欲、己の為にしているのですから、(夫婦家族の為であっても)誰か人の為にしていると思ったりそれを言えば嘘の偽善になります。
そして・・・欲の絡んだ生活で無理をしているから・・・生活・人生が至福・楽しくならないのです。
そして見栄や世間体を守ることが欲につながっていますから・・・余計な事に労力経費を無駄に浪費しています。
・・・冠婚葬祭や吉事凶事の風習や伝統や常識道徳を守る事にもなっています。
また、欲がらみで止まることが出来ない経済成長と環境エコ・CO2削減を掲げているのにも矛盾がありますから、地球温暖化は進行し続けて今以上に困ったことに必ずなります。
それでも・・・自分さえ良ければで・・・この世のこともあの世のことも関係なく・・・人間欲がなければお仕舞いよ・・・とばかりに自分を正当化している人が多いことでしょう・・・
ところで世の中には・・・(極まれに)欲を出してもいないのに多くのお金が集まる人もいますが・・・それはその人の役割を果たすために相応しいだけの必要な金銭が必然・お仕組み・ご縁で集まっているだけです・・・だから騙し取られることもなければ、まして騙し取るような欲はありません。
それを言い換えれば・・・欲を出さなくても・・・お互い様・お陰様の必然・お仕組み・ご縁によって世の中も家庭も自分も(それなりに相応しいように)平たく丸く事が運ぶことにもなるのです。
また、欲で独り占めする人がいなくなれば皆に行き渡るようになり、生活格差も無くなるのです。
その事を昔の人は・・・欲を出さなければすべてが丸く収まる・・・という言葉で残しています。
原因と結果は同じで離れていませんから・・・たった一言の「欲」が・・・宇宙・万物すべてに関わっているのです。
だからその欲を無くしていくことが・・・真理で言う「自己縮小」につながるのです。
しかも「あの世」でも、それぞれに「似たもの同志」があちこちで寄り集まる意識次元があるようです。
それが「意識」に関係していることから「必然」で起こることですが、それがどうやら人が「かもし出す」周波数・波長・波動・・・昔で言えば「赤い糸」のようなものがあるようですから・・・昔から「波長が合う」「気が合う」と言われているように、互いの意識が引き合ったりまた反発したりしているようです。
とは言っても・・・いつも必ず同じ波長を出しているわけではありませんから、時として表が出たり裏が出たりもします。
だから・・・昔から「寝返った」「裏切った」という言葉が使われています。
また人を見たときに先入観で見る癖を持っていますから、人の容姿・身なり格好でまず先入観を持ち、そして気が合いそうだ、気が合いそうにも無いと判断したり、その判断に加えて、自分と比較して優劣・損得計算で判断して対応することにもなりますから、どうしても「似たもの同士」が集まることにもなるのです。
それらを代表するのが「組織」の集まりの中にあります。
そして必ず多数派と少数派に分かれていて、そこには必ず競争があります。
そして多数派が正統派になり、少数派が否定派・抵抗組織に見られがちです。
・・・そんな世の中・人間が自由平等平和になることは絶対にありません・・・
そして一般世間も同じですから・・・気が合うもの同士が引っ付き合い・くっ付き合ってはいますが、自分の都合で時として寝返り裏切りる関係になっています。
と言うことは・・・元々から「定まった意識」を持っていないもの同士が「寄り合い世帯」で集まり結び合いしているのだから・・・結果的には互いの思い・意識を束縛制限し合っている関係になっていなければ、その関係を維持安定拡大・守り闘うことが出来ないのです。
だからその関係を乱すものがいると困ることから常識・伝統風習・道徳で縛り付けているのです。
その事に気付かないでいて・・・私には自由が無いとぼやいたりしているのです・・・
しかしそれでも・・・誰しも自分が「損」(悪・劣・損)したくないと必ず思っていますから、その裏を返せば、いつも自分が「得」(善・優・得)する位置で居たがっているのですから、当然ながら自分が「得」をすることになるのならいつでも寝返り裏切ることも出来るのです。
それが善悪・優劣・損得計算の「欲」から出た結果なのです。
しかもそれを言い訳正当化しなければ安心していられないことから・・・「私は正しい」・・・ことをしたと主張して世間に認めてもらいたがるのです・・・それが自己主張であり自己顕示・誇示になっているのです。
すなわち・・・損得計算の判断が加わっていなければ「あるがまま」の事実だけですから・・・言い訳正当化する必要はまったくありません・・・ところが裏心があったから、それを隠すために言い訳正当化して主張しているのです。
純真無垢の裏心の無い人が自分を「正しい」と主張することは絶対にありませんから・・・邪心・欲を隠した裏心があるからこそ自己主張していることになるのです。
だから「欲」の多い人は欲の多い人の中に入って切磋琢磨して頑張ればその分だけ大きな欲が手に入ります。
だから欲の多い団体組織や欲の多い資産家や欲の多い家庭環境が出来上がるのです。
また、それなりの団体組織や金持ちやそれなりの家庭があるのも・・・その波長が合うもの同士が集まっているのです。
しかしそれに相応しい分だけの維持・安泰・擁護のためにそれ相応の努力や苦悩がつき物になって逃れられません。
そして欲の強い人が一般的な「欲」が少ない人の中に分け入っても大したことにはなりません。
そこで欲のある人が考えたのが・・・欲の少ない人に欲を出せるシステムや商法や欲で釣る詐欺的商法や詐欺商法などです。
その中には安心安全で大儲けが出来る話を持ちかけたりするシステムや詐欺的や詐欺商法があったり、人の不安心配をあおり金を出させる方法、親切ごまかしでお金を巻き上げる方法などがあります。
それを言い換えれば・・・欲が少ないと言いながらも出費できるお金を溜め込んでいることは・・・その分だけ欲を出していたのですから、(似たもの同士の間柄・関係から)それに相応しいだけの金額を騙し取られる結果になっても不思議ではありません。
・・・また生活にあまり必要ない余計な事(贅沢三昧)に出費することになるのも、それだけの金銭的余裕があるから(欲の産物のお金持ちとしての余裕から)出費することが出来るのです。
ところが・・・たとえ欲があっても・・・生活以外の余分に出せるお金がなければ無難に済みますが・・・ところがその欲のためにお金を出すことになれば必ず(借金をしてまでも)無理をします。
すなわち「無理」することは・・・すぎた「欲」を原因に持ったからです・・・
だから・・・無理するのは過ぎた欲の表れなのです。
ゆえに頑張っているや苦労・鍛錬・修行しているのは己の欲、己の為にしているのですから、(夫婦家族の為であっても)誰か人の為にしていると思ったりそれを言えば嘘の偽善になります。
そして・・・欲の絡んだ生活で無理をしているから・・・生活・人生が至福・楽しくならないのです。
そして見栄や世間体を守ることが欲につながっていますから・・・余計な事に労力経費を無駄に浪費しています。
・・・冠婚葬祭や吉事凶事の風習や伝統や常識道徳を守る事にもなっています。
また、欲がらみで止まることが出来ない経済成長と環境エコ・CO2削減を掲げているのにも矛盾がありますから、地球温暖化は進行し続けて今以上に困ったことに必ずなります。
それでも・・・自分さえ良ければで・・・この世のこともあの世のことも関係なく・・・人間欲がなければお仕舞いよ・・・とばかりに自分を正当化している人が多いことでしょう・・・
ところで世の中には・・・(極まれに)欲を出してもいないのに多くのお金が集まる人もいますが・・・それはその人の役割を果たすために相応しいだけの必要な金銭が必然・お仕組み・ご縁で集まっているだけです・・・だから騙し取られることもなければ、まして騙し取るような欲はありません。
それを言い換えれば・・・欲を出さなくても・・・お互い様・お陰様の必然・お仕組み・ご縁によって世の中も家庭も自分も(それなりに相応しいように)平たく丸く事が運ぶことにもなるのです。
また、欲で独り占めする人がいなくなれば皆に行き渡るようになり、生活格差も無くなるのです。
その事を昔の人は・・・欲を出さなければすべてが丸く収まる・・・という言葉で残しています。
原因と結果は同じで離れていませんから・・・たった一言の「欲」が・・・宇宙・万物すべてに関わっているのです。
だからその欲を無くしていくことが・・・真理で言う「自己縮小」につながるのです。