孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分の持っている個人意識のすべてを知る実践真理

2009年08月13日 | Weblog
良い悪いを持たない「完全真理」は実践真理ですから、知ったことを実践してみなければ単なる記憶で終わり、言うだけの真理で止まって悟り知るところまで行きません。
それでも先ずは完全真理を知ることから始まりますから、山田耕栄さんの講演会に参加したり出版本を読んだりすることも重要になります。 ・・・私は講演会の録音テープを寝る前に順繰りに繰り返し聴くことから完全真理を学び知り気付くことも多くありました。

そんな知識を積み重ねることよりもっと大切なことは・・・まず知った知識・真理を日々自分の意識に照らし合わせてみるのです。
そうすることから完全真理で言われているところの「自分さえ良ければ」の個人意識を持っていることに気付き知ります。
例えば・・・プライドなんか持っていないと自信ありげに思っていたら、そのプライドの裏の劣等感を持っていて、いつも人と比較して負けたくないから頑張っていたのです。 すなわち劣等感からプライドを出していたことに気付いたのです。

また・・・劣等感は持っていても自己主張・顕示・誇示するほどの特別なものを持っていないと思っていたが・・・暇で退屈だから山道や神社や廃屋の草刈を自主的にして自己満足していたが、自己満足だけに「私が」したことを人に言いたくなるのです・・・すなわち主張顕示しているのです・・・ こうしてブログに書くのも主張顕示誇示・自己満足です。

また・・・過疎地で呑気に暮らしているから怒りなんか持っていないと思っていても、ヤギや鶏で少し気に入らないことになれば・・・口癖で「くそどれ・・・「ほんまに・・・と何となく腹を立てています。
だから今は怒りとして大きく出て無くても「隠し」持っているから、この先にいきなり爆発したように怒り出す事や破壊意識になることだってあるのです。

その怒りの原因が不平不満にあるのですが、その怒りが嫉妬心にもなるし、ことの分からない分からず屋や忌み嫌うものや憎い相手を懲らしめてやっつけたがる仕返し復讐心にもなり、それが虐めや暴力や破壊・戦争にもつながるのです。

そして自己満足から自己主張・顕示・誇示にもなるし、私は良い事をした、私は正しいことをした、私は常に正しい・・・と自己拡大に思えてそれがプライドにもなり、自分より劣るものを見下して同情したり、その劣るもの(悪いもの)を何かと(認め許せなくて)否定・排除・更正させたがる(悪いものを指導教育改善して良くしたがる、悪いところを切り捨て除いて良くしたがる)潔癖症や正義感まで持つようになったり、そんな正しいはずの自分に否定反発して歯向かう分からず屋がいれば許せなくなって、自分も偉そうに反発して言い争い執着し、その味方・仲間・賛同者が互いに寄り集まれば抗争・闘争や戦い争うことに拡大していくのが・・・良い悪いで比較競争・差別する個人意識なのです。

すなわち「良い悪い」で判断している限り(今は出ていなくても)、個人意識と言われる<すべて>を隠し持っているのです。
・・・私は「持って」いないわ・・・という人は・・・自分が気付いていないだけです・・・そして「私は正しい」をもっているのです。

そこで「良い悪い」を無くしていけばいいのですが・・・絶対と言っていいほど無理なことも分かりました。
・・・その当時の山田耕栄さんも・・・どうやら無理だと思ったのか?・・・何事にも「執着」しなければ忘れることになるから・・・と講演会で話すようになりました。

それからと言うものは・・・完全真理を知っての意識の実践ですから・・・持っている個人意識が出るたびに、その個人意識が出たことに自分から気付き、それを言い訳正当化せずに、素直に<認める>ことで「執着」しなくなることが分かりました。

ところが「言い訳正当化」したくなるのが人間ですから、その言い訳正当化することに執着すれば自己主張にも顕示・誇示することにもなって引っ込みがつかなくなり、尚も頑固な執着で問題となり、更に問題拡大にもなっていくのです。
・・・あっさり認めて謝るなり反省すればそれで終わるのに・・・ちょっとしたどうでもいいことが、どうにもならないことにもなるのです。

それが加害者の立場でなくて「被害者」の立場であっても、その被害を主張・顕示・誇示せずに(執着せずに)、お互い様・お陰様の関係であることを素直に認めればそこで終わるのです。

とは言っても今の世間に通用しません、まして自分さえも無理なのですから人様に押し付けるものでもありません・・・すなわち他人事ではなくて自分の意識が問われている実践真理なのです。
その実践で個人意識のあらゆる問題を知り深めて学び悟り、素直に認めて「すみません」と謝ることも、また相手を「認め」ることも、また「許す」ことも実践していかなければならないのです。

とにかく「完全真理」を学び知り、実践意識でさらに真理を深めていかなければ上っ面だけで終わるかもしれません。