孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

老後の擁護や要介護を最低必要限に抑えるのが肝要かな・・・

2009年08月11日 | Weblog
私のすぐ近くに要介護の80歳のおばさんが、他県にいる親孝行な息子の誘いを何度も断り・・・本人が言うには、数日間でもお互いが気兼ね・気疲れするのに、同居となればもっと無理が多いからと・・・今も単身で暮らしています。
・・・年老いた頃の脳梗塞で片手片足が麻痺しているから、家の中で何か行動を起こすときは這いずるようにしています。
それでも炊事洗濯から用足しまで自分ひとりでやっています。 また庭先に這いずり出て草むしりをすることもあります。

それでも足腰が痛いときも多く、そんなときでも気丈に振舞ってはいますが、本人が言うには・・・苦役を言ったところで楽になるわけでもないし、親切な人が代わりに背負ってくれる訳でもないから・・・とあっさり言ってのけます。

一週間に二回ヘルパーさんが一時間ほど来ていますが、食料などの買い物をして届けに来ているのが主な仕事で、掃除機を使ったり重たいものを動かし片付けたりする程度で、残った時間はおしゃべりをして帰っています。
また一週間に二回リハビリと入浴や昼食を受ける施設から送り迎えされています。

そして自力では出来ない困ったことがあれば、山一つ離れた所にいる姉妹に用事を頼んだりしていますが、ちょっとした用事なら私に電話をしてきます。 それ以外は日中独りでいる時間が多く、時たま知人やが訪れておしゃべりしているときもあります。

そんな暮らしぶりを9年間ほど見ていて気付いたのが・・・家族の擁護や施設入所で至れり尽くせりで過保護にされるよりかは、何かと不自由であっても自力で出来る限りのことは自力でやり、また多くを望まずに暮らし、どうしても必要最低限の無理なことだけに他力を使う暮らしぶりであれば・・・金銭的にも楽だし、人様に気づかれしないですむから呑気に暮らせる、そして先ず体を使うことが多いから早期の寝たきり老人にならなくてすむこと、そして何より他力に甘えないからその他力を使う頻度が僅かだから、頼まれた人も面倒がらずに気持ちよく来ていることです・・・互いの話し振りや笑顔を見れば分かります。
だから、おばさんを知る者は・・・おばさんに頼まれたら断ることも出来ないと冗談めいて本心をも言っています。
だから近隣縁者に限らず時々様子を見に訪れる人が多いのです。
・・・だから同じ自治会の中で一番人の出入りが多くにぎやかな所になります・・・

介護を仕事にしている人でも、また優しい家族が面倒を見ていても、介護を受ける人が甘えん坊だったりして面倒をかけることが多すぎると・・・世話をかける頻度が多すぎると、いつしか(意識では)厄介者扱いになりますから、いくら仕事とは言え家族肉親とは言えても
、その日々毎日を心穏やかに接することが出来なくなります。
そして、そんな不機嫌な仕事振りや世話振りを目の前にしている受ける側も同じく不機嫌になります。

だから人様にも自分にも決して甘えることなく、使える限りの自力を使い果たしている状況の中で、どうしても他力に甘えなければならない必然のときにだけにすれば、自ずと生きる張り合い気力が出てきたり自力が増したりするし、四六時中の擁護・介護ではなくなることから世話人の余裕時間が多くなり、お互いに笑顔も出るというものです。
だから擁護・要介護を持つ側も、それを受ける側も、それを我が身に振り替えて省みれば多くが見えてきます。

そして、いくら想定できる限りの形を金銭関係で整えていても決して思い通り・期待通りには行きませんが・・・意識であれば意識したような結果が必ず出ます。
だからその老後のことや擁護・介護の「形」を優先させる意識よりも、自分がどのような意識になっていればいいのか、それを意識していれば自ずとその道が開けて見えてきます。

結果「形」を見てあれこれ思う前に、その結果の元である原因「意識」が<すべて>であることを知ることが肝要です