今回はツアーのメーンである97年2月2日の「フリーファイト・ガーラ」。
アムステルダムで開かれた格闘技イベントの思い出を語る。
まず印象に残ったのが、リングを囲むゲストの格闘家の豪華な顔ぶれ。
「欧州空手界の巨人」ジョン・ブルミン。「キックの帝王」ロブ・カーマン。
日本でも有名なアーネスト・ホーストやバス・ルッテン。ジェラルド&ニコのゴルドー兄弟。
イベントを主催したリングス・オランダの総帥クリス・ドールマンの大物ぶりがうかがえた。
次に印象に残ったのが、華やかなゲスト陣とは裏腹に、不透明な試合が続いたこと。
メーンは、ディック・フライがペドロ・パームを相手に、
ヒジ打ちやサッカーボール・キックを連発したあげく、1Rノーコンテスト。
成瀬はヴァレンタイン・オーフレイム(注1)を相手に、目尻を切って1Rドクターストップ負け。
長井はヨープ・カステルを相手に、急所へのヒザを食らって1RKO負け。
ジャパン勢の試合もスッキリしない結果が続き、田村がアンドレ・マナート(注2)を
スリーパーでしとめたのが唯一の救いだった。
ただ、後にリングスやPRIDEで活躍するギルバート・アイブル(注3)が前座を務めるなど
格闘技王国オランダの有望株を見ることができた大会でもあった。
最後に印象に残ったのが、サプライズな出会い。
大会終了後、帰りのバスを待っていたツアー一行の前を見覚えのある長身の男が通った。
「わあ、アーツだあ!」
異国のスポーツホールのロビーで、思わず発した日本語の叫びに、
こちらを向いたピーター・アーツの満面の笑みが今も忘れられない。
自分の価値を理解している者、自分をリスペクトしてくれる者を
見つけた時に、ヒトはあんな表情を見せるのか・・・としみじみ思い出す。
この後、ロビーは即席のサイン会&撮影会となったが、周りのオランダ人たちが
「このジャパニーズどもは何を騒いでいるんだ?」という表情をしていた記憶がある。
ワタシたちは逆に「アンタらは地元なのに、この男を知らんのか?」と言いたかったが。
ちなみに、このころのアーツは、すでに94年・95年のK-1GPを制していたが、
96年は3連覇を逃し、マイク・ベルナルドに3連敗(反則負け含む)と不振にあえいでいた。
しかし、上記の出会いの直後、97年3月に96年王者のアンディ・フグをKOして復活。
ワタシは「アーツが2号とツーショット写真を撮ったから」(注4)と今も信じて疑わない。
(第11話に続く)
注1・2010年K-1GP王者&ストライク・フォース元ヘビー級王者の
アリスター・オーフレイムの実兄。97年当時の兄弟の体格を思い出すと、
現在のアリスターの肉体は何か打ってやっているとしか思えん。
注2・オランダの名門「メジロジム」の現会長。94年のK-1GPにも参戦。
現在はアンディ・サワーほかのセコンドに付く姿が日本でもおなじみ。
注3・第4代リングス無差別級王者。しかし、戴冠直後に専属契約を無視して
PRIDEに電撃移籍。強いことは強いが、リング内外の素行に問題が多い選手である。
注4・ワタシは2号に「格闘技あげまん」の異名を付けている。
2号が見そめたり、いっしょに写真を撮ったりしたプロレスラーや格闘家、
相撲取りはその後、ブレイクするケースがかなり多いので。
3号もその血を引くらしく、赤ちゃんの時に初めて写真を撮ったプロレスラーが、
98年夏に来道していたバトラーツ時代のアレクサンダー大塚だった。
アレクは直後の同年10月のPRIDE4の総合デビュー戦で、
「路上の王」マルコ・ファスにTKO勝ちという大金星を挙げている。