しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

しょう爺の日2nd

2011-05-09 12:03:28 | 日記

昨日は、宮古島にきてから2回目のしょう爺の日。お祝いいただいた方ありがとうです。

記念日なのでいろんなことが起きてます。

去年もあったゴーヤーの日。ゴーヤー2本で58円が売り。

      

去年の幕と同じものかと思ったら、去年は「宮古島のヘルシー野菜」になってました。

暑い暑いと思っていたら今年最初の真夏日。午後2時前にきっちり30℃。梅雨前線が北上して南から熱風が吹き寄せたのね。

そして最後は、車を転がして帰宅途中の出来事。今週末、島に来る予定のOG家の嫁から携帯に電話。車を路肩に止めて、通話に入った途端「あっ事故った。またあとでかける。」

って、自分が事故ったと想うじゃない?周りを見回したけど車もヒトも見当たらず、通話先が事故を起こしたことに気づくまでややしばらく。

交差点で右折車と接触したそうで、幸い、運転中の携帯通話でもなく、双方怪我もなかったようです。電話が通じた途端の自動車事故はお互いに初めての経験。

不思議な1日の終わりでございました。


今日は立夏28℃

2011-05-06 17:02:17 | 宮古史

島はもう真夏のたたずまい。最高気温28℃に達しました。

夏といえば海、海といえば港、というわけで港周辺の歴史の一端を。

島の玄関口平良港はその昔、漲水港と云われていて島の外との唯一の交流拠点でありました。

それは島に空港ができる40年前まで続いておりました。

この漲水港のそばには「蔵元」とよばれる行政中心がありました。

16世紀初頭に仲宗根豊見親が創建したもので、1600年代以降には税の事から土木建築、農林畜産、戸籍、庶務、警察、裁判まで現在の行政機構に近い形の組織が出来上がっていたといいます。

その場所は、例の漲水ウタキの前で4m近い高さの石垣に囲まれた広壮な庁舎であったという事です。

左手が漲水ウタキ、その前のピンクの建物が蔵元跡地の一部。その右に緑色の石畳道が見えています。

その石畳道は上部に階段があり、かのニコライ・ネフスキーにちなんで「ネフスキー通り」とも呼ばれています。

平良港の入口には、この「蔵元」の正面にあった「楼門」を復元した建造物が今年完成しました・。

           

この辺の昔を復元した絵がこれです。

                 

正面下部が漲水ウタキ、そこからまっすぐ「石畳道」が「祥雲寺」まで続いています。右手に上方に伸びているのが「観音堂」。

石畳道の左手の石垣上の大きな建物が「蔵元」上の復元された楼門は、正面にある門です。

これであなたも宮古通。

さて、久しぶりに青空の覗いた梅雨の空に、いつまでも消えないケムトレイルが出現。やーな感じ。

                 


新たな火種?

2011-05-04 12:32:34 | news

もう5月も4日目。入梅してから5日目。島で始まった水溶性天然ガス資源調査も5日目。

この調査は、沖縄県が本島南部と宮古島で実施するもので、水溶性天然ガスが賦存すると考えられている島尻層群とその下部について、人工的な振動を発生させその反射を測定、天然ガスの潜在的資源量を推定するデータ収集を行うものなのですね。

一部の専門家にはおなじみの弾性波調査ってやつですね。

さっそく、現場見学です。

       

いたいた、サトウキビ畑の農道を3台の起振車が地下に向かって振動を発生させております。

       

この調査、島に9本の測線を設置し、25メートル間隔で3~5分程度振動を繰り返し発生させ、路肩に置いた受信器で観測するそうです。

夕刻、また行ってみると1日の疲れを癒すようにキビ畑の中でお休みしておりました。

       

面構えといい、スタイルといい、少年心をくすぐる車で、キビ狩りに使うハーベスタ以来の興奮度でありました。

ひとつ心配があります。

この調査で天然ガスの存在が確かめられたら、またまた中国が清時代の話を持ち出して琉球は中国の領土だ言い出すのではないかという懸念があります。

清時代のいきさつについてはそっちのほうでど~ぞ

http://blog.goo.ne.jp/umiyako/e/45203e9aa2ee3dab8a9a46c5dff5c461

杞憂に終わればいいのですが。