しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ビッグコミックオリジナルと宮古島に伝わった芋のはなす

2011-12-08 18:18:38 | しらべもの

爺の唯一の愛読コミックに「ビッグコミックオリジナル」という隔週刊の雑誌があります。

1972年創刊ですからもう39年間も続いている長寿コミック誌で、発行部数70万部、「あぶさん」「浮浪雲」「三丁目の夕日」「釣りバカ日誌」など30年以上も連載しているという歴史的雑誌です。

爺の記憶では、1975年頃から欠かさず購読し、週刊文春とこれは生活に欠かせないものとなっています。宮古島での発売は、ヤマトに遅れること約1週間、台風で船が止まるとぐちゃぐちゃの状態です。

最近のお気に入りは、「深夜食堂」。映像ではTBS系で火曜の深夜放映されているようですが、島では同時間毎日放送系のサンマをつかまされています。

こんな話ではなくて

今日のお題は、この雑誌の「あんどーなつ」という作品。安藤奈津という浅草にあるという和菓子屋の職人の話ですが、冒頭に季節の和菓子と原料についての枕があって、これが結構ためになるお話。

12月5日発売(12月20日号)のこの作品の冒頭にサツマイモのウンチクが語られており、その中に「日本には1597年に宮古島に入ったのが最初とされています。その後、江戸時代に蘭学者の青木昆陽が救荒作物として栽培を奨励し全国に広まりました」とあります。

一般には、1605年(4年とか7年とかいう説もあり)に時の琉球王府の明への進貢船の事務職長が明から苗を持ち帰り栽培に成功、1700年初頭に薩摩に「カライモ」として伝わり、薩摩藩で栽培を広めたことから「サツマイモ」と呼ばれるようになったとされています。

それに先んじること約8年。宮古島の御用物責任者である長間氏旨屋(ちょうしんうじしおく)が琉球王府で公事を終えての帰途、逆風にあって明に流され3年滞在中に、その頃ルソンから伝わった芋の栽培を見ておりました。晴れて宮古島へ帰る日、芋カズラ(芋の葉)をそっと巻いて帯かかぶり物か何かに巻き込み、途中で海難に会いながらも島へ持ち帰ったという事です。

早い話、密輸入ですね。(あくまで爺の見解です)

育ててみるとこのお芋、台風、干ばつに強く宮古島の風土にぴったんこ。島の主食として重要な作物となり、この功績により、「砂川親雲上旨屋(うるかぺーちんしおく)」の名を授って「んーぬ主(芋の神様)」としてまつられることとなったのがこの「んーぬ主(しゅう)ウタキ」です。

        

爺としては、コンプライアンス的にはどーよとは思いますが、島にはこのほかに2つのウタキ、島の産業界の恩人として記念碑で祀られています。

        

戦後あまり栽培されなくなり(害虫の発生が多く食害された芋は臭くて食べられないのと食生活の変化、アメリカ文化の影響等が考えられます)ましたが、最近になってようやく6次産業化の波をみつけ見なおされ始めております。

が、遅きに失したのではないかと危惧する爺であります。

ワー、また長くなってしまった。


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1 コメント

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安納いもがおいしいです (Nekton)
2011-12-11 08:29:26
オリジナルは、私も好きです。
そちらではまだ最新号が見れてませんね。
いも、ですが種子島で作られている安納芋が小ぶりですがおいしいです。
そのまま焼いてもスイートポテトみたいです。

http://noko-island.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-7ce9.html
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