『部屋の隅に舞う 白猫の綿毛 しんとした朝に 猫を探す』2018.6.21ヤザワ
初めてポエム を書いてみましたよ@宮沢和史先生のポピュラーミュージック講座。私に1番・足りなかった世界。標準語だけど8 8 8 6の琉歌なんです。
夏ですー 本格的な猛暑の前への通過儀礼・夏バテ第1弾ちう
もう朝の8時には炎天下なので、5時前に起きてプランターに水をやったり、朝が満潮なら海に行ったり
しかしすでにインドア・ライフなのだ
涼し気な色合いで
別にムリに食べなくてもいんだけど
フラワー・アレンジは:「花は枯れて残らないからイイネ」と思ってたんですが、本格的にやるとなると、やれオアシスだ、花器だ、ワイヤーだ、それを切るハサミだ etc..で、けっこー環境に優しくないゴミが毎回出るんですね。何かワタシの主旨と違うなという違和感が生じて教室に足が向かなくなってしまっています。花だけで環境負荷のかからないアレンジをやりたかったんです。ワイヤーの束とかテープとか見てるうちに、なんだかなーという気になってしまって。だいたい花だって多量の農薬を使って育ててるらしいし。そのうえにゴミまで毎回出しちゃなー・・
やっぱり色鉛筆で絵でも描くかなー。モデルはもう決まってるし今回の大阪地方の地震で久しぶりにログインしたフェイスブックで、学生時代はとてもイケメンだった同窓生の近撮を見て:「なんてこった おし!アタシが往時のヤツの似顔絵を描いてこます」という気持ちになったのでした。慕情というかエールとして。「アンタ、それでイイの」とは言えないしー「悲しいね!」ボタンを押すわけにもいかないしー
色鉛筆画は:毎回・鉛筆の削りカスと消しゴムのカスは出るけど、フラワーアレンジよりは環境に優しいかもしれない。もっとも鉛筆製造と生花の栽培とどちらが環境負荷が高いかという話になると、もうナニもしないことが世のためになってしまうけど 夏バテというのも環境保護の点からは良い事だよね?人間が生きて活動するだけで地球が迷惑だから。ダラダラ寝て小食というのが究極のエコロジスト。もう任せて
というやる気の全く出なかった6月が終わろうとしています。月日の流れは早くて長いなぁ。「もう今月終わり」という感覚と、先週のことがすごく時間が経っているような感覚と、2層の時間感覚があって。
暑い 頑張れない
から始めたポエム。というワケじゃないんですが、去年は人生初めて「お子様教育」をしてみましたので、今年も何か初めてのことをしてみるのもイイなと。何と言っても頑張れなくても出来そうで地球にも優しそう。そして、友人達に指摘されるように、ワタシに1番・足りない(ちなみに2番目が「母性」と言われてます)詩的感覚。コレを鉛筆1本で磨くというのも豊かな老後に繋がるかもしれない。色々道具揃えてやるような趣味はもうヤだし。和歌とか琉歌を詠む老後なんて、盆栽老人ほど風流じゃね?
それに最終的には自作のポエムに旋律が付いて歌にもなるらしい 素晴らしい
ちなみに「てぃんさぐの花」は琉歌形式で8886だそう。冒頭の「猫の歌」の2番、3番を作ってメロディーは「てぃんさぐの花」で歌うことも出来るし。歌わないけど ボーカロイド買って歌わせてみようか
私は歌は苦手なんだけど、それは世の中にある歌が「歌上手」によって作られた曲だから、歌うのが難しいのかもしれない。自分で歌えるように作れば、それは大多数の「歌下手」にキャッチーな名作とかヒット作となったりしてという「真夏の夜の夢」的な野望も芽生えたり やっぱアタシって暑苦しいなぁ
再来週までに「猫の歌」の2,3番を作って、最終的には音域の狭〜いカーラ・ブルーニとかジェーン・バーキンみたいな囁き系の旋律を付けようそうしよう
今年は宮沢さんの講座が同じ棟の同じ曜日の隣の教室で1つ前のコマだったので、ツルミンと聴講・・というか出席簿に名前まで入って笑、参加させてもらいました
「猫の歌」はツルミンと久万田さんには(内輪)褒めてもらったので、すっかり気を良くしてやる気になってます。ちなみに琉歌では、前半は風景、後半に自分の心情が入るといいそうなので、次作に反映させてみます。腹黒さとか計算高さとか、そんな歌があってもいいかもですね。
それでなんで「腱鞘炎」というタイトルのブログなの
というのは、前置き(近況)が長かったですが、ピアニストの腱鞘炎というのはそう簡単には治らないし、根本的な治療法は:
1:弾き方、指使い、環境をこれまでと変える(よく響く部屋に環境を変えてみたり)
2:血流の良くなる食事法、炎症を起さないアレルギー除去食にする(私はヴィーガンになりました)
(ちなみにアレルギー症状は「眠くなる」「おならが出る」などもそうなので、食品アレルギーテストがおすすめ)
3:弾くことを想像しただけで、脳の指令で筋肉がその動きをした状態になってしまうから、状態が酷い時には演奏のことは一切、考えない(腕を使わない読書とか)
4:ストレスなく暮らす(遊ぶ。買い物やギャンブル、飲酒はダメ。これが案外オトナは苦手)
という生活にしないと治らないんです。どう、大変でしょう?ほとんどムリでしょう?だから治らないんですよ。
ピアニストの脳神経疾患“局所性ジストニア”の新しい治療法を開発
この記事を 渋さ知らズの不破大輔さんがツイッターで紹介していたのを見て、色々と思う事があって。
「クラシックの音楽家で発症するのは2%ほど」と書いてありますが、それは既に「音楽家」になれた人の中の話で、実は音大とか音高に行く前に故障で進学を諦めた人、入学後も故障で音楽の道は諦めた人を入れたら、かなりの人数になると思います。実際、この著者の方も故障組ですしね。。
ヤザワも今年で10年経ちました。長かったわ〜(今月はすごく短いけど)
最近、2ヶ月くらい前に、スプーンを取ろうとして床に落とした時:「そういえば最近、モノ(鉛筆とかスプーンとか細いモノ)も落とさなくなったし、こぼすこともなくなったわ・・」と思いついたのでした。
ちょっと前まで、買ってきたコーヒー豆を袋から取り出す時にぶち撒けてしまったり、料理したものを食器に移す時にこぼしたりという日常だったんです。指先までの神経が完全には回復してなかったんです。こんなんでよくピアノ弾いてるなーと自分でも感心してましたよ。ヤザワの腕をフツーのピアニストに貸したら演奏はおろか日常生活も出来ないだろうなーと思ってたから。
野生動物でもそうだけど、生存能力で1番大事なことは「注意深いこと」だと思います。西城秀樹も健康を過信して病気になったし、ヤザワも超絶技巧で得意になって自分を過信してたんだと思いました。
イチローは故障とか怪我とか、ほぼ聞いたことがないですよね。ものすごく思慮深く注意深く生活してキャリアを長らえているんだと思います。まず体型からしてヴェジかグルテンフリーですよね。肌もキレイで食生活の良さが現れています。あれが本当の「一流」の姿なんだと思いました。
おやつタイムにラベック
このアルバムはロシアの作曲家のもので、チャイコフスキーとかラフマニノフが入ってるんです
腕が悪い時に、こういう超絶技巧系や連打が続く曲を聴くと、腕が痛くなって聞けなかったんです。自分のアルバムもFlash Pointは最近まで聞けませんでした。
2012年に「仏蘭西幻想奇譚/ Playing in the Dark」で、スクリャービンとかドビュッシーのエチュードなんかを弾いているので、まさかと思うかもしれないけど、まだ完治はしてないんですよ。まだ痛い
最初はピアノ曲なんて全然・聞けなかった。サティですら聞いてると腕が痛くなって
それが、ヨハンの曲を聴いた時は痛くなかったんです。それでヨハンに曲を作ってもらったんです。
徐々に治ってくると、スクリャービンとかドビュッシーとか、聞いても痛くなくなって、そういう曲は弾けるんです。
不思議だなーと思っていたけど、「脳は筋肉の動きを再現する」ということを知って、「なるほど聞いて腕が痛くなるのは、その曲を弾くと痛くなるということか」ということが分かって、聞いても痛くならない曲をレパートリーにし始めました。まだ聞くと痛くなる曲がいっぱいあるんですよ
東京ではレーザー治療と鍼、音楽家御用達の整体に通ってましたが、沖縄にはレーザー治療は1点しか出来ない機種しかないし、鍼もなかなか上手な人が見つからなかったし、整体もないんですが、ともかく南国なので血流が良くなって治癒の方向に向かい出したのと、食生活も正したし、去年ようやくまともな(上手な)鍼と整骨院にも巡り会って、「完治」という字がチラつき出しました
まあそれでも痛めた筋肉とか筋は70%ほどしか回復しないんだそう。私はもともと超絶技巧系だったので、70%でも変わらず技巧系(”超”は消えても)を弾くのかもしれないけど。今から思えば30%ほどの回復でスクリャービンとかドビュッシー弾いてるんだからね。アルバムはレコ芸で準推薦盤だったし(濱田センセがちゃんとブックレット読んでれば特撰盤だったのにと思ってる:笑)
沖縄の「鍼」、女性の針灸師×2というのは酷かったですよー
「どこが痛いんですか?」「腕です」と言ってるのに「じゃ、これに着替えてお腹出して下さい」とか言うんです。
それでヘソの下とか上とかにお灸をして、肩に何本か鍼を刺して終わり。
2回目(それでも2回は行った。1回目は「初めての挨拶」みたいなものかと思って)も「お腹見せて下さい」と言われたので、さすがに!
「あのー『腕』の治療してもらえませんか?」と言ったら:「お腹が良くなれば血がキレイになって血流も良くなるので腕も治ります」の一点張りでした。「なんか『お腹教』という宗教なのかな?」と思って、もう行きませんでした。しかも!スピリチュアル系というの?(ヤザワの苦手な)ヘンな話(魂とかパワーとか)もところどころでするので、治らないうえに気分も悪くなるという。
という話を今の鍼の先生にしたら:「それは大変でしたねえ・・・そういうのがいるから鍼ってオカルトだと思われたりするんですよ・・困るねえ」と溜め息ついてましたね。
東京での音楽家御用達の整体の先生は、「柔道整復師」だったんですが、「整体院」でした。今行ってる整骨院も、柔道整復師の方々の治療院なんですが、整体と整骨?の違いはナンなのか、電気の治療機械がある所が整骨院で、機械がない所で、手での施術をすると整体なのか、違いが全然・分かってないんですが、ヤザワは電気治療はしてなくて、手だけの施術なんです。これがとても効いてる 定期的に通ってるので先生も治療法を考えてくれてるし。
東京の植村先生は柔道整復術?に整体とカイロも取り入れてたので「整体」だったのかな?指圧みたく痛くなかったし。今度、会ったら(行ったら)聞いてみよう。
とまあ、注意深く思慮深く暮らしつつ、治療にも通ってるわけです。
そして趣味も増やし楽しく暮らすという
アフタヌーン・ティーに付き合いました。私は食べられないからお茶だけだけど。
涼しくてお喋りも弾んで楽しかった
こちらは凍らせて食べるサラダ
盛り上がったわ〜 その場で窒素冷気というの?を噴射して凍らせてくれるの。
福州園に隣接したレストラン、Good Farms Kitchen。けっこーヴェジ・メニューも。
痛くても悲しくても時間は過ぎてゆく。人生は1度だもんね