ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

(自分の)身体にやさしい曲

2009年04月16日 | 音楽
ここ何日かサティのジムノペティとかパラパラと弾いてます。

80年代後半にサティが日本で大ブレイク(笑:本人はとっくに亡くなってるのにね)してた頃に買ってた楽譜がけっこうあります。

当時ものすごく流行っていたので、プログラムに1曲でも入れるとすごく喜ばれたもの。リクエストも多かったし頼まれて弾いてはいたものの、まだ「わびさび」に取り組むような歳じゃなくて練習しながら居眠りしたものだった。ぶいぶいしてた全盛期で(笑)。取り組んでいたものといえば:

ブーレーズのソナタ
メシアンのピアノ曲(鳥のカタログ、みどりごイエスとか)
ミュライユのピアノ曲
シュトックハウゼンのピアノ曲
ドビュッシーのエチュード
バルトークのエチュード
リゲティのエチュード

他、90年代始めにアカデミック現代音楽界を席巻していたニュー・コンプレクシティ(新複雑派)のめちゃくちゃ複雑な譜面で演奏不可能なような曲。

もう曲の音楽性がどうとか、そんな音楽的なことよりも(笑)何段もあって音符でびっしり、黒ければ黒いほど燃えてしまって(笑)「この難しい曲を弾きこなしてみせるわ!」というエベレスト山頂を目指すような勢いだった。若かったわー。人生で1番モテたはずの時期にナニやってたんでしょうね、ワタシは。


サティは老人になって枯れた頃に弾こう。と思ってたわけですが、その時期はヤザワが思ってたよりずっと早くに訪れたのでした。人生ってこんなものかもネ。

リハビリをしつつ練習をしているので、プログラムをこれまで通り『肉体派』を主流にして演奏活動を再開するのはまだ当分無理。となると肘に優しい曲を選ばないと。

と思って色々楽譜を見たり弾いたりしてます。テンポがゆっくりでもpとかppの3和音以上の和音というのがけっこう肘に負担がかかるんですね。fの和音はもちろんだけど、pというのもゆっくりとしたストレッチみたいなものなんですよ。

他、連打のスタッカートはpほど肘にひびく、とかテクニックをチェックしたりしてます。

サティは文句なしに身体に優しいのですが、このピアノを始めて1ヶ月の人でも弾ける(よね?)曲を、「明らかに違う!上手い!」というレベルで弾くのは、これはこれで難題であります。ガスパールのスカルボを7割程度の命中率で弾いた方がはるかに評価は高いだろうし、7割ならまあフツーに(故障してない)ピアニストならいけるでしょう。「サティでうならせる」よりはリスク高くないと思うんだけど。

という話を横井一江おねーさまにしたら:「まあクラシックの演奏家ってフィギア・スケートみたいね(笑)。技術点と芸術性の点があるのね」と言われて、つられて笑ってしまったのでした。

言い得て妙!

確かに「キレイに決まりました!3回転ジャンプ!芸術的な流れも素晴らしい!乗ってます!」のジャンプのところを「3度の難しいパッセージ!」にでも変えたら、解説が付いててもおかしくないね(笑)。難しい場所はみんな息を殺して見てるし。「さ~いよいよあの難関、3度のパッセージ3小節です!」みたいな。

(肘に)危ない技は当分控えて安全運転でいきます。



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徒然と5月まで

2009年04月06日 | 文化・芸術
本日の善福寺川緑地公園の桜。テレビで紹介した?交通の便はあまり良くない立地だし駐車場も近辺にはないのに、けっこうな人出。いつもはジョギングする人とわんこ連れの散歩くらいの静かな住宅地の公園。


週末の花見シーズンとはいえ、最近、公園が混んでます。それと図書館も盛況ですね。

不景気の良い面ですね。大量に電力を消費するディズニー・ランドで電磁波をたくさん浴びたりするよりずっと健康的。ゴミさえちゃんと持ち帰れば地球にも優しいし。地方の高速¥1000に踊らせれなくても幸せはすぐ隣にあるもの。

自然を愛で読書で余暇を過ごす。素晴らしいじゃありませんか。

アメリカ発世界同時金融危機の真っ最中ですが、もともとはアメリカ人に平均で10枚近いクレジットカードを持たせ、アメリカ人の借金で回していた空景気です。景気の回復もそうですが、世界的にライフ・スタイルの見直しが迫られていると思います。

この公園近辺の住宅地の壁や電柱に:「待って!ここはトイレではありません!オシッコは家で済ませてから散歩をしましょう!」なるプレートが貼られています。「糞の始末は飼い主の責任です」も。(←猫のだと思うんだけどなー)

長蛇の列の公園のトイレ。我慢しきれずそのへんの壁に放尿しだすおっさんも。どんだけ飲んだんだ?という尿量です。大型犬10頭分を1人で放尿している人も。このおっさんの飼い主は?

「ここで(オシッコ)しないで下さい!」なんて言ったら:「じゃ、トイレ貸して下さい!」と上がりこまれたりするのがイヤなのか無罪放免です。犯罪者の人権には厚い国ニッポンと言われてもいたしかたない。バケツとか洗面器を貸して:「これになさい。アルコールも残存していてもったいなから飲みなさい。またどうせ出すんでしょう?」とまで言えば、犬用いやがらせプレートも「嫌がらせ」じゃないと理解できるけど。「うわ。アブないヒトだ」と。

東京は土地が高いので、大枚をはたいて政府から借りた土地に、お金も払っていない猫が通ったり虫が住んだりするのは許せない!という気持ちになるのは野蛮です。「この土地は完全に自分のもの。他の生物は立ち入るな」というのは侵略者の理論です。アメリカ大陸は発見されたのではなく侵略したのです。土地を買ったら(政府から借りたら)もれなくネズミやらもぐら、それを獲る猫が付いてるもの。他の動物とも共存しましょう。犬のオシッコは犬のIDなので、円滑な犬同士の関係を築くために不可欠なのです。野良犬を全て駆除し、人間の都合で捨てられた犬を年間何十万匹も殺処分にした上、これ以上の犬の迫害はやめましょうよ。


『その国の偉大さと倫理観の発達のほどは、動物をどのように扱っているかという点で判断することができる』by マハトマ・ガンジー


公園の一角。桜じゃなくてもキレイ。ニラ花と呼ばれる雑草に紫の大根花。最近、紫のニラ花をよく見かけるんですが、変異を起こしたんでしょうか?大根花と。


こういう時代にこそ文化や芸術に政府は予算を取って欲しい。

本来芸術は、美術館に納めて入場料を取って見せたりするのではなく、ローマやフィレンツェのように街角に最高の作品がたたずんでいるようであるべき公益性のもの。音楽でも「クラシック音楽をもっと身近に」とエンターテイメント化する必要はなく、公益性があれば崇高なままでいいと思う。芸術とはそもそも崇高なものだから。図書館にハーレクイン・ロマンスを入れる必要がないのと同じことだと思う。貧すれば鈍する、を避けるには美しい公園、良質な図書、音楽、美術などを公共の場に多く提供するしかない。

悪書や悪趣味、くだらないことにお金を使うのは快楽だから(笑)政府がその楽しみを国民から奪ってはイケナイ。

今年の始めに、このブログは5月でやめようと思いました。HPの更新が自分で出来なくて始めたブログでしたが、最近はモーバブル形式にもなり、Geisha Farmはすでにその形に変えたので、ブログの役目は終わったのです。本来のHPの調整や更新に戻ろうと思います。と思って:『ピアニスラー』の日付は2009年5月2日になっています。

私はこんなに「書く」ことが好きだったんだ、と自分でも驚くほどよく続いたと思います。昔から宿題の夏休みの日記も続かなかったし、日々の記録ということでのブログというのも振り返ってみれば書いてませんし。書きたいことを書くというのは気分転換になるというのを知りました。

不評で公開するのをやめてた記事もアップして(笑)、書きたいことを書きたい時に5月2日まで書いて、その後はHPを整えたりします。そして人格を入れ直して(笑)HPでブログも書くかもしれません。





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