『希望の牧場・ふくしま』のべこトラック。県庁前でのスピーチを控えて
吉沢さんの講演に行ってきました
講演というよりは報告というか・・・現状のお話を聞かせていただきました。
吉沢さんご本人はお元気そうでチャーミングな方でした。福島人というのは東北気質の生真面目さを持ちつつ、関東のカラッとした気質も「少し」持ち合わせているんですね。日本人の気質というのは、こういうことなんじゃないかと日本人ながら思いました。私は生粋の江戸っ子なので、生真面目というよりは / 要領が良く、明るいけれど涙もろくて喧嘩っ早いですから。。。演歌は江戸の歌じゃないと思います。
吉沢さんが明るく元気良く皆を笑わせてくれながら話されても、根底にある悲しみ、悔しさが伝わってきました。辛かったです。
ご本人は:6400Bq被爆していると仰ってました。でも最近は計測しても出ないんですよー こういう活動が若返りの秘訣なのかなーと笑い飛ばしていられました。お元気なのは奇蹟なのか適応したのか。フクシマはそういう意味でも壮大な実験場にされていると感じます。
「ウチの牛たちは幸せな牛です。本来なら30ヶ月で出荷されるところ、もう出荷されることもなく、元気で生きているんです」
「もうね、丸々と太っていていつでも出荷できそうなんですよ!」
と仰っていました。
酪農家は牛とか本当に可愛がってお世話するとは聞いていました。
ただ、最後の『出荷』だけは考えないようにしていたんですね。考えると続けられないから。
でも牛は野菜じゃないんです。
「もう汚染牛は出荷できないので、安楽死させて廃棄して吉沢さんは避難しなさい」という政府のお達しを振り切り、300頭の牛が老衰で亡くなるまで、残って一緒に暮らすことにしたのだそう。牛は全て去勢手術をしたそうです。
私も自分の犬猫を置き去りにしたり、安楽死させて自分だけ避難したら、きっと避難先で泣き暮らして衰弱死すると思う。吉沢さんもこれしかなかったんですね。政府があーだこーだ言う事じゃない。しかも無策無能な政府なんだから。
除染で地面を剥がしたら、牛の食べる草がなくなってしまうので、除染は拒否しているそうです。
たまらなくなって、質疑応答の時に:「EM菌とか乳酸菌などの微生物が放射能を食べるとも言われてますが、除染ではなく、そういう微生物を撒いたりすることはどう思いますか?」と聞いてみました。どっかの大学で「放射能の数値が下がった!」という研究や、三菱系企業でも開発したというニュースは時々聞くのに。と思って。
そしたら
「学者や研究者が怖がって来ないんです・・」と仰ってました。
研究室の中での実験段階で、臨床までは遠いのか、圧力がかかっているのか、どういうことなんだろう。
全国から見学者が牧場を訪れているのに、学者と研究者だけは来ないそう。
すごく厳しい現実。
(見学に)行っちゃダメとはとても言えない。でも体質は個人差が大きいので、吉沢さんが元気でも自分も元気とは限らない。
1日で6400Bqの被爆ではないけれど、行くなら相応の準備(事故当時の『枝野』の防護服着用、ヨウ素剤服用とか)をしたほうがいい。特に今、福島原発からは中性子線が放出されていて危ない。
「悔しい・・・なんで自分たちだけ・・」とふと漏らされた吉沢さんの気持ちを汲み取って、丸腰で見学に行く事はやめたほうがいい。体質は人それぞれなんだから。マスクや防護はしても失礼にはならない。避難区域なんだから。
どうしたらいいのか。分からないので、募金はして、「希望の牧場」グッズは買いませんでした。
もしスタッフが絵本やTシャツとかの制作を牧場でしてるなら、その時間は保養にどこかに行って過ごしてもらいたい。
私は宮崎県の口蹄疫の時も、大量死させられる牛と酪農家の苦悶をニュースで見て、「これ(食肉)は何かが違う・・」と思ったんです。当時のブログにも書いた記憶がある。口蹄疫は伝染病とはいえ治癒するはず。子牛は死亡率高いけど、どうして治るのに殺されてしまうのか。「肉」にするためなのか。当時はまだ肉を「タンパク質は食べなくちゃ」という洗脳にどっぶり浸っていたので、これはマズい、何かが違う、と本能が感じていたのに食べ続けていたんですね。
一体、どうしたらいいのか
事故を起こした東電も国も、国民も何をしたらいいのか4年経ってもわからない。
みんながオロオロしていても、なかったことにしても、牛に食べさせる飼料のために、べこトラックは沖縄まで来ました。
来月からヨーグルトのダノンが福島工場を稼働させるというニュースは5月に聞きました。
日本の現在の人口は9500万人ほどだそう。3.11以来、急激に減り続けています。
6400Bq被爆しても元気で暮らしている人もいる。自分もそういう体質と性質でありたいとは思う。
この講演の動画、YouTubeにもありますよ
死ぬ瞬間までは生きていく。コイツに言われなくても:なるたけ楽しく生きていく
重層飲み始めました。