ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

音声カレンダー

2006年11月29日 | 文化・芸術
『無償のお仕事』で紹介した音声カレンダー2007のヤザワ分の2月がアップされました!

コチラ→Spoken Days

コレは、世界中の言語で1月から12月の日付を読むというもの。

ヤザワにお鉢がまわってきた時には2、3、12月が決まっていないので、その中のどれかを日本語で日付を読み上げて欲しいというもので、いちばーん短い2月にしたのと、2月はヤザワとヤザワの父親の誕生日もあるので縁起いいかなーと思って。

けっこー悩みました

「にがつ ついたち もくようび」から始めて「にがつ にじゅうはちにち すいようび」までマイクに向かって淡々と読み上げるわけだけど。

途中で日付と曜日の間隔が詰まってきたり・・キンチョーしてうわずったり・・

ミニマルとかけっこう弾くヤザワだけど、こういうのはまた・・・違うよね。

「なるだけ自然に普段話す感じで」という希望だったので、特に「あっ・・アッ・・これで終わりよッ・・28日」とかなーんも演出もしなんだ。

いっそデパート・ガールみたいな感じで「にがつ ついたち で ございまぁす」とかやってみるかという気もしたけど、「自然な感じで普段みたくね」と言われたので、そういう風に毎日話すことになるのも辛いのでヤメました。

「ヤザワさんですか?」「そうでございまぁす」になっちゃうもんね。

録音したヤザワのステレオ・トラックをオーディオ・ファイルにしてmp3にして添付してメール。

さーコレにバック・グラウンドの効果音が入るらしいけど、いかに

と楽しみにしてたの。

The Juon (呪怨) 

アメリカで今、一番クールな日本文化は「B級ホラー」なのかもなー

という仕上がりに

ヤザワ的にはバックに琴で「六段」とか流されたりするよりずっとイケてると思うことにして、特にヤザワの声にインスパイアされたサウンドだと勘ぐらないことに。そう思えば面白いゾ

他、ラテン系の言語は発音がフラットじゃないから聞いていて面白いね。このカレンダーを作ったジェリーは、自分も音楽ソフトで音を作ったりするアーティストなので、言葉の響きからバックの音をイメージしていくわけだけど、色んな言語に対する感覚が面白い。「なるほどねー」とか思いました

→応援クリック♪ポチっとね?
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Bunkamura三昧

2006年11月25日 | 文化・芸術
渋谷のBunkamuraで大阪から東京へ出張中のリエコちゃんと11:45に待ち合わせ。

12:55からの『クリムト』を鑑賞する前にドゥ・マゴで腹ごしらえデス

関西人のリエコちゃんは「東急デパート」は初めて。

「そういえば『伊勢丹』は知ってるー?」「それは知ってる!あるし!」「そうかー。じゃ、西武は?」とか聞いてるうちに笑えるネタが

「最近丸井が出来たんだけど(京都だったか神戸だったか忘れた・・)、最初アノ『O l O l』というのが分からなくて「ん?ハングル語?』とか思ったのー」って

わはは!なるほど!!そういえば!

とか楽しく腹ごしらえをして、『クリムト』鑑賞です。

先々月あたりに確かクリムトの姪だったかな?が1点有名な絵を手放してサザビーズで史上最高値とかでアメリカ人に競り落とされてたよね?

ところがクリムトが息を引き取った時に付き添っていたのは、愛弟子のエゴン・シーレだけだったらしい。

ああー・・芸術家の人生は厳しいなー・・

クリムトがパリで成功するとウィーンでも認めたり、画風を変えると手のひらを返したように批判する地元の評論家たち。芸術家のスポンサーである気位の高い貴族やエリートたち。神経症の母親と妹を抱えたクリムトの救いは:スポンサーである上流階級の夫人から絵のモデル、お手伝いのメイドたちと深~い交流を持って、梅毒ながらもあちこちにコドモを作ったということだろうか。絵画の他にもいっぱい作ったのねっ

映画の構成自体はクリムトのかなりファンでないと分からないような作りながら、当時のジャポニズムのインテリア、今見ても素敵なドレスや髪型、お化粧、洗練された「男女愛」でアダルト・ムード満点

「赤のシルクのガウン見に行く?最強の勝負服よねっ」と終演後はリエコちゃんと盛り上がったけれど、そのまま話題の『スーパーエッシャー展』に。

久しぶりに「牛歩」しました。

すんごい混雑!

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/86/883749b3ca790f3dd5fe4657a26f1932.jpg

それでも見れて良かった

半世紀以上も前に、CGのプログラミングのようなことを「版画」という手仕事でしていたエッシャーという人は宇宙人なんではないか

と2人で大カンドー

会場には美大生ぽい人たちも沢山いたんだけど、みんな「信じらんない・・・」といった風情。コンピュータを使えば出来そうなことを、そんなものもない時代にCGの空間構成をしてるんだから。当時の最先端の数式を用いた(今だって数学専門でないと習わないけど)画面構成。

「マヤ文明の遺跡」は宇宙人の仕業だ。当時の古代人にそんなことが出来る訳がない。という説を払拭するような世界が広がっていました・・・

ああー・・音楽はこの時点で美術よりかーなーりー遅れをとったなー・・という気分。

そして更にカンドーしたのは:1969年にローリング・ストーンズのミック・ジャガーがアルバムのジャケとしてエッシャーの作品の使用を申し込んで断られたのに

なんとなんと1970年に日本の『少年ジャンプ』が3週に渡って表紙をエッシャーの作品で飾っているという

当時の『少年ジャンプ』は「明日のジョー」の大ヒットで100万部売れていたのと、編集長が相当のセンスだったね。

マンガは日本が世界に誇る文化の1つなのに、長い間「娯楽」という地位に屈してたわけだ。当時の編集長は「エッシャーなら分かってくれるかも」と思って頼んでみたんだろうね。

そしてエッシャーは日本のマンガ文化を評価して自分の作品の使用許諾したわけだ。

なんかいい話しじゃな~い?

エッシャーが好きと言ってたエンジニアのタカヤマさんを思い出したので、お土産のポストカードを買って来月の下準備に。ちなみにカレンダーもすごく可愛かったけど、ランチして映画見て展覧会見てカタログ買ったら手持ちが・・・銀行行って戻ってくる時間もなくなって(涙)。来週あたりまた買いに行くかな。BunkamuraのNadiffでも売ってるみたいだし。

その直後に会ったタカヤマさんがポストカードを手渡されて「絶対見に行った方がいいってメチャ混みだけどさ」と作業の横でヤザワにしばらく騒がれたのは言うに及ばずでした

→応援クリック♪ポチっとね?
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

圏外

2006年11月14日 | 現代音楽
9月終わりに発売したヤザワの『フラッシュ・ポイント』のCDレビューが幾つか読めます。

嬉しいです ありがとうございます 

まずはタワー・レコードが隔月で発行してるフリーペーパーのintoxicate。「イントキシケイト」と読みます。
アルファベットを見るまで英語だと思わなかったし
「陰気・・インキン・・・??」とかずっと造語だと思ってた。

このイントキシケイトの最後の方に新譜のCDをカテゴリー分けして紹介してる「お茶の間レビュー」のページ。

面白いのは『くつろぎ茶の間~Relax Lounge~』という欄にヴィヴァルディとかバッハとかのクラシカルなアルバムとJ-Popのアルバムが並んでるの。
『知識の茶の間~Archive Lounge~』の10月20日号の今回はクラシカルが2枚だけ。
『古典茶の間~Classic Lounge~』はクラシカルだけ。ギターの木村大さんとか村治佳織さんとかツィマーマンとか。
『劇場茶の間~Theater Lounge~』はオペラとか「西遊記」のDVDとか。夏目雅子さんの三蔵法師、懐かしいね。

そしてそしてヤザワのは・・・・あった

『茶の間圏外~Ladical Lounge~』に。クラシカルに分類されているCDはヤザワのだけ。上下左右、隣ページともJ-PopかPops, New Age, Jazzです。
ヒカシューとか隣の隣にいるし

そういえば昔、ジョン・ゾーンが音楽担当して巻上公一さんが主役だったリチャード・フォアマンの演劇を大久保のグローブ座に観に行ったな。なつかしー あの頃まだジョンは日本に半分近く住んでたんだよね。すごく痩せててハンサムで日本語がペラペラでびっくらしたな・・・今も変わらないのは日本語か・・

なんかシュトックハウゼンに似て来たような気がする。服の趣味は全然シュトックハウゼンと違うけど。80年代後半にジョンが着てたような服はもう似合わないだろうし。それにもうアメリカでは巨匠。メディア嫌いの筈だけど、やはりジョン・ゾーンのことをメディアは大好きみたい。でも昔と違ってからかい半分の記事はもう見ないし、リスペクトを込めた記事が多い。

そういえばヤザワも90年代前半とかに、今見ると「別の仕事着」みたいなボディコン・ワンピをいっぱい持ってたな。そんでもってブーレーズのソナタ、とか弾いてたんだよなー・・その鼻血の出そうなボディコンで。
あのセンスは何だったんだろう。
ホントに大人になってセンス良くなったものだわ。昔にイントキシケイトがあったら『大気圏外』に分類されるところね。もしくは『痴識の茶の間』か?

とか『茶の間圏外』を読む。満足。『知識の茶の間』じゃなんだかだし『古典茶の間』はさらに遠いか。あっ!でもこの『クール茶の間~Cool Lounge~』と『ホット茶の間~Hot Lounge~』ってちょっと気になるぞ。クールの方にはヤザワの大好きなパット・メセニーもいるし。
まーでも英語だとHot Lounge もいいけど「ホット」なら「圏外」のがずっといいなえへへ。それに「ザ・ジャズ」というのがホットには多いし。でも『クール』は気になるな。

とかやはりドキドキしてすごく楽しみに読むわけですよ。

毎週月曜日発行のjazztokyoでも取り上げていただきました

「現代音楽の・・・」と説明してくれているのが、ここでもヤザワが「圏外」なんだと分かります。
ジャズ・ジャーナリストの横井一江さんのブログでも書いてくれています

ジャンルを越えて聞いてもらえるのはすごく嬉しい。ヤザワだって自分はクラシックに分類されても、ビバルディとかバッハの新譜よりパット・メセニーの新譜の方に目が行くわけだし。ジャンルというより「新しいもの」が好きなんだろうな。ワクワクするの。「どんな音なのかなー?」って。

来週の月曜日(20日)にはCDジャーナルにも掲載されるそうです

ドキドキ・・・みんなに気に入られて沢山の人に聞いていただけますように

→応援クリック♪ポチっとね?
Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賛否両論:レ・パラダン

2006年11月12日 | 文化・芸術
Bunkamuraオーチャード・ホールで全4回公演を終えた『レ・パラダン~Les Paradins 遍歴騎士~』。

お疲れさまでしたー♪
3日目の公演に行ったというシバちゃんと電話で盛り上がるし

ひとくちで何度でも美味しい公演でした

でも前評判通り、賛否両論だった模様。

シバちゃんが行った3日目の公演では、始まって10分もしないうちに席を立って帰ってしまった人がいたんだって!

ソレってどっか別のライバル音楽事務所かプロモーターとかのヤラセのサクラなんじゃなーい

とか思うほどヤザワもシバちゃんもアツく語るし。

でもやっぱり純粋なバロック音楽のファンやオペラ・ファンの「原理主義」な方たちにとっては受け入れがたく理解不能な過激な演出だったのかも。

演奏が正統的で素晴らしいだけに、「邪道だ」と思う人もいたんだろうね。

ヨーロッパのオペラハウスがある国では、もう古典的な正統派の演出は観客が見慣れているので新しい演出を楽しみにしているし、こういったハイパーな演出の出現を喝采を持って受け入れる土壌が日本とは違うということもあるとは思う。

それになんといっても日本人は「マジメ」で「純粋主義」な傾向があるからね。「肉食人種」のコユい表現も日本人の美意識にはトゥー・マッチだったのかも。まーソレもあと何年かすると変わってくるとは思うけど。なんたってこんなに日本にはオペラ・ファンとバロック・ファンがいるんだもん。きっとそのうち「洋食」では物足りなくなると思うな。

ヤザワはやはり映像とダンサーの演出と、歌手の芸達者ぶりに度肝を抜かれました

オペラといえば、ベルカント発声法で超絶技巧を披露するため、「演技」のために体力を消耗するような演出はなかなか躊躇していたところがあると思う。

それが、この「レ・パラダン」ではまるでミュージカルのように歌手が舞台を走り、踊り、歌っていたの。最初はコーラスの歌手は「ダンサーの群舞」だと思ってたんだから。全然デブじゃないし。

「ん?コーラスは舞台袖か??」と思ってたら、歌ってるんじゃない

すごいなー・・まるでミュージカルだぞー・・しかもマイクなしで・・どーゆー体力なんだ

とまずボー然としたね。オペラ歌手も大変な時代になったなー・・でもみんな楽しそうで生き生きとしてるし。やれば出来るという前例をこの「レ・パラダン」で作ってしまったので、後に続くオペラ歌手は大変だぞー・・

ヤザワ的には:このように歌手の新たな芸域を広げる演出をしたんだから、ベルカントでもマイクを使って軽く増幅した方がいいんじゃないかという気がした。それは「声量」を増幅するということではなく、「表現」を増幅するという意味で。音響のクレジットがプログラムに入っていたから、PA(パーキング・エリアじゃないよー。増幅だよー)してたのかもしれないけど。だとしたらもうちょっとしても全然いいと思ったなー

踊ったり走ったりする足音に負けないように声量をキープすると、どうしてもダイナミクスがフォルテとかに限られて、綺麗な声で素晴らしくても「表現」がフォルテとかメゾフォルテくらいの幅になってしまうと思うの。ただでさえオケとの共演なんだし。「大声量」に価値を置くオペラ。生身の人間の声がこんなに響く、ということがまず驚異的で感動的なことではあるんだけれど、そのへんの「聖域」にもそろそろメスが入ってもいいんじゃないかという気がしてきた。

ハイパーな演出の中に取り残されたような改革の余地あり部門に思えたなー
でもきっとそこは本当にオペラにとって「聖域」なんだろうなと。

映像とダンサー(歌手も)の演出は本当に楽しめました。

古典バレエのバレリーナの動きとなったオリジナルの「蝶」や「鳥」に自在にダンサーを化けさせた映像とシンクロさせた振り付けで、四次元的な空間を表出させることに成功していたと思う。映像のダンサーと実際に踊っているダンサーを見させる配分の演出が本当に絶妙だった。まるで影か分身が異次元を行き来しているような感じ。

古典バレエの振り付けの元となった生物にダンサーの映像が変化する時のバックは、さわやかな空に雲が浮いている映像。これはルネサンス(人間復興)をリンクさせたものなんだなあと。訓練を積んだ人間が、蝶のように舞い、鳥のように跳躍して「白鳥」などに扮するバレエ。それのバックにヨーロッパの宮殿の天井画のモチーフを持ってくるセンスが素晴らしいと思ったの。天井画はフツー「天使」だからね。演出の人がいかにダンサーや歌手をリスペクトしているかということが分かる。

このダンサーと映像のダンサーが入れ替わるような演出を、古典バレエの「ジゼル」のウィリー(妖精)たちが夜に森で踊るシーンに使ったら本当に幻想的なんじゃないかと思ったの。ジゼルは亡霊になったり妖精が出て来たりと、幻想的なストーリーなんだから、ウィリーの群舞の足音とか聞きたくないなーって。群舞の人数減らして、幽玄的な感じの演出を見てみたいなーってなんだか思いついて。

昔の物語なんで、今の技術を使ったら素晴らしいものが再構成されるんじゃないかと、この「レ・パラダン」を観て思ったわけだ。それほどこの演出は古典芸術の可能性を提示したと思う。別にヤザワはバレエの演出家でもないから、そんなことは呟いても誰も実現させてくれない独り言にすぎないんだけど。演出シロートのヤザワがこんなこと思うくらいだから、フランスでいかに熱狂されたかというのはすごく分かる。

これからの芸術の方向性と未来を1つ、提示してくれたんじゃないかと。

全裸のシーンも、もちろん「空」と「晴れた宮殿の庭」がバック。宮殿に置かれている裸婦像や裸夫(?)像とリンクさせた、人間讃歌を表現したもので、観ていてちっともいやらしくないし、楽しかった
「嫉妬なんて気にしないで大きな声で歌って笑おう!」という最後のメッセージも良かったなー!

フランスから日本に来てくれて、素晴らしい公演を見せてくれた「レ・パラダン」のプロダクションに感謝感激でした

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

府中ビエンナーレ

2006年11月05日 | 文化・芸術
10月21日から開催中の『第3回府中ビエンナーレ~美と価値・ポストバブル世代の7人~』に行って参りましたー♪
(10/21→12/24府中市美術館

アーティスト・トークなども充実しています!

すごく天気のいい日曜日の府中の森公園を尻目に美術館の暗い講演室に入りました。
今日は2003年にヤザワの企画する公演に詩を書いていただいた松井茂さんのトークがあるのと、詩をオブジェ化した作品で「美術作家」としてこのビエンナーレに作品が展示されているとのこと。コレはやはり晴天で目の前は緑溢れる公園だ、とかそんなことはさておき松井さんの講演を拝聴してその作品を拝見するしかないでしょう。松井さんの他に参加アーティスト、豊嶋康子さんのトーク(作品解説)もありました!

真っ暗な講演室でMacを使いながら「どのように詩を作って、またそれを美術作品にしたか」というお話をプロセスを映しながら話してくれました。

すごく面白かった!

松井さんは音楽にも造詣が深くて、12音の音列を言葉に当てはめた詩を創作したりしてるんだけど、ずっとヤザワは「?」とか思ってたの。2003年にお願いした詩も「いつも書いてるあーゆんじゃなくて、こういうコンサートのテーマなんで、そーゆーの書いてもらえませんか?」とかヤザワの考えてることはそのままお伝えして「いいですよ」と気持ちよく引き受けて下さったわけだ。

近所のよしみとヤザワの魅力(!!)で引き受けてくれたわけだけど。でもどうも女でも苦労したみたいな感じ。女性のお願いは基本、断らない主義っぽいなー。1975年生まれでこの達観。アニエス・Bがお似合いです

ウェーベルンとかの音列技法は、その曲を弾くピアニストの立場からすると:「分かるよ。コレがシンメトリーに12音が配置されてるってことは。でもだからそれでナンなのだ」という気分なんだよね。

「音」が「楽」しいから『音楽』であって、そのための技法の1つとして12音の音列を使うということが根底にない曲はダメだ、というスタンスのヤザワ。そうはいっても無調はヤザワにとってフツーに楽しいし、メロディーがなくても全然オッケー

単純で綺麗なものと、複雑さに知性と技術が織り込まれたような音楽にもやはり陶然とさせられるし。全ての技巧、コンセプトは新たな「美」を創出するためであって、技巧とかコンセプトそれ自体に注目が集まるのは楽屋裏を見せるようなはしたないこと、とか思ってたわけだ。ついさっきまで。

いや、基本は変わらないんだけど、でもその松井さんの解説がすごーく面白くて、すっかり「もっとお話してっ」モードになったわけだ。コレはきっと「音楽の手法と同じ手法で書いた」ということに、すごくシンパシーを感じたんだと思う。美術作家でジョン・ケージの不確定性の曲とかに興味持ったりする人のことが今までよく分からなくて「ケージは初期のプリペアド・ピアノの曲に限りますよ?」とか親切のつもりでゆってたんだけど。

よーやく気持ちが分かったぞ。人間、長生きするもんだにゃ。

そう。もうコレは「気持ち」の問題なわけだ。「分かる」「分からない」じゃないんだよね。仲間意識みたいな感情。別にウェーベルンが好きでもないのに、その手法を使った詩とグラフィックに見とれたという

豊嶋康子さんの作品解説も、美術とは無縁な人が聞いたら「???」というようなものだと思う。日本語で言ってることは分かるのに、何でそんなこと考えるのか分からない、とか思うんじゃないかな。「面白いこと考えますねー」とか美術家には絶対言ってはダメですよ!理解するには受け手にも相当な教養が要るんです。自分よりアホーなヤツに侮辱されるほどムカつくことはないからね。気をつけましょう。分からないときは「ああ、今私は馬で念仏を聞いているのね」と思えば間違いないって。(←ヤザワの経験から)

ヤザワも98年にニューヨークに行って、美術の人と話すようになった最初のうちは:「そんなこと考えてないで練習しなよ」みたいな、まさに「技術の虫」発想をしてたわけだけど。「演奏家」だからねー。一緒に行動したり話したりしているうちに、だんだん自分が開けてきたというか。

そして同時開催中の中ザワヒデキさんの:「手で描かない。脳で描く」という脳波ドローイングも鑑賞。

中ザワさんの「近代美術史テキスト」、コンピュータのおもちゃソフト「キッズ・ボックス」とか、昔からヤザワは中ザワさんのファン。医大を出てて美術家にして著作家でもあるというアインシュタインみたいな方。ピアノが弾けないところがチャーム・ポイントです(う・・性格も負けたかな?

この「近代美術史テキスト」は必携です!ルノワールとかモネ以降から現代美術までを楽しく解説してくれてます。1989年出版なので、当時流行った「金魂巻」(←マル貧、マル金とか)を読んだ人は思い出すかも。なんといっても美術史なので、時代遅れにならずに今読んでも楽しいし

脳波測定中の中ザワさん。黒山の人だかり。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9f/d571d2ad1deb97d70a962b6a07e26852.jpg お疲れさまでした!本日の「衣裳」。

他、森本太郎さんの絵画がステキでした 1枚欲しい~

以上、府中の森からでした!

ポチッとして?→
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レ・パラダン Les Paradins

2006年11月04日 | 文化・芸術
Bunkamuraオーチャードホールでパリ・シャトレ座制作のバロック・ダンス・オペラ『レ・パラダンー遍歴騎士』を観てきましたー♪

11月4日(土)4時、11月5日(日)4時、11月7日(火)7時、11月8日(水)7時(東京:Bunkamuraオーチャードホール)

フランスのバロック時代の作曲家、ジャン・フィリップ・ラモーのオペラを映像、コンテンポラリー・ダンス、ヒップホップ・ダンスなどを取り入れた大胆な演出で、パリで大喝采を浴びたオペラの日本上陸です

楽しかったです

「バロック音楽にヒップホップ・ダンス」とか「バロック音楽にコンテンポラリー・ダンス

そりゃーキワモノに違いない

と思うでしょ?

キワモノでした

ホントに抜群のセンスがないとダサダサだったり、観てる方が赤面したり、演じてる方も(歌って踊ってる)今イチ恥ずかしそうだったり、そうでなくても妙に開き直られた感じがしたりするようなスレスレの演出。

最高でした

いやー「あそこの映像は・・どーでこーで・・」と思わずうんちく言って、「いかに理解してしかも楽しんだか」と綿々と書きたくなるけれど、まだあと3公演残ってるのでヒ~ミ~ツ~

もともとバロック時代の音楽というのは、その当時はかなり早いテンポで演奏されていたという考証があって、それが古典、ロマン派を経て現代に近づくほど演奏のテンポがのろくなってきている、ということを古楽実習の時間に習った記憶がある。どっかに学生時代の資料があるはずだけど、探さないと出て来ないので専門的なことは割愛するけれど、古典時代にはメトロノームでいうと1拍が?くらい遅く演奏されるようになり、それがロマン期にはさらに遅くなり・・という具体的なテンポを検証した資料ももらった記憶がある。

バロックが専門の音楽史の先生が授業で「昔の人は悠長でのんびりしていただろうから、音楽もゆったりしていたはずだという偏見は持たないでください」とイヤミそうに言ったのもすごく印象的だった。久しぶりにその先生もオーチャードでお見かけしました。プログラムにエッセー(文献)もお書きになってるし

まーね。そう言われれば今より平均寿命もずっと短いバロック時代。家電もないから家事には追われるし、仕事もサクサクしないと子沢山な昔の人は子どもも餓死しちゃう。電気もないから働く時間も限られるし。実は猛スピードでいろんなことを片付けていたのかもしれないよね。

なので、「グラーヴ」(←ゆったりの意味)という表記でも、「のったり」ではないテンポだったらしい。

フランスからいらっしゃった古楽合奏団(昔の楽器のオーケストラ)も、軽快なテンポで楽しい素晴らしい演奏駄曲だってことなんか、ぜーんぜん気にならないし(おっとっと・・)

これだけ軽快なテンポなら、ヒップホップもコンテンポラリーも合うって 絶妙

ヤザワがとっても感銘を受けたのは、映像とダンサーの演出と歌手のスタイルの良さでした。

古典バレエの『ジゼル』の演出なんかにもこのアイデアは是非、使ってほしーなーって。

ナゼか

全公演終わったら、こまかーく「うんちく」しちゃおー

忘れないように今日はメモだけ。

そうそう。さすがにオペラなんでお子様の観客は見当たらなかったけど、オペラなら「18歳未満の方の入場はお断りいたします」とか「ご入場の際には身分証をご提示ください」とかいっさいなくてもコドモは来ないのね

オペラグラスでしっかりそのヘンも鑑賞してきました

そういえば:「ミケランジェロの男性像とかのナニが控えめなのは、美を追求した彫刻だから」みたいなことも昔どっかで聞いたか読んだかした記憶があるんだけど。

いやー・・けっこー実寸だったんじゃないかー?
カトリックは割礼もしないしね。

とか色々楽しめました

そう。ホントに全体の演出の中にとけ込む美しさ。控えめでソコだけに目が張り付いてしまってモゾモゾしてしまうようなことはありませんでした。「必然性」ってヤツかな!女性の胸も控えめでありながらやさしい曲線。

自信持って生きていきましょー

『レ・パラダン』あと3公演

ポチッとして?→
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする