ヤザワの作品↑ 胸はヤザワじゃないよー
個人情報保護で顔はカットしましたが・・
びっくら!Cカップだって
シンプルなお洋服をいつも素敵に着こなしてる長身痩身の彼女がこんなにグラマーだったとは
うはー モテるわけだー
夏にひとつ、すごく大きなドイツ年のイヴェントを大成功させた彼女への労いにプレゼントしたの。
夏前に彼女をイメージして作ったネックレス、こんな色っぽいご主人にお仕えすることになってシアワセ。永久修理するから可愛がってあげてね
プロデューサーを努めた彼女といろいろ話してる時に、音楽の良さを言葉で説明する難しさの話しになって。
もともと「言葉にならない感覚を表現するのが音楽」(←歌モノ以外ね)。そこは文学とは違うわけで。文学的アプローチで「分かろう」として聞く必要はないのよね。それより・・
もっと感じてっ! ああんっ!!(←大脱線)
とか思うんだけど、まー 記事にしてもらうためには無理矢理にでも言語化しなくてはならないから、なるだけ音楽のイメージを壊さないように言葉を選ぶのよねーって。
ちょっと前の日経の広告欄に「クラシック音楽は構築されているものなので、聞いているだけで頭が良くなる」という効能が書いてあるCDの広告もあったし。
なんだかなー・・
そんな風に言われると、がっくりしちゃう。もっと本能を揺さぶるような官能的な曲もいっぱいあるのに。ようやくブログのタイトルに近づいたけど。
だから世の中、荒れるんだよなー・・とか思うの。具体的な効能がないものには価値がない、というような。なんでも自分が分かるレベルに引き下げて捉える、というか。ましてや「効能」まで提案して思考停止にさせるなんて。
本なんて読まなくたって生きていけるし、絵なんて見にわざわざ美術館に行くのも時間の無駄、コンサートなんて行かなくてもテレビつければ音なんていくらでもある。
では、なぜそれを見て、聞いて、読むんですか? 一体、何の役に立つんですか? その効能は?
こういう思考はマズいんではないだろうか。
これを突き詰めると、差別主義になるよ。
いろんなことを感じて考えることが人生を豊かにするわけで。「効能」が必要な人は、ある種自分は病んでると思うべき。「人間は考える葦である」ことを放棄すると、どこかで必ず精神破綻を起こすって。人間はそんなに単純な生き物じゃないんだってば。
ともかく人間が人間らしくあるための1つが芸術なわけで。人間の他に絵を描いたり物語を作ったり、いろんな音楽をする動物がいる?芸術活動をしてこそ人間、他の動物とは違うんだから。芸術を愛でないなんて、人間じゃないわっ
それに子孫を残すという目的以外に官能を使う生物というのは・・
・・ヤめとこ。エログになっちゃう。
HOG社のバランス・スタディを買って1年近く。
買った当初から「座る以外の目的で使用しないで下さい」という説明書の注意書きを見て、座る以外の使用方法を考えては悩ましい気分にさせられて。
試してみたくてしょーがなかったことをしてみました。
木曜日に仕事カンケーの年下クンお二人さまがコンピュータのソフトでの編集にいらしてくれた時に、バランス・スタディに座って作業してくれてたんだけど。
後ろからその姿を見ているうちに、「イケるかも」という気になってきたので、キリが良さそうなところで声をかけてみました
「ねえ・・この椅子の注意書きに、座る以外の目的で使用しないで、って書いてあるんだけど、他にどういう使い方ができると思う?」
「えー? 分かりません・・電球替える時とか??」
んふふ♪♪
「ちょっとこっち向いて座ってみて?」「???」
「そう、そこにヒザをのせて、お尻のところ肘をついて・・背もたれの間から腕を出して・・その上にアゴ乗せて?」
「」
「いい感じ♪ 写真撮ってもいい?」「イヤだ~・・」「恥ずかしい?じゃ、目隠しする?」「・・・・」
こんな使い方以外に、もっと「イケナイ使い方」があるのかしら??
悩ましい椅子だわー
家庭用には赤がおススメね 黒だと業務用だと思われるかも。
ちなみにヤザワのはブルー。肩こりもしなくなって、いい調子
友人のピアニスト、松永加也子さんのリサイタルに行ってきましたー♪(9月6日東京オペラシティリサイタルホール)
今回の彼女のリサイタルは「日本の現代ピアノ作品の演奏論~松平頼暁作品を中心に~」という博士論文のテーマに沿ったプログラム。この論文で2003年に博士を取得したので、その記念リサイタルというところ。
プログラムでも松永さんが書いてるように「日本における西洋音楽は1900年前後の受容期を経た後、作曲、演奏両面において、第2次世界大戦後、世界のトップレベルに踊り出ている。現代というエリアにおいてのみ、日本人は同時代的に西洋音楽を捉えることができると考える」
というのは、簡単に言えば「たとえ中●紘子にすらショパンを習ってみたい、と思うポーランド人はいないかも」ということか。
ヤザワはドビュッシーとかすごく得意だけど、そのヤザワにドビュッシーを習いたいと思うフランス人というのがいるんだろうか? ドビュッシーの巨匠、クロード・エルフェにみっちり習って共演もしたことがあるヤザワだけど、それでもフランス人は「日本人のつたないフランス語でドビュッシーを習うなんて・・」と思うんではないかと思う。もー現時点でフランス語もだいぶ錆びついてますしー
ここがクラシック音楽家という職業のジレンマで、もともと西洋の文化で勝負してるわけだから、日本で日本人相手にショパンとかリストとか弾いてるぶんには全然いいんだけど、ではそれで世界に出て行って、例えばワルシャワで日本人の弾くショパンのコンサートにポーランド人が聞きに来てくれるのか?
どうよ? どう思う??
ということをヤザワも音大生の時にものすごく悩んで考えて、まさに松永さんと同じ結論に達したんだよね。
「日本人が弾くタケミツなら、世界中でコンサートが開ける」って。
それと、いわゆる現代音楽という今日作られてる音楽。まー 大江光とかもひろ~い意味じゃ現代音楽。坂本龍一も。
それに外国人の作曲家でも、ヤザワのために書いてくれた曲というのは、やはりヤザワの演奏で聞いてみたい、と思うよね?
外タレ(外国人タレント、アーティスト)でもヤザワより全然下手なドビュッシー弾くヤツなんて、実際のとこザラにいるわけよ。それでもやはりこの「音楽」というお仕事はイメージも大事でさー・・
「ちくそ~ 悔しいっ!」とかそういう所でコンプレックス持つと、白人になりたいマイケル・ジャクソンみたいなことになるわけだ。
小澤征爾さんとかが、ウィーン・フィルの指揮者になって、ウィーンでワルツとかモーツァルトとかを振るというのは、ものすごいプレッシャーだと思う。例えどんなに素晴らしく振っても、地元だから評価が辛いよね。パリとかベルリンとかニューヨークとかで振るより。
でも小澤さんの作り出すモーツァルトとかは、別に特に「ウィーンでウケるように振る」というものではなくて、小澤さんが熟考して練習を重ねて自分なりの解釈のもとに振ってるわけで。それは世界中どこで振っても、どんなオケでも変わらないわけよ。
それでもある種「愛国心」というのに触れる、ビミョ~な問題なんだよね。
小澤さんがウィーンでメシアンとか武満とか振ったら? もう賛辞の嵐に決まってる。まー特にウィーンなんてもともとは保守的で排他的な土地柄。日本人が指揮者になるなんてアンビリバボー
「日本人がモーツァルトとかウィンナ・ワルツが好きというのはいいことだ!何たってオーストリアの文化に興味があるということだからね」とか思ってるわけで。もう宗教に近い感覚がある。
だから、本当に世界中で演奏したい、と思ってる演奏家、指揮者は国籍を問わず、現代音楽の演奏に熱心。
生まれたてホヤホヤの音楽は、そういうビミョ~な問題を越えて、「面白いんなら聞いてみようか?」という純粋な気分で聞いてくれるからだと思う。
そうねー・・例えば!日本に住むアメリカ人の三味線ニスト(というのか?)に習ってみたい、と思う人と、日本人の三味線ニストに習ってみたいという人とどっちが多いと思うー?
ヤザワだったらアメリカ人の三味線の先生というのに習ってみたいかも
英語の勉強にもなりそうだしさ? 珍しいじゃん
まあきっとそういう人は日本語ペラペラなんだろうけど。
最近、「日本語習う」というのも外国で流行ってるらしいね。
ヤザワもパリで「日本語でドビュッシーのレッスンをフランス人にする」という日がくることもあるかすら?
~キライな人がいなくなるコミュニケーション・メソッド~斎藤 孝著 NTT出版を読みました~
これは「苦手な感じの人」「初対面でどう打ち解けて話したらいいか困った時」に話す時の手引書で、そういう時は「自分が好きなもの」をいっぱい書き込んだマップみたいなものをお互いに見せ合って、共通の好きなもの、興味のあることについて話せばお互いに親近感、仲間意識が芽生えて、相手との距離が一気に縮まるということを提案しているの。
確かに。
日本人て(というヤザワも日本人だけど)「どちらにお住まいですか?」「ご結婚されているんですか?」「ご家族は?」「おいくつ(歳)ですか?」とか聞きすぎる傾向にあるよね。こういう話題って、ヨーロッパとかアメリカでもよほど親しくならないと聞いたり話したりしないんだよね。プライバシーなことなので。「なんで初対面のアンタにそんなこと聞かれるの?」と思われるほど失礼な質問。だいたい「じゃ、私はこれで」とか言われたら「どちらに行かれるんですか?」なんて聞くことも失礼だ、と書いてあるマナー本もあるほど、プライバシーに関する感覚が違うの。
仲良くなっても「この後、どーするー?」とか聞いて「ちょっと用があるから失礼するわ」と言われたら、それ以上聞かないのがマナー。ましてや自分の「どこに住んでて既婚、未婚、家族構成、年齢」なんてペラペラ話すのはちょっとヘンだと思われる。
日本人がそういうことを平気で話すことの前提に「自分は日本人で両親も祖父母もそのまた祖先も日本人で、友達も全員日本人」ということがあるんだよね。「我らみな日本人だから、プライヴェートな話題は合うハズ」という。
だから環境が違ったりとか予想と違う答えが返ってくると、いきなり壁を感じたりするわけだ。自分とほぼ同じ環境、境遇を期待してるからこその質問だもんね。
そうなると「誰とでもコミュニケーションできる」話題というのはやはりプライヴェートな話題ではないよね。
「日本人はコミュニケーション下手」と思ってる著者が「なんとかみんなが楽しく盛り上がれる方法はないか!?」と編み出したのがこの『偏愛マップ』
ちなみにこのマップを作って人に見せる際の注意が2つ。
ひと~つ ヒトの溺愛、偏愛しているものの中に自分のキラいなものがあっても、クサしてはいけません
ふた~つ 自分の愛しているモノは具体的に細かく書くこと。例えば「クラシック音楽が好き」というのはダメで「マルタ・アルゲリッチが弾くラヴェルのピアノ・コンチェルトが好き」「花月のにんにくとんこつ味噌ラーメンが好き」というように。
もともと「苦手なタイプの人」「初対面の人」とでも楽しく会話することが目的なんだから、当たり前だよね。
ヤザワも早速作ってみましたー
書き出してみると、改めて「自分」というものが見えてくるの。おもしろ~い
いっぱいあるので、次のブログに書きます!
クサしちゃヤ~よ