ストレチア。いっぱいの葉や花の間から覗かせると鳥が顔を出しているようでカワユス
枯れたらまた買う
シーズンなので今なら3~5本で200円前後(市場価格)ですから
畑ではこんな感じ
初めてストレチア畑を見た時には:まるで鳥が巣から顔を覗かせているような風情に感激しました。「こんな感じで育ったのかー」と分かると、生け方もなんとなく分かってくるし。
オアシスを使えばもっと「フラワーアレンジ」になるんですが、暑いのでオアシスがドロドロになってしまうのも早く、日持ちが短くなってしまうので、大量の花やら葉っぱを花瓶に詰め込んでカタチにしているという。
手作りポン酢に漬けたモーウィ(瓜)、ニンジン、大根、ミョウガと山芋。
まいうー
近所にシークワーサーを植えてる家があって、毎日その前を(わざわざ)通ると道路に2~3個落ちてるのを拾うので、ここ1ヶ月以上シークワーサーを買ってないんですよ ポン酢もシークワーサーで作るの 。ノエルの散歩の副産物 。ヤザワ1人で拾いにだけ毎日ウロついてたらヘンだろうけど、犬の散歩だからね!
相変わらず食欲が今ひとつです。こういうピクルス?のようなお新香とか、ローフードばかり食べてます。夏バテかと思ってたけど、どうも味覚も体調も変わってきたんじゃないか?と3日ほど前にふと思い、あまりお腹も減ってなかったので夕食を抜いて寝ました。
翌朝はものすごくスッキリと起きて、しばらくぶりにバテてない体調を実感。それでもお腹があまり減らないという。
「でもなんか食べなきゃ」と思ってフルーツを食べて、お昼にはグリル野菜サンドを作ってコーヒーと食べたら、またなんかダルくなっちゃって。。
ヴェジになって以来、ものすごく体調も良かったのに、一体どうしたの 夏バテにしても長すぎるし、去年の今頃はもう畑にも復帰してたはず。
とは思いつつダレてるし。しょうがないので本だけは読んで、ようやく夕方には涼しくなったのでビーチには泳ぎに行ってるけど。
古座間味ビーチ
那覇から高速フェリーで50分。ウチから港までは10分もかからないので気軽に行きたいのは山々なんですが、7、8月なんてフェリーが全然、取れないの9月でも来週の連休明けまでは、もう何ヶ月も前から予約で満席。
それでもキャンセルが出ることもあるので行ってきましたよ~
この日は波浪注意報が那覇で出てました
座間味はそれでも泳げましたが、最初の目的地の阿嘉島は到着と同時に遊泳禁止が出てしまい、座間味に戻ってきたのでした。残念。それでキャンセルが出たのかな
古座間味ビーチでシュノーケリング
やっぱりちょっと濁り気味。十分キレイだけど、本来の美しさの半分以下ではある。魚もこういう日は寝てるみたい。
でも素晴らしい
ビーチから5mでこの世界
こちらは慶良間諸島、屈指の美しさを誇る
阿嘉島の北浜ビーチ。ちょっと荒れ気味
また再来週、来るわ~
フェリーは泊港を出た途端、ものすごく揺れて、「コレはダメだ こんなのにあと48分も乗ってたら吐く」と、一緒に行った人に:「100円あげるから、非常レバー見つけて引いてきて」(←電車と間違えてますね。泊港に戻って下船しようか)と、よほど頼もうかと思いましたが、「キャーッ もーっ」とか騒いで緊張してるうちに疲れてしまって、ぐったりと大人しくなった頃、座間味近くになり、そしたら波が俄然・穏やかになって、しかも那覇は曇りだったのに快晴だったんですよ。沖縄の天気予報は予測不能なんです。
阿嘉島の北浜ビーチを「眺めて」、1時間後の座間味行の小船に乗り、今度は揺れないので、すっかり楽しくクルージングして座間味でお昼を食べて泳いだのでした。帰りのことを考えて、念のためモズク入りそーめんという軽い消化の良さげなものにしました。カレーを食べた友人は帰りのフェリーで吐いた模様。寝てて気がつかなくて良かったわ。。
那覇は曇りで波浪注意報だったからネー
次回はホメオパシーの酔い止めのレメディを持って行きます。久しぶりだったので忘れてたんです。
ビーチでは:「小さいおうち」中島京子著を読んでました。
本を読んで映画も観てみたくなりましたが、どうも沖縄では上映予定がなさそう。映画のHPを見てみたら、「恋愛」に焦点を当てた宣伝文で、それを見たら観る気が失せました。確かに当時の背景を映画化したら、『天国の門』のような超大作映画になってしまいますね。桜坂劇場で先月観ましたが:「最後まで観るか、トイレに行くか、それが問題だ」というほどの大作。 上映時間3時間以上。休憩入れろって。
その『天国の門』も、「どのように戦争は起こされるのか』というのがよーく分かった映画ではありました。アメリカの暗黒の歴史。アメリカ人には直視し難い内容で、興行的には大失敗になったらしい。東欧とかフランスとか反米諸国で上映したらヒットしただろうに。昔から同じことやってるのよ。武器が進化しただけで。
「小さいおうち」を読んで:昭和15年に東京オリンピックが開催されるはずだったこと、万博も開催される予定であったこと等を知り、ビックリしました。それらが満州事変とか南京事件の頃に開催が決定されていたこと、戦争によって一時、軍需関連で国内景気が良くなったこと、万博の入場券まで販売されていたこと、国債の発行も活発だったこと、その後は東京大空襲で焼け野原となって飢饉になるわけですが、「この国債も紙くずになったんだよね?万博の入場券と一緒で・・」と思いながら読んだり、とても「恋愛」どこじゃねーハラハラした気分になりましたが、当時の人たちは報道規制もあり、東京オリンピックをすごく楽しみにしていたり、子どもの「お受験」に右往左往したり、恋をしてみたりとごくごく淡々と毎日が流れていくんですね。そして徐々に戦争になってしまっているという。ものすごくリアルで怖かったです。それでいながら「小説」としても面白く、東京の昭和初期の暮らしぶりなど「昭和モダン」もなぞれて楽しかった。何気に食べていたコロンバンのケーキなども戦前からあって、戦後また復興したのか・・偉かったな・・などと今さらながらしみじみしました。あそこのモンブランがヤザワの両親の好物だったんです。おつな寿司の稲荷寿司もね。あ・なんか郷愁が・・
ヤザワの両親は東京なので、終戦あたり、終戦後は食べる物が本当になくて、戦後は買い出しに祖父が地方に行ったことなどは聞きました。
「百姓っていうのはそういう時、足下を見るのよ」と言ってましたねぇ。都会人が農家を嫌うのは、この時の経験がDNAに染み付いているのでしょうか。母親は小学生だったわけだから、父親から聞かされたんでしょうね。
たまに農家の悪口のようなことは聞きましたねぇ。父親も:「百姓っていうのは自分の家族用には農薬を使わない野菜を育てて、売る野菜には農薬をたっぷり使うんだ」とかねぇ。
自分で畑をしてみれば、「無農薬の安全な野菜」は露地栽培でこの1ヶ月、オクラ5本でしたよ。。
買ってくれるお店もあるというのに、作れないから売れないんです。目標の自給自足にもほど遠い。1ヶ月間、オクラ5本で過ごすしかない。それを売ってくれと言われれば、オクラ1本3000円は最低でもするでしょ。そんなもんですよ。
さすがに:「こんだけ雑草刈って、耕して、オクラ5本かよ 」と畑でわめきたい気分にもなりましたが、去年の今頃から植えだしたニンニクやタマネギ、大根、ネギが豊作だったことを思い出して、今年も一応、植えるかー
でもテンション下がるなー
もともとヤザワ的に畑を始めたのは食糧難に備えて。「趣味」というより実用。なので畑を始めつつ、畑泥棒に備えて護身術を身につけるべく空手も習ったわけ。
野菜を作る → ドロボーが来る → 野菜を守るために闘う。ために、胴着を着て「突き」「蹴り」「型」の練習をしてたわけです。しかし急所攻撃を命中させるには、空手では長い年月の修行が必要だということが分かったので、もっと実践的な武術(競技ではない戦闘・護身用)にシフトしたのです。
畑仲間にも:「畑でドーベルマンを飼いますか」と提案しては、「なんでドーベルマン」と聞かれるので、「ノエルでは畑ドロボーには立ち向かえないし。ここはやはりドーベルマンを数頭、放し飼いにしないと」とか言ってたわけだが・・・
オクラ5本のためにドーベルマンを飼う。オクラ1本の原価が、限りなく1万円に近づいていくなぁ
糞~ もういっそ「不食」になったれ
そーだそーだ食べなきゃいいんだ最近、流行ってるし食欲もないし
読んでみました 食べない人たち(「不食」が人を健康にする)
ヴェジタリアン(ヴィーガン) →(ヴィーガン)ロー・フーディスト → フルータリアン(果物食)→ ブレサリアン(不食)
という過程を経て徐々に身体と精神を慣らしていけば、不食は可能だとは知ってたけど、「食べない人たち」では1日1食を長く続けて、どんどん「量」を減らして『微食』にして、最終的に「不食」にたどり着くというやり方。10年ほどかけて不食に向かうそう。
ヤザワは今、身体が勝手にロー・フーディストになりつつあり、これまで1日4、5食(おやつ込)食べていたのを減らす時期になってきたんでしょうね。
きっと神様が・野菜作りに難航しているヤザワに他の道を示してくれたのでしょう。
まずはこれまで買ってた半分の予算での食料の買い物にしてみます。
1食ができるかは分かりませんが、2食なら(おやつ込み)出来る感じがします。