ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

90歳2ヶ月で

2024年04月30日 | 日常

16日のAM10:16に「田上くん、今日来れる?」「あー、午後に伺いますよ」という電話をした後、14:00前ごろから息が浅くなってきた父は14:05分に呼吸停止となりました。老衰でした。「老衰」のイメージとはだいぶ違ったけど。

 

「亡くなったので、何か着せる服を持って行ってもらえませんか?」と田上さんに電話をすると;「ええだって今日の10時頃に電話あったよ」と驚かれつつ、父らしいジャケットとシャツとスラックスを選んでホームに持って行ってくれたのでした。

 

次の日に箱根に行く予定だったヤザワは・・

この小型猫トイレを持参して、ここに高濃度マグネシウムやらミネラルを入れて、栄養の取れてない父に足湯をさせて経皮吸収させようと思って荷造りをしてたのですが、「もういいよ」ということなんだなーと荷物から外しました

 

こういう準備をしつつ、葬式用の写真も選んだり、スライドショーを作ったり、葬式をイメージしたりしながら準備もしました。父の「死ぬ!死ぬ!」コールがあったおかげというか、そうか、覚悟して準備しなきゃなと腹が座ったというか。

 

矢沢正英

 

13日の土、日が本人もピークだったようですが、月曜日の朝、なんだかとても楽しい夢を見て笑いながら起きたんです。母に怒られながらウィリアム・テルごっこしてる夢。その時、「ああ(天国の)迎えが近いんだな」とは思った。私は霊媒体質なんで伝わるんです。苦しんだ後に分泌されるというドーパミンが出て、楽しく幸せな気持ちになったんだと思う。それまでは私も「夜が長くて辛い」とか、自分じゃない重苦しい感覚だったから(←ヤザワは夜行性なので夜が短いと既に老後と変わらん

じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」(2023.11.10現代ビジネス)

 

そうは言っても死に方は自殺以外、選べませんから

絶対に苦しまないで死ぬことを目標にするなら、最期は断食しかない。それなら枯れるようにポトリと逝くらしい。

ただし、死ぬために断食を完遂するだけの精神力が要る。それが出来るくらいなら、ダイエットだって断酒だって禁煙だって断肉だってなんだって出来るとは思うな。

しかし物事には限度というものがあるので、2日苦しんだら3日目にはドーパミンが出て「最期は苦しまず穏やかに亡くなられました」という状態にはなっている。そうでなかった🐱はパリスくらい 

 

これでもうヤザワのことをたまーには心配してくれたりプレゼントをくれたりする親は消滅してしまったと思うと寂しいです。

父の行きつけのカフェに寄った時:「お代はお父様にいただいてるんですよ。朋子が寄ると思うので、何か食べさせてあげて下さい、って預かってるんです」と父の奢りでした。

  ごちそうさま。ありがとう   

 

箱根で終末

 

とてもキレイなホームで景色も絶景で、ここで本当に良かった。大好きな箱根が一望出来て、友人も訪ねてきてくれて。

先月はここのロビーで友人たちとお茶をしながら話をしたんです。庭を散歩することはなかったけど、部屋からの景色も、食堂からの景色も感動的に美しかった。父が感動してるのが分かりました。車椅子で温泉にも入れたんですけどねえ。。入れませんでした。

 

お葬式は箱根の友人関係を把握してなかったのと、やはり3日後!(16日に亡くなって19日に1日葬)とスピード勝負なので、告知が行き渡らず、秋にでも行きつけだったカフェで偲ぶ会を開こうと思います。葬式と全く同じレイアウトで。再演みたいだけど。体はなくて写真だけだけど。「直火葬で良い」と言っていた弟一家は葬式当日は孫も来ず、弟1人で来て嘘泣きではなさげに泣いてはいました。

 

スライドショーをモニターで流し、BGMは母の歌でした。お花、香典は辞退で、花畑のようにはせず、ギャラリーのように写真を展示したんです。服もブレザーで白い着物とかは着せませんでした。

出棺まで1時間しかないので、思い出話もさして出来ないから、秋に箱根の地元の人から話を色々と聞くのも楽しみにします。

到着した頃には食べれなかったお粥

30gで875円のすり胡麻とヘンプナッツをかけてヤザワがあっという間に食べてしまいました。大変、滋味溢れる美味しさでした。常食にすると長生きできそうだ

娘は63歳で癌死した母親の遺伝子もあることなので養生しないと

 

一族の中では最高齢の90歳2ヶ月、誕生日直前の2月7日までは車も運転して酒も飲んで食べたい物を少量ではあったけど食べて、ゴルフもハーフで、不便と戦いつつ急斜面のアパートで一人暮らしをしたのでした。

口も性格も悪く、ヤザワにクリソツだそうですが、友人には恵まれ、楽しい人生だったと思います。

ホームで;「俺はあとどのくらい生きると思う?」と聞かれて、「DENBAもあるし(←ヤザワが2月に買って届けた)2、3年はいけるでしょ。もっともDENBAには100歳まで元気!て書いてあるけどさ」と言ったら、「100歳か。それは楽しみがほとんどないな」と笑っていました。

 

人生は楽しい もんなんだなと改めて。合掌。お疲れさまでした

 

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そうはうまくはいかないが平安プリーズ

2024年04月16日 | 日常

坂本龍一さんの死去から1年、記事やら番組があるようで。

自分の父親でてんてこまいで観れてないんですが、記事はポツポツと

インタビュー形式でご本人の言葉で語られる生々しさ

「「手遅れだということ。死刑宣告だ。しかし何を見てもこれが最後だと思えて悲しい。バカなものをしたもんだ。恥ずかしさと勇気のなさが命取りになった。俺の人生、終わった」

「それまで健康とか身体とか、ほとんど考えたことがない、野獣のように生きてきたんです。万に一つも疑ってなかった。それを後悔はしましたよ、もちろん。自信過剰になってたなって。だから子供なんかに言うんだけど、何かおかしいなと思ったらすぐ診察に行かないとダメですよね」

 

「何かおかしいな」と思った時はたいてい遅いのだよ

 

 この年代付近の日本人男性アルアルで、クリエイティヴ系なのにそうだったのかーとちょっと驚いたりも。今やフランク・ザッパみたいなタバコ&酒まみれみたいなアーティストの方が珍しいから。

欧米アーティストはミック・ジャガーのように脱ジャンキー&ヴェジタリアンになって鍛えてる系が多いから。ヴィーガンも増えてます

 

長生きしたいなら気をつけるしかない。好きホーダイで生きて長生きしてるように見える人は、ある種の特権階級的な遺伝子なのだよ。フツーはフツーに死ぬって

原爆を浴びても味噌を食べて生き延びた話とか、色々あるけどやはり遺伝子。フツーは浴びたら味噌を食べても死ぬとは思う。

 

愚父が錯乱しております

先月、見舞った時に色々と身体に良いものを差し入れたりホメオパシーを飲ませたりしてきたわけですが、少し調子が良くなると;「牛乳買ってきて」と近所の友人に頼んで買ってきてもらった牛乳をゴクゴクと飲んで「美味いやっぱり牛乳飲んで育ってきたからな」と牛乳を止めてたヤザワに当て擦りのように笑って、ほれ元気になったアピールをした晩に、痰が絡んで苦しむというようなことを繰り返すので、これが寿命なんだなと諦めたわけです。

いちお「牛乳、ヨーグルト、ヤクルト飲むとまた痰で苦しむよ」とは念を押したけど、ヤクルトは身体に良い美味しいここの社長とゴルフしたことがあるという理論なのでね。

ヤザワと同じ乳製品アレルギーなんですよ。鼻水とか痰が出る系の

鼻水を出したりくしゃみをしたり痰を出しながら健康のためにヤクルトをかつては飲んでたわけだが、今やそれが命取りになったので、ホームにも「乳製品は抜いて下さい」とはお願いしたけど、野菜嫌いなので、お粥と味噌汁しか口にしないで低栄養になって足が浮腫んだり、全力で悪い方向に舵を切るわけです。

 

「お粥にこの刷り胡麻と麻の実をかけて食べなよ?かっけになっちゃうよ?」と言っても引き出しにしまって「見えないなー」とか言うし。

「もう俺は90なんだからいいの」で、そうか。覚悟が決まってるのかと思うと、「苦しいモルヒネで死なせてくれ 電話がきたり。

 

「家に帰って畳の上で死ぬ。寝台車を頼む」「マンションの管理人夫婦に看取ってもらう」やら。「ゴミ屋敷に帰ってどうすんだもうみっともないからやめろ友達も最期にみんなパパのこと嫌いになるぞ晩節を汚すんじゃない」とさすがに怒りました。

 

「俺は尊厳死協会の会員なんだっ」「尊厳死は別に無痛ってわけじゃないと思うけど。自分でヤクルト飲んだりして苦しくしてるんじゃん。加湿器にフランキンセンス・オイルも入れてないしホメオパシーも拒否してるそうだし」と言うと、「俺を攻撃して」となるし。

 

            

「朋子さんにお会いしたいのよ」とか「行ってあげればいいのに」ハラスメントは当然あるわけだけど、隣の東京に住む愚弟一家よりはよほど一緒にいて世話もしてるんですが。時給払うからアンタに頼むわと言いたくなりますね。

孫は1度、嫁は0で、人生終わりに色々分かるなー遅いけどなーと思います。坂本さんは71歳だったので、さぞかし悶絶するような後悔をしたことでしょう。

延命ドリンク・ノニジュースも府中のヤザワの友達が届けてくれて、「こんなことも(愚弟一家は)してくれないんですか」と驚きつつ。

 

愚弟夫婦には嫌われ、娘は沖縄住まい、妻は20年前に死去というような孤独&気楽そうな超高齢老人が東京では沢山歩いてました。股関節も膝もほとんど動かないすり足で。誰かにぶつかられて倒れたり転んだらそれでもう終わり、という老人が付き添いもなしで、小綺麗な格好で。本人は「私は大丈夫。ボケてないから気をつけて歩けば」と思ってるんでしょうね。買い物難民予備軍

沖縄だとそういう超高齢老人はあまり見かけず、家で家族が作ってくれるご飯を食べてるんだろうなと思います。昼間はデイケアに行ったとしても。

 

友人の知り合いに、104歳の夫婦を80歳の息子夫婦が世話してるという、ほとんど笑い話のようなことも聞きました。104歳はドリルとかやって口が達者らしい。そして息子の80歳のお嫁さんは「漬物が不味い」やら味噌汁が薄い、などかれこれ60年近く文句を言われてるとのこと。

 

いやいやいや 日本は一体どうなるんでしょうね

 

制度は単身の超高齢者世帯には対応出来てないし、大家族が一緒に住めるような家屋は東京や都会ではまず無理だしで、ショッピングモールを高齢者の集合住宅に、という記事も見ましたがどうなることやら。。

 

去年の今頃、観た映画

 

映画『すべてうまくいきますように』予告編 / 2023年2月3日公開

 

去年書いたブログ まだ全然・人ごとでしたね 

すべてうまくいきますように

1年経って・フツーの日本人に安楽死なんて無理だろ、怖がって騒ぐにきまってる、と思った次第。だいたい無宗教だから「神の元へ還る」という平安な境地に達せないと思う。宗教とは最期のその恐怖の瞬間のためにあるのかもなーと思った次第。

 

平安プリーズ

 

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断酒1年ヴィーガン12年

2024年04月03日 | 美容、健康

先月。那覇との気温差20℃の箱根を20年ぶり以上で訪問

 

この時期は寒いし花粉は飛んでるしで本土(沖縄県民は本州をそう呼ぶ)には近づかないようにしてたんですが、諸々所用で13年ぶりにコートを取り出して行ってまいりました

コートなんて沖縄で着てる人なんていないしで13年買ったこともないから、実際には20年近く前の物。いやー懐かしい染み渡る寒さでした

 

90歳の誕生日の前日に1人でいた箱根のマンションで飲酒後に倒れ、そのまま2日ほど経過後に発見され緊急搬送された愚父を見舞ってきました。

CTやらMRIやらレントゲンやら採血やらで検査され、骨折もしてないのに突如・要介護となった愚父は搬送先の病院で面会もコロナ禍で禁止され、心身ともにすっかり弱り果てたので、急いで近辺の箱根の老人ホームに移送入居することに。これの契約やら確定申告やらで2月、3月は吹っ飛んでいきました

 

リモートで契約が出来る時代で大変ありがたいものの、全ての契約は口頭で説明の上、了承しなければならず、ホームの契約に3時間、他諸々の契約書類(訪問診療、ホームの日常品の立て替え、オムツ業者、薬局、etc..)の全ての契約への署名ラッシュ

 

倒れる日まで酒を飲み、ジープを運転して林道を走り、好きな物を食べて部屋は散らかし放題(ゴミ屋敷ではなかった)で90歳まで生きたので、ここで発見されなければ孤独死ながらも大往生だったわけだけど、やはりカルマというか人生の精算というかテメエのケツはテメエで拭け的な本人にしてみれば蛇足のようなエンディングが付いたのでした。

 

弟夫婦は大激怒 で、「(病院で)死んだら引き取りに行く。葬式も身内だけで火葬する。姉さんも来ても来なくてもいいよ」と・まだ本人が生きて騒いでるというのに冷血な突き放しぶり。

聞いてみれば:「いくらダメだって言っても酒を飲んで山道を運転するし、注意すると杖を振り回して暴れるし、管理人さんにあれこれ頼んで迷惑ばかりかけてるし、自分のことしか考えてない。お前ら(弟一家)なんか大嫌いだっとも言われてるし」ということで、孫(弟夫婦の子どもね)の教育費の負担とか経済的支援を差し引いても許せないほどの亀裂を生んでいたのでした。

 

うひゃー 老害がそこまで進行してたか

 

入院以来、1度も見舞いにも来ない弟一家からは援助している教育費?の振り込みに関しての催促の電話しかないらしく、確定申告明けとホームへの移送と契約に終われ、ヘロヘロに疲れてるとこ「(嫁を)焼き殺してやりたい」とか、悪口を散々聞かされ、大変・消耗しました

「カネがないならオレの車を売れっ」「あれはお父さんがプレゼントしてくれた車で私たちの車です」「オレの名義でプレゼントしてくれって言ってオレが車両税払ってんだろっお前も(人にたかってばかりいないで)働けっ」という会話を報告されるのは大変な苦痛で。

しょうがないので、要介護の父に代わって振り込みに行ってきましたよ。。

「孫も;おじーちゃん、お金ちょーだいばかりだよ

 

             

これは昔の人間アルアルで、教育費を援助するなら信託口座を開設して、そこに振り込んでおけばこんな問題にはならなかったのに、「おじいちゃん、ありがとう」と言わせたい気持ちと「誰のおかげでその生活が成り立ってると思ってんだ」という明治〜昭和男のモラハラが入り混じって、毎月・振り込んだりしてるから感謝されるどころか憎悪を煽ってしまうんだなー。せめて信託口座にしておけば滞ることもなかったのに。毎月もらうことが当然の権利と勘違いもしてしまうし、その危うい経済基盤での生活設計で被害を被るのは子どもたちになってしまう

何か頼んでも「アタシは忙しいんですっ」とナニもしてくれないという弟のお嫁さんにしても、何か言い分があるには違いない。

 

「甘やかしすぎたオレに責任がある」と酒が抜けた頭で呟いた父だけど、この結果は典型的なアル中の家庭アルアルな気がする。気が大きくなってプレゼントしたりするので、理に適ってないことも融通利かせろよ的なモラハラも発生しがち。垂れ流したり幻覚を見て騒いだり朝から飲んでなくても立派なアル中なのだよ。問題を発生させても解決出来ずに関係が崩壊してるわけだから。

 

まず最大の問題は;愚父は軽度ではあるもののアルコール依存症であることを、周りも本人も自覚していなかったことだろうか。

アル中の人間に「酒を飲んだら運転するな」と注意をすることは、砂漠に水を撒く行為に等しい。

まあこれで奇跡的に人身事故も起こさず免許も返納せずに車には乗らなくなったけど

そして病院に搬送→ホームに移送(入居)となってからは断酒なわけで、90歳にして人生初めて思考がクリアになったのが傍目でも分かる。性格が変わるんですよ。まともになる。

 

私の周りでも50歳を越えたあたりから、たいていの酒飲みは問題を起こすようになってるんです。アル中なのが明らかに分かるようになるというか。自分もちょっと危ないと思ったことがあるのでよく分かる。妙なポジティヴさと面倒臭さがり屋が入り混じった性格を形成するんだな。そして良心と羞恥心の欠落。それを「飲んでたから」ということにしてるけど違う。たいていの50歳過ぎた酒飲み特有の特徴だということが分かるようになったけど、自分が飲まない人には分からないと思う。「そーかーお酒のせいで忘れたり気が大きくなってたのかー」と思うだろうけど、それは疾患なのだよ。

 

中毒性のある症状を抱えたどの依存症でも同じで、例えばギャンブル、買い物、スマホ中毒、ジャンクフード中毒、肉(も依存性が高い)でも性格がおかしくなる。ゴミ屋敷、汚部屋は言うに及ばず正常な精神状態じゃない。

 

現代は複雑な世界なので、昔のようにアルコールとタバコだけが中毒症状を起こすわけではなく、食品からも深刻な中毒症状を起こすのはアメリカを始めとした貧困層の肥満問題や、自傷行為に等しい醜形恐怖症による美容整形手術中毒、破産するまで買い物やギャンブルをする人間は、本来は周りのサポートで治療やセラピーが必要なんです。SOSをそういう形で発信してるのに、みんな忙しいし自分も(ヘンなもん食ってて)ダルいしで放っておかれる。

 

良かれと思って助言したり諭しても怒るか聞き流すし、助けようとしても(汚部屋に踏み込んで掃除したり生活の立て直しの手伝い)拒否するしで、罠にかかった野生動物のレスキューほど抵抗されるわけです。そして人間だから言葉で騙したり(「今日は無理。また今度お願いするからその時はよろしく」とか)去勢を張ったり、しかも人権もあるしで面倒くさいことこの上ない。

 

頼まれた物を取りに父のマンションに20年ぶり以上で入った時、「ああ、ここまで(生活が)壊れてたのか」と憐れに思いました

 

布団で2年以上寝ず、ソファーベッドのようなビジネスクラスのような寝返りも打てない椅子の上で寝起きしてたんですね。布団の上げ下げがもう出来なくて。それを周りに悟られたくなくて。

ホームで;「あのソファーベッド見たろ?」と父に聞かれるまで、何も言わなかったんですが、「掃除して布団敷いたりするのが面倒だったからだろ?」と言ったら、「そ。バカだよな。こういう布団とかベッドで寝てればこんなことにはならなかった」と言って、それだけでも:ずいぶんまともになってるなあ断酒ってスゴイいなあと思いました。

 

掃除はもうどのみち無理だったろうから、ダスキンとかの家事代行サービスを頼めば良かったのが、やはり昔の人間は「掃除ごときに金を払うのはもったいない」と思うのか、そういうことは女がやるものだで妻が死んで20年でどーすんだですよ。

 

嫁も昔の嫁じゃないから、いくらお金あげても「あれはプレゼントで清掃業務委託された覚えはありません」と言われると思うなー。ちゃんと契約するなら嫁でも別だけど。しかしそんなモメることを作り出すよりは、専門の業者に依頼すれば良かったんだけどね。

 

この掃除問題は根深くて、女でも家事代行を頼むのは「女なのに掃除を頼むなんて」と思い、汚部屋にしてしまう人がけっこういるんですよ

昔と違って女も働いてたり忙しいから無理なのにさ

 

まあそれで色々と考えたりすることもあったわけですが、自分ごととして

 

断酒後1年で花粉症が治ってました 

あの酷かった花粉症が本州に行ってもなんでもなかったんですよ

「もしかして卒業したんじゃなーい?」と言う悪友もいるにはいるんですが

それならそれで加齢も悪くないと思うほど酷い花粉症だったのでね

マスクやらツルツル素材の服やらで行ったんですが、花粉症がないなら、箱根に見舞いに行ってもいいなー観光も楽しいし

と思えるようになりました。

(寒いけど観光客で大賑わいの箱根)

いっ時は肺炎でもうダメかとも思ったけど、まともな思考の父親というのも自分の人生において初めて遭遇する人格なので、思い出の上書きを少ししようと思います。ずっとキチガイの家庭に生まれたと思ってましかたらね。母親もキチガイだったし。それが戦争と戦前の軍隊教育のトラウマだっということが今は分かる。

 

ヴィーガン12年目は;見た目に反映されていると思います

 

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