黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

今週末も動けずじまい

2014年09月21日 00時51分57秒 | Weblog
9月21日分。

 毎度。昨日の更新が飛びましたが、まあここのところの例にもれず、メンタルも体調もイマイチのままで、延々寝ておりました。幽霊です。起きていた時間の方がよっぽど短いような状態だったかな、という気がしますね……。
 とりあえず食事すら全部抜けてしまうと諸々危険なので、何とか昨日今日とも、時間帯はひどいことになっていましたが、食事だけは一回ずつ確保はしています。逆に言えば、そこでしか食事を摂ることも無く、後はひたすらに眠りつづけていたか、起きていても呆けていたかに終始したと。どうにもならんですな、これ。

 まあ例によってほとんど動けませんでしたが、多分こうなるかなーとある程度予想はしておりまして。少し意識が戻っているようなら、本くらいは若干読めるかなと、『成人のADHD 臨床ガイドブック』が土日前に手元へ届くように手配はしてありました。昨日は駄目でしたが、今日は若干時間を捕まえられたので、少し流し読み。
 ネット上の情報はそこまで詳しい記載が無かったり、学術的な裏付けとしてどうなのか判断が付かなかったりしがちなので、学術的なベースに出来るものが必要かと判断しています。そこで、ちょっと古い本ではありますが、思考のベースに出来るものをということで少しずつ読み進める予定。
 基本的にADHDの当事者が読むよりは、本来であれば診断する側が読むタイプの書籍のようですが、症例についても載っており、当事者側から読んでも充分参考になります。ただ、読んだら何か新しい道が開けるわけでもなく、あくまで自分自身の状況を把握するための一助になるだけですが……。それでも、何の手がかりも無いという状態よりは大分マシになるようには思います。

 しかし、我ながら今の時期になってようやく気が付くというのも、頭の痛い話で。よくもまあ小中高の時期やら、大学生時代に発覚しなかったなーというのが不思議ではあります。もっと幼少期から症状は表に出てきているのが通常のケースのようで、大人になってからADHDが後天的に発生するというケースは今のところ無いような記載がありました。
 ……となると、考えられそうなのは、やはり幼少期からあったが症状が出るまでタスクが積み上がっておらず、たまたまこれまでは何とかなってしまっていて表面化しなかったということ。幼稚園時代じゃ表に出ていても子供のすること、で片づけられてしまうでしょうし。小中高はそこまで無理なタスクはありませんから、暴力行為か相当露骨な症状が出ない限りは気が付かれないのかも。
 私の場合、どうも表面上だけはある程度まともに見えてしまうらしく、また暴力的な衝動性がほとんど表に出てこないため、問題を抱え込んでいたことが目立たなかった模様。かつ、本人も大学生時代ですら大体のタスクをクリアしてしまっていたため、本人ですら自覚が無かったのですね。大学時代はやることも増えるのですが、時間も大量にあったため、結果的にやれてしまったのかと。
 かつ、大学時代にアルバイト経験が無かったということが、結局は問題発覚が遅れた原因の一つではあるかもしれません。贅沢はしないまでも、お金に困らなかったから、バイトの必要性が無かったのです……。多分、バイトをしていれば処理しきれない状況にぶち当たったでしょうし、そこで気が付くことが出来た、かもしれませんね。まあ、今言ってもどうにもなりませんが。

 昔を後悔してみても意味は無いのですが、ただ、幼少期に兆候があまり見られなかったというのはどうなのか。この辺り、もう少し掘り下げてみる必要はあるのかもしれません。
 ただ、一番の障害は、私自身がほとんど幼少期の記憶を手持ちしていないこと。嫌なことがあったなーというのは幾つか覚えているのですが、大半の記憶がきれいに残っておらず、自分がどんな幼少期を過ごしたものだったか、全然覚えていないのですね、これが。この辺、他の人はどのくらい覚えているものなのでしょうか……。
 自分の昔をたいして覚えていないということについては、特に恐怖などはありません。ただ、参考にならんなぁという部分において若干困る、という面はありますけれども。大人になってからのADHD診断においては、そういう幼少期からの症状というのがそこそこ重視されるようなのですが、どうもそこの手がかりが無さそうな。親に聞いてみても、ほとんどそういうものが目立たなかった、という証言が返ってきましたし……うーむ。
 まあ、結論へ拙速に飛びついても仕方がないので、もう少し今の本を読み進めてみることにしましょう。

 ではでは。ひゅう、どろん。