黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

またいつもの周期がー

2010年02月10日 22時30分02秒 | Weblog
2月10日分。

 毎度。ここのところはある程度安定していたというか、高め推移していたようなのですが、さすがにメンタルが失速したようで予定調和というか何というか。幽霊です。ええ、昨日辺りからどうも怪しいなとは思っていましたが、鬱側周期発動中です。普段と思考パターンに明らかな変化が出ていたので、さすがに気が付きました。道理で、昨日から若干体調が落ち始めたと思ったわ……。今朝は昨日より体調も悪くなっていて、ああ多分これは突入したなと予想はしていましたが。
 まあ、メンタル失調はよくあることなので、慌てず騒がず、再浮上するのを待つことにしましょう。よくよく考えてみたら、少し前にカラオケ行ったり、新しいゲーム買ってひゃっほーいしてたり、先週末は布団とか買いに行ったりして動き回っていましたからね。反動が出てきたようです。仕方ないね。上がれば下がる、これ私にとってはいつものこと。こういう極端な上下が無い、普通の人が若干羨ましい。特に下方面への沈下が問題なのですけれどもね、体調にまで影響するし。
 幸いなことに、多少失調状態でも、仕事する分にはあまり影響が及びません。長時間になるとちょっと厳しいですが、日常生活+仕事くらいなら、どうにか。かなり各所手抜きになったり、ミスが出たりはしますけれども……。ただ、それ以上のことはほとんど出来なくなってしまうので、仕事以外は出来なくなる、が正しいところでしょうか。仕事の無い日でこの状態になっていると、ほぼ家事もせんと終日寝てます。明日は大方、回復していなければそうなるでしょう。

 とりあえず、朝の内よりは多少マシになっているので、少しつらつら思考をば。予定通り、今日で『ヒト・クローン無法地帯』を読み終わったので、それに関してですね。タイトルの割に、クローンの話が出てくるのはかなり終盤になってからで、どちらかと言えば遺伝子に関することと、それ以上に一番多かったのが不妊治療関連でした。要するに、体外受精とかですね。精子ドナーや、卵ドナーのことなど。そちら方面で、法律や倫理関係で仕事をしている人が著者のようです。女性ですね、ちなみにアメリカで仕事をされている、もしくはいたようです。ちょっと前の本だなというのが、本文中の西暦年で読み取れます。二千年より手前くらいかな?
 クローン羊の「ドリー」のことは、まだ覚えておられる方も結構いるのではないかなーと思うのですが。既に、人間でも、クローンを作ること自体は、技術的になら可能とのこと。ただ、成功の見込みがどのくらいあるのかとか、倫理的な問題はどうかとか、法整備の問題はとか諸々がありはしますけれども……。技術の方の進みが早すぎて、法律やら倫理やらが全く追いついていない、というのが、この本の書かれた当時の状況だったようです。現状でも、大して違いは無いんじゃないかな、と思われます。既に生まれている可能性の方も、かなり高いのかな。
 個人的な関心としては、クローンの方よりは、胚もしくは胎児の時点での遺伝子の診断やらの方に興味があります。昔から言われていることではありますが、「欠陥」になる遺伝子、「不適切」な遺伝子の疾病が見られた場合、その胚がどうなるか、その胎児がどうなるか……と。もしくは、「より良い」遺伝子を持った子供を作るために、遺伝子に加工を加えることが常態化していくことになるのかなーとか、そういうのもよく言われますね。本の中でも、やはりこの部分には色々言及がありました。
 先々、どれだけ規制したとしても、クローン人間が誕生した、もしくは「していた」というニュースは、必ず聞くことになるでしょう。そして、遺伝子を「コーディネート」された子どもが生まれた、というニュースも。恐らくは、前者の方が早いでしょうけれども。胚の段階で遺伝子をいじくり回すというのには、まだなかなか困難があるようですし。体外受精で生まれた子供には、どうも障害などが幾分発生しやすいようで。ただ、そういった問題も、じきに解消されるか、少なくとも困難の度合いは引き下げられていくでしょう。
 こういった事柄の「善悪」を判断するのは、正直言って無理という気もします。我が子により良い「条件」をと望むのは悪でしょうか。将来に確実に苦しむことになる病を発症する、そんな遺伝子を持ってしまった胎児を、出生前に、先々苦しむことの無いよう堕胎することは、悪なのでしょうか。不自然だと言ってしまえばそれまでですが、人間が今までやってきたことだって、存分に不自然じゃないかという反論も出来るわけです。牛や豚や犬の品種改良をしてきたんです、人間にそれをして悪いワケがありますか? ……とまあ、そういう反論をする人もいる。これらの技術を、「神に近付くため」と考える人もいる。日本では馴染みが薄い考え方かも知れませんが、キリスト教的な考えでは、そんなに意外なものでもないのかも。
 なお、私自身は、この辺りに関する善悪判断を公言するのは避けます。ある程度、コレはイイのかもね、コレはどーかな、という思考はあるのですけれども。一つだけ出しておくなら、この先少子化傾向が変化しないなら、遺伝子をより良いものにしたい、という人は間違いなく増えるだろう、とは思います。その流れを止めるのは、難しいでしょう。この辺は本当に、人によって見方が間違いなく分かれる部分なので、一概に善い悪いと言えるものでもないよなーと。そういうものをおさめるためにこそ、法律があるんだと思うのですが……その部分が全然追いついていない、というのがね。
 さてはて。より良い遺伝子を追求し続けた結果に生まれるのは、神に近付いた新しい人類なのか、それとも?

 ではでは。ひゅう、どろん。