小学校の楠の黒い実が落ちだしました。 キジバトはこの実が好きならしく、 多いときは6,7わも運動場に集まっていたりします。(去年の話) 学校の裏の道を自転車で走っていたら、道にハトがいました。 あまり警戒してなくて、かなり近づいても逃げませんでした。 よいカメラがあれば鮮明に写せたのにー。
キジバトは我が家の周辺にもいて、樫の木に巣をかけていたりします。 キジバトはいつも2羽で行動しているようです。
さて、ハトを見ると去年の秋を思い出します。 体育館のそばで死んだハトを発見。 じつは前々から練っていた構想があって、ハトをろうけつ染めで染めたいなあと思っていたのです。そこへ降ってわいたようにハトの体が・・・・。これは是非染めなさいという天からの啓示、と思ったものです。まだ暖かいそのハトをわたしはもらいうけ、 急いであらゆる角度から写真を撮り、スケッチをしてから葬ってやりました。 死骸の写真を好きな人はいないでしょうからUPするのはやめておきます。 その代わりこちらの写真をー。羽が大変美しく、スケッチはむずかしかったです。
死んだハトを見たのはこれが3回目です。
1回目は、ぶじこがまだ2歳になったばかりのとき。 下の子が生まれるので産前休暇にはいっていたわたしがぶじこを保育園に送って行ったときのこと、途中で死んだハトを見つけました。 キジバトではなく伝書鳩でした。 ぶじこは死んだハトを保育園に持って行きました。 園庭に入っていったときの保母さん(今は保育士さん)たちの反応はとても興味深いものでした。
「あら、ぶじこちゃん、死んだハトをさわってはだめよ。ばい菌がいっぱいいるのよ。」
そう言ったのは、スポーツマンのベテランのM先生。
「まあ、大事そうに何を持ってるのかと思ったら・・・・。ぬいぐるみでも持ってきたのかと思った。」
これは、一番若い、かわいいK先生。
そこへ園長先生がいらっしゃって
「ハトが死んでたの? かわいそうにねえ。 お墓をつくってあげましょうねえ。」
こう言ってぶじこの手を引いて行かれました。
一番に安全を気にしてくださったM先生。 「大事そうに」とぶじこの気持ちを受け止めてくださったK先生。 どちらもありがたいことばでした。 とりわけ園長先生の言葉と行動は、幼くてあわれみの感情を自覚も表現もできないぶじこに、初めて「かわいそう」という感情と言葉とを教えたくれたのではないかと思います。 一緒にお墓を作って、生き物を慈しむこと、命を大切にすることを身をもって教えてくださった園長先生に対しては尊敬と感謝の念でいっぱいになりました。
子どもは、こうしていろいろな考えをもった大人から多様なものの見方を学ぶのだと、改めて考えさせられたできごとでした。 続く・・・・
何となく危なっかしい気がして見ていたら・・・・・・
轢かれちゃったんです。その鳩。
羽があるんだから、ギリギリ逃げられるだろうと思っていたのに。街なかの鳩って、もうすっかり野生の勘をなくしてしまった鳥なのかもしれません。
そして、鳩じゃなくても、本来野生である鳥や動物を安易に餌付けするのは人間のエゴなのかも。