トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

高松琴平電鉄志度線を行く

2015年07月04日 | 日記

香川県高松市を走っている高松琴平電鉄(琴電)志度線の車両です。

四国には三社の私鉄が走っています。写真は、その中で最も長い歴史をもつ伊予鉄道の郊外線です。ちょうど路面電車と平面交差をしているところ(全国唯一、鉄道と路面電車の平面交差、伊予鉄道」 2015年4月8日の日記)です。

土佐電鉄の路面電車(「全国第2位の路面電車、土佐電鉄に乗る」2014年5月27日の日記・「土佐電鉄、後免線を行く」2014年6月8日の日記)もすでにまとめました。土佐電鉄は、県や周辺市町村の支援を得て、2014年10月1日、バス事業の高知県交通と新たに「とさでん交通」を設立し、両社の鉄道事業とバス事業を引き継ぐことになっています。

快速マリンライナーで、JR高松駅に着きました。そこから駅前にある玉藻(たまも)公園に向かって歩きます。

琴電高松築港駅です。高松築港駅まで延伸したのは、昭和23(1948)年のことでした。

琴電高松築港駅の改札口です。ここは、琴平線と長尾線の電車の始発駅(終着駅)になっています。琴平線は、大正15(1926)年、琴平電鉄によって、栗林公園・滝宮間が開通した後、昭和2(1927)年には琴平・瓦町間が開通しました。関西の大手私鉄並みの設備を備えた鉄道で、「讃岐の阪急」とも呼ばれていました。また、長尾線は琴平線に先立つ明治45(1912)年、高松電気軌道によって、現在の瓦町・長尾駅間が開通しました。会社名のとおり、軌道線として開通しました。改札口の上の時刻表の黄色は琴平線、緑色が長尾線の出発時刻を表しており、その路線の車両も同じような色で塗装されています。

ホームに立ったとき、黄色の塗装がなされた琴平線の電車が到着しました。高松築港駅は琴平線と長尾線の始発駅(終着駅)ですが、待避線はなく、乗客が降りるとすぐに次の乗客を乗せて出発していきます。この電車は、1103号車と1104号車の2両編成で、もとは京王電鉄の5000系車両でした。5000系車両はデザイン性に優れ、昭和38(1963)年から昭和44(1969)年にかけて合計155両が製造され、京王電鉄の主力車両として活躍しました。しかし、平成8(1996)年に全廃され、翌平成9(1997)年に4編成8両が琴電に移ってきました。

車掌さんが乗務されています。電車は玉藻公園になっている高松城跡に沿って進みます。高松城跡の堀には海水が引かれています。

高松築港駅と瓦町駅の間は複線区間になっています。

この日は、琴電の志度線の電車で志度に向かうことにしていました。志度線は高松築港駅には乗り入れていませんので、瓦町駅で乗り換えなければなりません。

見えにくい路線図ですが、志度線は赤で示された路線で、瓦町駅とさぬき市の志度駅間12.5kmを結んでいます。志度線も明治44(1911)年東讃電気軌道(後、讃岐鉄道)によって軌道線として、志度駅と今橋(いまばし)駅間が開通しました。瓦町まで開業したのは、大正2(1913)年のことでした。現在の高松琴平電気鉄道(琴電)は、讃岐鉄道(志度線)、琴平電鉄(琴平線)そして高松電気軌道(長尾線)が太平洋戦争中の昭和18(1943)年、陸上交通事業調整法によって合併して設立されました。現在はすべての路線が軌間1435ミリの鉄道線になっています。

瓦町で琴平線の電車を降りて志度線のホームに向かいます。志度線のホームには3両編成の電車が待っていました。志度方面から628号車、627号車、801号車と並んでいました。600形は平成11(1999)年に、800形は平成12(2000)年に、いずれも名古屋市営地下鉄からやって来た車両です。600形の2両は貫通できますが、801号車から2両目の627号車へは貫通することはできません。1時間に3本、ラッシュ時を除く日中は、毎時06分、26分、46分に出発して行きます。

運転席です。「3連」でしたが、通勤時間帯を過ぎていましたので、2両でもゆったりと座ることができそうでした。

次の駅は今橋(いまばし)駅。瓦町駅から0.6kmでした。志度線は軌道線でスタートしたためか、駅間の最短が0.6km、最長が1.3kmという間隔で駅が設置されています。ここで下車しました。

ホームの裏側に見えた今橋車庫を見たかったからです。志度線の電車はここで休憩しています。721・723・724号車、803・?・732号車(真ん中は確認できませんでした)、802・629・636号車の3編成が羽を休めていました。700形車両ももとは名古屋市営地下鉄の車両で、2編成4両が、平成10(1998)年に琴電にやって来ました。

「”Iruca”10周年記念」を示す列車表示です。琴電といえば、”Iruca”です。何せ、導入は平成17(2005)年で日本で3番目。JR東日本の”Suica”、JR西日本の”Icoca"に次いで、大手私鉄を差し置いての導入でした。

これが”Iruca”の料金支払い乗降システムです。房前駅(ふさざき)駅で撮影しました。乗降時には「出」「入」にタッチして入退場されていました。

駅や車両で見られる”Iruca”のマーク。「いるか」と一緒にPRに役立っています。

でも、券売機もあります。これは、春日川駅にあった券売機です。この日は利用している人を見ることはありませんでした。

私は”Iruca"を持っていないので、この切符を使用しました。「1日フリーきっぷ」です。1230円支払って、高松築港駅で買いました。琴電の全路線1日乗り放題切符です。なお、琴電は「指定駅」では途中下車ができることになっています。

志度線の電車は終点の志度まで、並行したり、離れたりしますが、基本的には国道11号線(志度街道)に沿って走ります。台形をした屋島の姿が見えるようになりました。

琴電屋島駅に着きました。二面二線の相対式のホームです。左側に趣ある駅舎が見えました。車掌さんにフリー切符を見せて下車しました。

琴電屋島駅の外観です。明治44(1911)年開業です。当時はここから360m離れたところにあったそうです。平成21(2009)年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されました。

駅舎の中です。内部はきれいに整備されています。赤い塗装の志度線にあわせて窓枠や天井には赤系の色が使われています。駅員さんはおられませんでした。

琴電屋島駅から真っ直ぐ屋島方面に向かって歩きます。すれ違う人が一人もいません。正面の建物の左脇を進みます。その先に、かつて屋島山上を結ぶ屋島ケーブルがありました。廃止されていることは知っていましたが、どんなようすか見ておきたいと思っていました。

ケーブルの駅があったあたりに、新しい建物が建設中でした。地元の方が歩いて来られ、「今コミュニティハウスを建設中なんだ」とのことでした。屋島ケーブルは、距離0.8km。高さにして265mを登っていたそうです。定員121名の大きなケーブルカーでした。山上には四国八十八ヶ所霊場の84番札所である屋島寺があります。

その裏に屋島ケーブルの車両が保存されていました。地元の方は「さび止めを塗っているから」とのこと。以前はどんな色だったか思い出せませんでした。

古い案内板が残っていました。「屋島山上 0.8km」と書かれていました。屋島のケーブルカーは1台だけだったようです。中間部でのすれ違いはありませんでした。

軌間1067ミリの屋島ケーブルの線路跡です。平成17(2005)年8月31日に廃止されました。今は琴電屋島駅前から屋島山上まで屋島ドライブウエー経由のバスが運行されているそうです。地元の方は「ケーブルの線路跡を登山道に整備することを考えているのだけど」とおっしゃっていました。

ケーブルが走る滑車も残っていました。どなたかが草を刈ってくださっているのでしょう、荒れ果てた感じはしませんでした。近くに旅館も残っていましたが、人通りはまったくありませんでした。遅い昼食を食べさせていただいた、琴電屋島駅近くの食堂のご主人は、「人が全然通らないんだ」と嘆いておられました。たくさんの人で賑わっていた頃の面影は残っていませんでした。

二面二線の八栗駅に着きました。85番札所、八栗寺の最寄り駅です。ここから歩いていく参拝客もおられました。

国道11号線と並行して走るようになりました。頂上近くに八栗寺がある、五剣山が異様な山容を見せています。

琴電の八栗新町駅に着きました。下車して少し先まで歩き、振り返って撮影しました。正面が琴電の八栗新町駅。左の国道11号の左側には、JR高徳線の讃岐牟礼駅があります。ここが、琴電とJR高徳線が最も接近しているところでした。

塩屋駅を過ぎると左手に海が見えるようになりました。後ろを振り返って撮影しました。

房前(ふさざき)駅に着きました。右側にホームのある一面一線の駅です。しかし、よく見ると左側の樹木が並んで生えているところは、元のホーム跡のようです。かつては二面二線の駅だったようですね。

琴電の線路の脇から撮影しました。驚いたのは、途中で海側に見えていた五剣山が反対側に見えたことです。五剣山を背景に走る志度線の電車です。

志度線はもともと軌道線として開業しました。線路が広くありません。外から見ると、電車は両側の民家や樹木の間を窮屈そうに走っています。

次の原駅を過ぎると、いよいよ終点の志度駅です。並行して走る国道11号線に「さぬき市」の標識が見えました。志度駅は高松市の隣のさぬき市にあります。

瓦町駅から30分余。終点の志度駅に着きました。乗客が下車すると、電車はすぐに折り返して出発していきました。車掌さんの安全確認をする声とホームを見つめる姿がみえました。

写真は駅舎の外からホーム方面を撮影したものです。「かつての志度駅は現在地よりも100mほど前にあった」とそこでお聞きしました。それなら、そこまで行ってみようと思いました。写真の道を左に進みJR志度駅に向かいます。

国道11号線の向こう側にあるJR志度駅。ここから高松方面に向かって引き返します。

香川県立志度高校の標識が見えました。

左折すると香川県立志度高校に向かう道を、反対の右側に向かいます。琴電の線路の脇にある倉庫風の建物があります。現在はコーヒー店になっていますが、ここに、かつての琴電志度駅がありました。

かつての琴電志度駅の跡です。コーヒー店になる前には、志度名産の下駄の倉庫だったそうです。

琴電の志度線に乗って瓦町から琴電志度駅までやって来ました。琴電志度線は軌道線として、大正2(1913)年に、現在の瓦町駅まで開業しました。これまでの100年を越える歴史を秘めて、この日も走っていました。”iruca"をいち早く導入し、全車冷房完備という電車が、車掌さんも乗車したツーマン体で運行されています。初乗りが190円というのは少し高いかなとも思いますが、サービスを考えたら利用者は納得されているのかもしれません。私が買ったフリー切符は、志度線、長尾線、琴平線乗り放題です。すごいお特感がありました。