トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR高徳線の”秘境駅”、阿波大宮駅

2014年08月27日 | 日記
牛山隆信氏が主宰されている”秘境駅ランキング”。上位200位にランクインしている駅は多くがローカル線にあります。しかし、スイッチバックの駅として知られる坪尻駅(徳島県・「秘境の駅、JR坪尻駅に行ってきました!」2011年3月19日の日記)や新改駅(高知県・「JR土讃線 もう一つのスイッチバック、新改駅」2011年8月7日の日記)は、岡山駅と高知駅を結ぶ幹線と言っていいJR土讃線にある駅でした。同じ、県庁所在地である香川県高松市と徳島市を結ぶJR高徳線にも、ランクインしている”秘境駅”があります。

JR阿波大宮駅です。高松駅から南に向かい徳島県に入って最初にある駅です。暑い夏の日、阿波大宮駅を訪ねるため、高松駅に向かいました。

スタートはJR高松駅。青春18きっぷを手に乗り込んだ列車は徳島行きの普通列車。キハ1501号車。昭和62(1987)年の国鉄民営化以後に導入された新型車両です。10時2分、1番ホームから出発しました。四国の普通列車に多いワンマン運転の単行のDC(ディーゼルカー)でした。座席がすべて埋まっており、立っている乗客もおられました。

高松駅から、南に向かって進みます。出発から1時間15分後、香川県最後の駅、讃岐相生(さぬきあいおい)駅に着きました。高松行きの普通列車が待っていました。行き違いです。高徳線は、徳島線の列車も走る徳島・佐古駅間を除いて単線の区間になっているからです。列車は単行の気動車で、同じ1500形車両の1553号車でした。JR高徳線は、昭和10(1935)年に、最後まで残っていた香川県の引田(ひけた)駅・徳島県の佐古駅間が開通し、高松・徳島間が全通しました。来年は、全通してから80年目の節目の年を迎えます。

讃岐相生駅を出ると、高徳線は大坂峠を越えるルートになります。ここからは、25‰(パーミル、1000mで25m登ることを表します)の勾配となり、高徳線の最大勾配区間になります。短いトンネルが続いています。数えてみると次の阿波大宮駅まで、11個のトンネルを抜けました。最も長かった最後の大坂山トンネルを抜けると、列車は緩やかに下っていきます。

稲穂が黄色く色づいて、すでに実りの秋の雰囲気になっている田んぼの中を進みます。トンネルの出口から2kmぐらいで、列車は駅のホームに滑り込みました。めざしていた阿波大宮駅に着きました。11時22分でした。これまで私が訪ねた”秘境駅”はすべて山深いところにありました。田んぼ一面に稲が実っている光景には少し違和感がありました。

下車したのは、一緒に行った相棒と2人だけでした。乗ってきた列車はすぐに次の板野駅に向かって出発していきました。次に徳島に向かう普通列車は14時21分発。高松行きの普通列車は13時56分発です。私たちは、次の高松行きの列車が出発するまでの約2時間半、この駅に滞在することにしました。

ホームから見た高松方面です。越えてきた讃岐山脈が見えます。

こちらは、徳島方面です。1面2線のホームの左側に駅舎が建っています。

ホームにあった待合室? 小さい建物の下に、丸太が置いてありました。相棒は待合室だと言っておりましたが・・。

左側の柱に貼ってあった建物財産表には、「諸舎」と書かれていました。特定の用途に分類できない建物という意味でしょうか? 「待合室」と明記はされていませんでした。

裏側です。ホームの案内に使われていました。

やがて、特急列車(N2000形)が入ってきました。上り、高松行きの”特急うずしお12号”(左)でした。3分ぐらい経過して、今度は徳島行きの”特急うずしお9号”(右)が到着しました。 行き違いのための運転停止でしたが特急同士の豪華な行き違いでした。乗客の扱いはもちろんありません。先に、後から来た徳島行き(右)が、続いて待っていた高松行きの特急列車(左)が出発していきました。

駅の周辺を歩いてみることにしました。「大坂峠ハイキング下車駅」と書かれた看板の下から駅舎に入り外に出ました。

駅舎への入り口です。白い壁の正面に自動販売機がありました。昭和10(1935)年引田・佐古間が開業した時に建てられた駅舎です。高徳線とともに79年間を生きています。こんなに年月が経っているとは思えないほど、きれいな建物でした。

駅前の風景です。駅前の通りの向こうは墓地になっていました。墓地の前にある駅というのはめずらしいですね。

「馬酔木の道」の案内板です。駅舎に掛かっていた「大坂峠ハイキング下車駅」の看板で示された道のようです。「大坂口御番所跡 道なり900M」という案内に惹かれて行ってみることにしました。

駅から左の高松方面に向かって歩きます。高徳線の線路に沿って進みます。稲穂の向こうに集落が見えました。 ”秘境駅という言葉から受ける私のイメージとは異なった風景でした。

道なりに20分ぐらい歩くと高徳線の西渕踏切に着きます。「52km659m」と書かれていました。高松駅からの距離を表しているのでしょう。

西渕踏切付近から撮影しました。最後に通過して来た大坂山トンネルです。

踏切の先を右折すると、大坂口御番所跡の村瀬邸があります。天正13(1585)年阿波に入部した徳島藩祖の蜂須賀家政がここに御番所を設け村瀬・久次目の両家が預かっていました。通過する旅人は武士は通行手形、庶民は往来手形(旦那寺や地方役人が発行する)を持たないと通ることができなかったそうです。ここは、その村瀬邸のあったところです。隣には建て替えられた久次目家の邸宅がありました。

久次目邸の脇が讃岐街道の跡でした。幅2mぐらいの道が山の麓に残っています。大坂峠を越えて讃岐国に向かう街道でした。源平の戦乱の時代の文治元(1185)年に、屋島にいた平氏を討つために、源義経が越えた道だといわれています。

西渕踏切まで戻ったとき、徳島行きのうずしお11号が通過していきました。来た道を阿波大宮駅に向かって歩きます。

途中で特急列車に会いました。高松行きの特急うずしお14号でした。この列車がくることがわかっていたら、西渕踏切で待っていたのに・・。まったくノーマークでした。

阿波大宮駅まで戻ってきました。今度は徳島方面の駅周辺を歩きました。駅の近くには数件の民家が並んでいます。

民家の間を右折して宮脇踏切に来ました。「53k626m」と書かれていました。阿波大宮駅の南にあたる宮脇踏切から駅方面を撮影しました。跨線橋がかすかに見えます。

道なりに坂を下っていきます。大宮神社に着きました。阿波大宮駅のもとになった神社なのでしょうね? 立派な神社です。

神社の下にあった真言宗十楽寺です。もとは、大宮神社の社僧だったのでしょうか? 駅前の案内板には、この近くに「板野東小学校大坂分校」と書かれていましたが、どこにあるのかよくわかりませんでした。そういえば、ここまで誰とも出会っていないことに気が付きました。

宮脇踏切から撮影した徳島県板野町方面です。山際に集落が見えました。

阿波大宮駅まで帰ってきました。駅前の自動販売機の後ろに境界標が積んでありました。おなじみの「工」のマークが刻んでありました。

駅舎の内部です。きちんと整頓されていました。ベンチの下などに少し埃は溜まっていましたが・・。

駅舎内の掲示です。緑色で表されているのが高徳線です。

その下にあった時刻表です。徳島行き10本、高松方面行きが9本。通勤通学時間帯以外は2~3時間に1本の割で運行されています。

室内にあったJ2の「徳島ボルティス」のポスターです。香川県境の讃岐山脈の山間の町ですが、ここにも地元チームを支援するファンの方がおられました。

駅のホームの先に民家の屋根が見えます。民家も10軒以上ありしかも新しい民家もかなりありました。田んぼの道を少し行くとまとまった集落もある、日本の農村で普通に見られる風景でした。

線路をまたぐ跨線橋から見た阿波大宮駅のホームです。長いホームです。かつての栄光の時代をしのばせる光景です。

私たちは13時56分発の普通列車で、高松方面に向かうことにしました。列車がやってきました。2両編成だ!と思いましたが、後ろの車両は「回送」扱いで、乗車できるのは前の車両だけでした。帰りも満席以上の乗客が乗っておられました。かなりの乗車率でした。

ホームに書かれていた乗車口。徳島行きの”特急うずしお16号”の通過を待って出発しました。ワンマン運転の1255号車でした。

「秘境駅ランキング」を主宰されている牛山隆信さんによれば、阿波大宮駅は高徳線唯一の秘境駅で、その秘境度2P(ポイント)、雰囲気2P、列車到達難易度7P、外部到達難易度2P、鉄道遺産指数2P、合計15ポイントで、ランキング156位に位置づけられています。やはり、列車で行くのが困難という意味での「秘境駅」でした。

明るく広々とした農村風景が楽しめる、「秘境駅」らしくない秘境駅でした。