トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

「祇園社神灯目付役」と八坂神社

2010年05月12日 | 日記
最近、澤田ふじ子の時代小説を愛読しています。
京都の市井に生きる庶民の哀感を
人情味豊かに描いています。
江戸を舞台にした、
平岩弓枝の「御宿かわせみ」よりもっと江戸庶民に
近い雰囲気をで描かれています。

輝かしい歴史と伝統を誇る京都は、
軽々しくコメントができないような敷居の高さを感じ、
近寄りがたいところと感じ続けていました。

この小説を読み始めてから、京都がずいぶん身近になりました。

京都の町屋や裏店に住む、名も無き人々に注ぐ、
作者の温かいまなざしが心地よく、
京都の町並みや神社・仏閣までも、
おだやかな気持ちで見られるようになりました。

いずれの作品にも、
町や通りの歴史がさりげなくり散りばめられていて、
京都の知識がどんどん増えていくのも快いことです。
おかげさまで、
今では、ちょっと暇ができると、
京都へ出かけるようになりました。

澤田ふじ子の「祇園社神灯事件簿」の世界に惹かれ
この日も、祇園四条駅から、八坂神社に向かいました。


「祇園さん」と呼ばれて、京都市民の尊崇を受け、
真夏の祇園祭で全国に知られた祇園社、八坂神社。
参詣道と呼ばれる四条通りから見た西楼門は、
ほんとうに美しく心に残ります。
 

しかし、西楼門は正門ではありません。
祇園社は、もともと伏見方面に向かって建てられていて、
南楼門の方が正門ということになります。


祇園祭りのときに、三基の御輿が渡御し7月17日から、
24日の還御までとどめおかれる四条御旅所や、
境内にある摂社や末社などの祇園社にゆかりの神社の
それぞれの神灯が消えないように、
また、明け方にはきちんと始末ができるように、
見回っているのが「神灯目付役」なのです。

深い因縁でつながる主人公植松頼助と
その後見人村国惣十郎たち、
4人の神灯目付役は、
顔面に面垂れを下げ、伊賀袴を着て
「祇園社神灯目付役」と小さく朱漆で書かれた
黒い編み笠をかぶって神灯を守っています。
折りにふれ、市井で起きる事件を
奉行所ではできないような方法で解決していました。

現在、南楼門前には、二軒茶屋と書かれた
提灯を掲げ、田楽を提供している中村楼という
料理茶屋があります。
頼助たちが活躍していた頃には、ここに
中村屋と藤屋の二軒の料理茶屋があり、
二軒茶屋として
いずれも豆腐田楽と菜飯を名物としていました。


頼助のところには、朝になると
中村屋の娘、うず女が菜飯を運んで来ます。
二人はお互いに思いを寄せ合っていて、
時には、うず女も協力して事件の解決にあたっていきます。


藤屋は明治になって廃業しましたが、
中村屋は中村楼と名を変え
現在も営業を続けていると、
作品中で、澤田ふじ子は説明してくれています。

「神灯目付役」は、
一般には「お火役」と言われていました。
しかし、「祇園社執行日記」などの歴史資料には記録がなく、
わずかに中世の記録や公家の日記に散見するのみだと、
シリーズ4(「お火役凶状」)の「あとがき」に、
作者は記しています。
神性を帯びてはいても、
表に出せないダーティな部分もあわせもつ、
神灯目付の性格のせいだったからだろうとも・・・。

こういう歴史も内包しながら、
八坂神社は、人々の厚い信仰を
今も集め続けています。

その日も、境内は大変な人でした。
拝殿が一緒につながっている本殿にお参りし
舞殿のそばで、八坂神社の雰囲気を味わいました。
 

境内には、たくさんの店が並んでいて、ほんとうに賑やかでした。